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岩峰に立つフリードリッヒ
水曜日は午前中の雷雨や午後の30度になろうかととする気温上昇に拘らず早めに南プファルツの奇岩地帯へと出かけた。森の中は湿っていたが陽射しと温度と風のお陰で岩肌で手が濡れるようなことはなかった。

なによりも夕方の太陽が高い霧におぼろげな薄暮の風景はカスパーフリードリッヒのそれ以上に詩情豊かであった。誰も他のパーティーの居ない岩山の上では誰もが詩人となれた。カスパーフリードリッヒのザクセンアルプスの岩山も南プファルツの岩山も同じ砂岩で色が違うだけなのである。

相棒のザイルを率いる練習であったからノーマルルートしか登っておらず紺何度は全く無いながらも、腕に疲れを感じた。一つには全く中間確保支点が無いのにも拘らずそれ以外にもあまり十分な支点が取れないような場所があって、力が入っていたのだろう。特に二つ目の岩山への頂上岩壁はオーバーハングの上にある岩の背を登るので、手掛かりがある角に近づけば近づくほど真下の30Mの奈落が目に入るのだ。その上にまともな支点が無いのでうっかりすると奈落へと落ちてしまう。

なるほど技術的には困難さは無いものの度胸もいり、更に高所恐怖症を思い起こさせてくれるので、どうしても手掛かりの悪い方へと向かってしまう。するとどんどんと難しくなるのである。つまりやはり奈落へと近づくしかない。そして、そこを超えてやっと砂時計と呼ばれる岩の窪みに出来ている細い柱に支点を掛けるのである。

全体で四回ほどザイルで懸垂下降をしなければいけなかったぐらいで、直ぐに時間が経ってしまって、その大きなオーヴァーハングは試せなかったが、やりがいを起こさせる岩頭群である。細い柱状の岩頭も確保支点が取れないので有名で度胸が要りそうだが登攀意欲を湧かせるには十分である。

相棒の医者もアルプス風の登る練習が出来たので、若干意識が変わってくるだろうか。五感を全て使ってのクライミングは、やはり石切り場やクライミングホールのそれとは違って体験の深さや大きさが異なる。兎に角、僅か六時間の中でとても素晴らしいときを過ごせたのである。


写真:向かって左の二つの岩頭を攀じ登った。話題のエッジは右の岩頭の付け根の影と夕日の角の部分である。



参照:
切手の図柄に思いを馳せる 2011-02-27 | 雑感
# by pfaelzerwein | 2012-05-25 23:36 | アウトドーア・環境 | Trackback | Comments(0)
エコノミラートとは農業顧問官
「エコノミラート」と異なるレープホルツ醸造所の辛口リースリングを開ける。昨年までは雑食砂岩からのリースリングと名づけられていたが、それが無くなりグーツリースリング扱いとなった。最初の口当たりは試飲のとき以上に柔らかく、むしろ微炭酸が飲み心地を良くしていた。このシリーズのものには見られた傾向で、その価格9.80ユーロとしては寂しい。

味筋は、その後に押しの強い酸が押し寄せるようで、酸の分解も「エコノミラート」より落ちるのは明らかである。つまり酸の質が荒めなので、完全に以前の雑食砂岩からのカビネットより質が落ちているが価格は上昇している。

よって、価格差1.20ユーロは実質の価値よりも小さい。個人的には安い方ならば他の醸造所のものを買う。決して悪くはないのであるが、出来としては2009年の雑食砂岩からの方が遥かに良かった。しかし実りの年で糖を落とすと言うことはそれだけアルコールを上げると言うことで12.5%は糖が無い分軽く幸せである。

そこで「エコノミラート」に再び目をやると、アルコールが11.4%しかないのだ。やられたと思った。まるでモーゼルの辛口である。そして酸が8.1G、糖が0.4Gであり、エコ003指定葡萄を使用している。糖比重が84エクスレであったから、むしろ早摘みである。それであの肌理細やかな酸は?決して青っぽくないどころか深々として落ち着いていて、とげとげしさのない酸は?

一段落したところでザール地方のシュロースザールシュタイン醸造所のお試しセットを注文した。送料ともで大変お得なので、飲みたくない二本が入っていても料理に使っても損はないのである。

古い年度から2008年のアルテレーベンがそこに含まれているのだが、これは一年半以上前に飲み干しているが、今や絶好調の2008年産がどの程度の感じで飲めるかがとても興味深い。また、10ユーロ超えの「グラウシーファー」が強豪に太刀打ちできるか。



参照:
何処までもついて行くわよ 2012-05-20 | 試飲百景
品質向上戦線で勝ち抜くのは 2010-07-28 | ワイン
# by pfaelzerwein | 2012-05-24 21:08 | ワイン | Trackback | Comments(0)
音楽が先か、詩が先か?の回答
ベルリンの国立歌劇場の監督ダニエル・バレンボイムが大歌手フィッシャー・ディスカウの逝去に際して追悼文章を投稿している。短い文章ながら読み甲斐があるので紹介する。

歴史上多くの素晴らしい作曲家が存在して、その作品が音楽の歴史的発展にそれほどの影響を与えていなくとも私たちが大切にしている創作がある。幾人かの作曲家、バッハやシェーンベルク、ヴァーグナー、ベートーヴェンなどは、過去のものを集約して尚且つ同じように将来への道を指し示した作曲家で、そうした革命的な精神の秀でた例なのである。

全く同じようにクラシック音楽の演奏家においてもそうなのだ。例えばパブロ・カザルスは、一般的にチェロは綺麗なイントネーションを奏でられない楽器と見做されていたが、少なくともバッハの組曲を以ってこうした見解を変えてしまった。そして、コンサートの世界で永続性のある新機軸を創造したのである。ディートリッヒ・フィッシャーディスカウは、そうした一人の革命的な演奏家であった。24歳にて最初のリーダーアーベントを行った。それは当時としては決して普通のことではなかった。当時は、現在よりも遥かに多くの引き出しが用意されていて、歌手はオペラを歌うか、歌曲を歌うかであって、双方と言うことは珍しいことだった。フィシャーディスカウは、先ずその業界においてそうした強固な考え方を打ち破り、多くの分野において秀逸した技量を出せることを示したのである。

彼の芸術家としての最も大きな功績は、恐らくあの質問に一つの回答を与えたことだろう:「音楽が先か、詩が先か?」つまり、彼が示したのは、これは誤った質問であったということだ。フィッシャーディスカウは、彼以前にも以後にも殆ど為されていないように詩と音楽の統一を成し遂げた演奏家なのである。彼は、詩のアーティクレーションにおける新たな基準を与えたのみならず、言葉に準拠した音の響きを変えることで、その言葉を浮き出させた。そのように言葉の意味を明白化させたのみならず、其々の音節や音を合成して響かせ、ハーモニーと音色の合一化を可能とした。例えば、言葉「死」にアーティキュレーションの中で別な色合いを加味して、非日常性を意識したのみならず、この「死」と言う言葉が歌われる時、どのような音色であるべきかを意識していた。これによって、詩の理解と分別の新たな地平線を開いた。

25年間ともに音楽をしてきたフィッシャーディスカウは、ドイツ人芸術家として最初にイスラエルの地を踏み、そこで最初にドイツ語でコンサートで歌ったことはひょっとするとそれ以上に画期的なことかもしれない。なぜならば、それまでは彼の地ではベートヴェンの第九も英語で歌われていたからである。彼の特別な芸で以って、ドイツ系ユダヤ人はイスラエルで再び音楽の中でドイツ語を戴けるようになったのである。

ダニエル・バレンボイム



参照:
Gefärbte Töne, Daniel Barenboim, FAZ vom 22.05.2012
連邦共和国文化大使の死 2012-05-21 | 文化一般
週末のストレス解消次第 2012-05-09 | 生活
感受性に依存する認知 2009-01-03 | 文化一般
セクシャルな「福島」文化の本質 2011-07-24 | 文化一般
# by pfaelzerwein | 2012-05-23 20:56 | | Trackback | Comments(0)
決して侮れないネットワーク
北九州市の瓦礫処理阻止の実力行使は速報としてネットで流れた。早速IWJの九州CH1に繋いで中継を見た。「なにもしとらんけね」と警察に拘束されたおばさんは語る。普通の善良な市民は公権力の存在を初めて思い知ったことだろう。

なぜ実力行使が必要かは、二クラス・ルーマンが論文で語る通りであって、こうして初めて大きく報道で取り上げられるだけでなく、その一部始終はネットを通して世界中に実況中継されて、自明のこととなった。

次は、こうした運動を如何にPCや机の前に座っている人々がどのように受け止めてどのように反応するかである。

なるほど瓦礫処理から出る放射能はその灰を除けばそれほどのものではないであろう。しかし、恒常的にこうしたものを運び込み、焼却処理するということは、折角フクシマの強い汚染から逃れた遠方の人たちに苦しみを擦り付けることになるのである。所謂戦後の日本がモットーとしてきた国民の平均化であり、汚染の平均化である。平均化の行く末は人類のゾンビ化なのである。

核実験やその他の事故等で汚染された量と、今も毎日環境へと流れ出る福一からの放射能汚染の量は比較にならない。もはや狭山茶だけでなく静岡茶などは当分飲めないことは分っており、それを薩摩まで平均化してどうしようと言うのだ。既に魚をはじめとする食料は偽装されて、九州産の米なども混ぜられていて、九州の食生活も到底安全とはいえないのである。

それでも平均化を許してはいけないのである。そのようなことをすればもはや何もかも無い。

フェースブックの上場に関してのインサイダー取引が捜査の対象となっていて、顧客は集団損害賠償を求めていると土曜日のラジオニュースが伝えていた。さてユダヤ人や華僑のインサイダー取引を何処まで追及できるだろうか?世界中に広がるそのネットワークは到底見通せるものではない。本日二日目はストップ安に続いて暴落した。売り逃した人たちはもう遅い。



参照:
それでも生きていたいのか? 2012-04-09 | 文化一般
自由の勝利を自ら掴め! 2012-03-27 | マスメディア批評
市民を無視する政治社会背景 2011-06-05 | マスメディア批評
ブロキュパイの週末を終えて 2012-05-22 | 歴史・時事
# by pfaelzerwein | 2012-05-22 21:44 | アウトドーア・環境 | Trackback | Comments(0)
ブロキュパイの週末を終えて
ブロキュパイ運動陣営は土曜日の二万人以上を集めてのデモは成功だったとした。各地からの助っ人を含む警官の総動員で、フランクフルトの銀行街は死の町となったようだが、大きな暴力沙汰とはならなかった。デモを許可しなかった市長ロート女史を代表とする当局の責任問題とすると、緑の党や左派党は気炎を上げている。

左派のフランクフルター・ルンドシャウ紙によると、ギリシャやスペイン、フランスなどからも賛同者が次々と集まって、町の者も食事などを無料提供して支援していたと言う、一方FAZ紙がインタヴューしているオキュパイ運動家デーヴィッド・グレーバーも大西洋を越えて飛んできていた。

市内は、銀行関連の現金自動引き下ろし機などは全て閉鎖されて、市電は運行停止して、ターミナルでは活動家の荷物検査などが行われたと言う。それでも大きな事件とはならなかったのは、左派の各派やアタックなどの活動団体が所謂黒ブロックの黒装束で有名なオウトノーメンなどを説得したからだと言われる。

多くの破綻者に勇気を齎した「デット」の著者グレーバーは当日許可された唯一の講演会であったようだ。氏に言わせると、金融危機で世界中の納税者が銀行を救済したのは、歴史の終焉などではなく文化の斑気であるから、儲かる者は儲かるおかしなシステムになっているのを変えなければいけないとなる。

そもそもアナーキストには戦争をする能力は無くて、そのシステムをブロックしてしまうことで十分と言うことらしい。しかし、為政者が恐れているのは、この運動が68年の運動のように社会の変動へと盛り上がることであるとしている。

中国ではラフィト・ロトシールドなどの空き瓶が中身の入った蔵出し価格ほどで売れるそうだ。そこに赤い中国産のワインを詰めて売ることで経済が回っていると言われる。醸造所での出荷本数よりもはるかに多くの高級フランスワインが中国で販売されているそうだ。

そもそもシナ人に高級なワインの味などが分るわけが無いのだから、売る方がまっとうと言うか遥かに賢いのである。賄賂などで身につかぬ金が回る経済のバブル経済の中国であるからこその市場があるようだ。

12日付けの新聞の文化欄には、指揮者エノッヒ・ツ・グッテンベルクが自ら創立した自然保護団体ブントを脱退することを表明している。その組織的な姿勢や独立エネルギー企業の設立の金儲け主義どころか、2003年には風力発電計画に反対することで同和金を企業からせしめて金を活動費に回し、その額がミリオンユーロ単位であることを強く非難している。要するに環境圧力団体ごろつきになっていると言うのだ。前連邦大統領退陣の問題となった金子の額とは桁が違うことを強調している。

そもそもグッテンベルクの父親がキリスト教社会同盟の創始者であってバイエルンの保守の本流であり、エノッヒも保守の愛郷組織としての環境団体の理事として34年間活躍する。それゆえに、その脱退の弁の内容はとりわけ厳しい。

なによりも風力発電が気に食わないようで、その環境への影響を、美観や土地利用の観点から、また低周波による野鳥や蝙蝠などの種の減少として、厳しく批判する。

なるほど風力発電はその設備自体がたかが五十年ほどの寿命であり、殆ど一時的な代替エネルギー源でしかなく、そこには将来性が全く無いことは知られている。しかし批判はそれでは止まらずに太陽熱発電などへと事業化している部門へも矛先が伸びる。

そして、ブント自体の企画として「自然エネルギー発電」が話題となっていて、まるで素朴な日本人のように「自然エネルギー」という言葉が使われると、もはやその素朴さに失笑するしかない。

エントロピーの法則も考えずにそうした自然エネルギーなどと考えていたことが知れ亘るのである。そのようなエネルギーがそもそも存在する筈が無い。あるのは大気圏内においての持続性可能なエネルギー源でしかない。

結局代替エネルギーよりも節約のみであると言わんばかりに、電化製品のスタンバイ機能を禁止すれば連邦共和国内で56%の節電が出来るというのである。産業用もまだ16%の削減の余地があると例示する。



参照:
Wieso stellt sich das Bankenviertel tot?, David Graeber, Nils Minkmar, FAZ vom 21.5.2012
Ich trete aus, Enoch zu Guttenberg, FAZ vom 12.05.2012
Debt: The First 5000 Years (Wiki)
とてもちぐはぐな一週間 2012-05-19 | 生活
セシウムも降り注ぐマイホーム 2012-01-07 | アウトドーア・環境
責任を果たせ!然もなくば、 2011-11-08 | マスメディア批評
情報の集約を阻止する運動 2011-10-30 | 文学・思想
変遷しない社会の危機管理 2012-05-04 | 歴史・時事
ベルリン、原子力の創世と終焉 2011-07-07 | 歴史・時事
市民を無視する政治社会背景 2011-06-05 | マスメディア批評
寿限無 食う寝る処に住む処 2010-12-13 | 文化一般
# by pfaelzerwein | 2012-05-21 21:29 | 歴史・時事 | Trackback | Comments(0)
連邦共和国文化大使の死
ドイツ連邦共和国の最高の歌手ディートリッヒ・フィッシャー・ディスカウの死の反響は予想以上に大きかった。先ずはフランスのラジオでの特番の扱いはドイツのそれよりも早く以上であり、フランスでどこまでドイツ歌曲が理解されているのだろうと不思議に思ったほどである。

それは新聞の訃報記事にもあるように、先の戦争で壊滅状態となったドイツの中からそれを使命として音楽活動をしてきたこの歌手の成果に対する賞賛でもあるだろうか。

同じようにBBC3でも特集が組まれていて、まさしく連邦共和国が如何にその絶えることの無い文化ということでなんとか戦後を乗り切ってきたことを証明しているようなものである。

この歌手の録音を集めた覚えは全くないのだが、知らないうちに二桁のLPが手元に集まっている。引退してから長いオペラではフルトヴェングラー指揮「トリスタン」の名録音やベーム指揮「フィガロ」や水木しげるの妖怪辞典に出てくるようなパパゲーノ、「指輪」のギュンター、シュトラウスの「カプリッチィオ」、「アラベラ」での夫婦共演など、オラトリオではブリテン指揮「戦争レクイエム」、バーンスタイン指揮「大地の歌」など直ぐに見つかり、その中には掛買いの無い交換不可能な歌唱も多く含まれる。

ドイツ歌曲では、モーツァルトからフォン・アイネムなど数多く、アイヴスの歌曲集などと特殊なものも含まれている。その中でも貴重なのは、新ヴィーン楽派を集めたDGの一枚とその影響と称するEMIの一枚である。特に一枚目のとてもロマンティックなシェーンベルクの演奏は「リア王」の作曲家アリベルト・ライマンのピアノと相俟って、シェーンベルクの作曲がドイツ音楽の頂点にあることを実証している。

今後古い録音などが再発売されるかもしれないが、安売り物で狙いたいのは「リア王」やヘンツェなどのオペラなどの歴史的な録音であろうか。



参照:
ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウの逝去を悼む (日々雑録 または 魔法の竪琴)
フィッシャー=ディースカウ逝く (TARO'S CAFE)
フィッシャー=ディスカウ追悼企画、マーラー作曲、「さすらう若人の歌」 (yurikamomeの妄想的音楽鑑賞とお天気写真)
追悼:ディートリッヒ・フィッシャー・ディスカウ (時空を超えて Beyond Time and Space)
さようならフィッシャー=ディースカウ (庭は夏の日ざかり)
Das Genie der hohen Deklamation, Gerhard Rohde, FAZ vom 19.5.2012
# by pfaelzerwein | 2012-05-20 21:54 | 文化一般 | Trackback | Comments(0)
何処までもついて行くわよ
殆ど禁断症状であった。レープホルツ醸造所のカビネットが切れて長い。昨年の夏には雑食砂岩からのリースリングカビネットが無くなり、補給しようと思うとシュペートレーゼクラスしか残っていなかった。そのSは寝かさないと本当の凄みは出ず、素晴らしく開花していた2008年産も続けて飲むのは惜しい。

だから九ヶ月ほどは切れていたのである。2010年産のそれが決して良かった訳ではないが、除酸や酸の強さで苦労している各醸造所の中にあって上手に造ってはいたのだが、生産量も少なく夏には売り切れていた。

そこでこちらも気合が入るのである。なるほど2011年は収穫量も十分で更にもう一つ上のカビネットが出ることはそれとなく奥さんから聞いていたのだが、それでもやはり飲んでみるまでは分らない。

酸の穏やかなジルファーナーや酸っぱいリッターワイン、そして酸の立った雑食砂岩リースリングに続いて、お披露目の「エコノミラート」である。

2009年に出ていた「ナテューウーアシュプルング」の後釜であるが、価格も上昇している。雑食砂岩がスクリューキャップになって、そもそもその質の違いは2009年にあったのだから当然であろう。

石灰の混ざらないミネラル質の透明性と逆に立たない酸が興味深く。残糖0.4Gまで落としていることから、逆にアミノ酸のような甘みすら感じるのである。「ティピカルなレープホルツワインの提示」に基本コンセプトがあったようだが、どうしてもう一つ突き進めてしまっている。完全に病気である。酸も8.1Gと決して少なくないのであるが、分解が進んでいるのかシュペートレーゼ的な深みがあるのだ。

親仁さんは完全にいってしまっているが、これを味わうと何処までもついていくよとなってしまうのだ。こんなに危険なワインは知らない。そしてこの後味、塩気に混ざって、長く尾を引く懐かしいあの味は何だ?その後味が糖が無いだけに水のように喉を流れ風味だけが残るのだ!

なんたることだ!なんでもない、酸を綺麗に分解して、糖が無くなるまで醸造すれば良いのである。24時間の葡萄付けした果汁を素にして。

これ以上付け加えることはないのだが、記録として、雑食砂岩Sは酸が少ない分若干弱弱しく、まだまだ樽試飲的な出来上がりである。九月に再度試飲するしかない。貝殻石灰Sはバランスが良く、万人向けであろう。さて、ロートリーゲンスSであるが、先日のシェーンレーバーと比較して明晰さで秀でているが、それが甘みとして感じるところは代わらず、少し物足りない。しかし引っ掛かりが無い分、今年のカスターニエンブッシュは、良いかもしれない。

その他ブルグンダーでは、いつもながらの糖を残した造りで一般向けである。ゲヴュルツトラミナーなどはゲオルク・モスバッハー醸造所のそれよりも甘く、些か商業戦略をここに見る思いだ。それでも、メロンパンのようなムスカテラーの透明感や、ソーヴィニオン・ブランの緑のピーマン臭さは流石である。

そしていよいよ恒例のレープホルツ講話の時間である。今年はリースリングの古いものが次々と出された。先ずは2.08G残糖の1983年もの、私はブルグンダーと判断して恥をかいたが、やはり完全に逝っていた。

二つ目は、エコノミラートで、その将来性を考える。

三つ目は、雑食砂岩カビネット2001年物である。2001年は私のペッヒシュタインなどの絶好調のリースリングと比較すると、お話にならない。糖が無いということは経年変化の可能性をなくしているとことでしかない。それでもまだ飲めることを主張するレーブホルツ氏の悩みはそこにあるのだ。

更に対照的なふくやかな2002年のロートリーゲンデスのシュペートレーゼである。なるほどその差は分るのだが、私の2002年のペッヒシュタインの豊穣さとは比較の仕様が無い。

五つ目は、1991年のムスカテラーである。これはゲヴュルツトラミナーではないかとの声が出たが、そのようにそれらしさがなくなっていた。

六つ目が1991年のゲヴュルツトラミナーで、これはまさにレヴァーなどの食事にあわせられる。

それと現在のゲヴュルツトラミナーを比較する。

八つ目が、2011年のシュペートブルグンダーのロゼで、最後は6.8Gの酸の1991年のロゼで酸だけの味だった。

レープホルツのティピカルなワインを理解している家庭は世界に三桁もいないだろう。そして、その瓶熟成の可能性もグローセスゲヴェックスの経験がまだ足りないので、実証的証明不可能なディレンマがある。それはある意味正直な態度であって、彼のビュルクリン・ヴォルフ醸造所でさえ未だに2001年産の将来に掛かっているのである。そこでも精々十年の可能性を証明しているに過ぎない。

しかし、ドイツのリースリング批評において顧客としてオピニオンリーダになりつつある私としては、それほど気にすることは無いと言いたい。五年経った時に完熟していればそれで良しなのだ。むしろ、彼らに示したようにSの飲み頃や、食事とのあわせ方に醸造所内で十分な議論がなされる方が重要なのである ― これに関しては顧客からのフィードバックが大切であることを醸造所にそれとなく指導している。九月にはクリストマン氏とヴィットマン氏を迎えてお披露目をするようだが、招待状がこれば考える。

帰りに最後まで居残っていた、「二日続けて来る」と言うとレープホルツ親爺に「明日も同じワインしかない」と言われていた馴染みの夫婦づれと情報交換をした。ベッカーのベーシックなピノノワールとゼーガーのセメント味のピノノワールやバーデンのフーバーに関してである。

それにしてもレープホルツ親仁やそのおじいさんの言うことが私の言い草に近い。つまり、幾ら飲んでも飲んでも飲み飽きない、飲めるワインが日常消費の良いワインであり、勿論酔い心地が良いことである。同時に食事に合うワインとは感覚を鋭くして、その食事の味を引き立て、食事がワインを引き立てる感覚的な遊びなのである。その意味からも「エコノミラート」は凄い。



参照:
六月とはこれ如何に? 2011-06-07 | 試飲百景
辺境の伝統の塩味ピーマン 2009-05-26 | 試飲百景
偏屈者の国際市場戦略 2008-05-28 | 試飲百景
良酒に休肝日など要らない 2009-05-08 | ワイン
# by pfaelzerwein | 2012-05-20 05:08 | 試飲百景 | Trackback | Comments(0)
とてもちぐはぐな一週間
水曜日にはオキュパイ運動のドイツの拠点フランクフルトの銀行街のテントなどが強制撤去された。何もかもブロックしてしまう運動ブロキュパイ運動は本日大デモンストレーションを開催する。千人以上の参加が見込まれている。

水曜日はシュヴァルツヴァルトでは雪が積もり夏タイヤで閉じ込められたようである。それほど寒く雨がぱらついていたので石切り場などに行くつもりは無かったのだが、またまた相棒の医者がどうしても行きたがるので、練習台になってお相手した。オーヴァーハングはあまり湿り気に関係ないのでやっつけ仕事ととした。それ以外には、相棒にトップで登る練習をして貰った。困難度五級をどこでも確実に登れるようになるのが今シーズンの彼の達成レヴェルであろうか。七級の場所に挑戦するよりも習うことが多いのだが、まだそこが十分に理解出来ていないようである。

寒さの中で八時過ぎまで登っていたので殆ど風邪を引きそうになった。金曜日も気温は上がったが今ひとつはっきりしない湿った気象であったので、思い切ってレープホルツ醸造所の試飲会に速めに参加した。

その前に内履きを買う必要があったからだ。本来ならば岩登りの序によるのだが、全てがちぐはぐで、醸造所へ向かう前にその先へと車を進めた。昨年購入した夏用の内履きが履き心地も良かったので冬も使っていたこともあってか殆ど壊れてしまった。紐が切れる寸前である。

一年しかもたなかった。ポルトガル製である。全く駄目である。購入した翌日に金具が外れて修理したぐらいであるから、今もそれが18ユーロほどで売られているのには驚いた。

それを横目に見て、ドイツ製のシリーズを見つけた。ローデと称するブランドである。少なくとも先の靴で壊れた場所はしっかりしていそうである。履き心地も材料が良いので悪くない。価格は倍になるが、最低二年以上はもってくれると思っている。

さて前日のアルコールを抜いて、寒さによって浮かび出た障害を解消するために一走りする。パンを購入してから、駐車場から峠までのルートである。途中経過時間は変わらず、最初に飛ばした分後まで堪えたが、20分しかし3000歩を切っていたので、一割ほどピッチが伸びていることを語っている。最初の走りによるのだろうか?



参照:
足の指の具合に合わせて 2009-09-14 | 生活
雑食砂岩で新しい靴を試す 2012-05-14 | アウトドーア・環境
# by pfaelzerwein | 2012-05-19 18:06 | 生活 | Trackback | Comments(0)
シェーンレーバって一体?
アルテュール・シュニッツラーの夢日記が初刊行された。世紀末のヴィーンの作家で現在でも多くの読者を持ち、戯曲化されて舞台にも掛かることが多い。絵画や音楽などの芸術と同じく人気の絶えない時代の文学の一つである。

どの一冊でも一度手に取れば、他の作品においてもどのように話が展開していくのかが推測できる。その無常と無益な環境の大波に揺られ続けるのである。そうした作家であるから、当然のことながらフロイト博士はその作家を称えて二重人格と診断している。

待合室で待っていると、シェーンレーバさんと呼ばれるのである。何のことか分らず、それは精神分析では無くて、フロイトの事だった。アメリカのことではなくて、コロムブスだったのだ。

この作家が寝起きに夢日記で記録したのは、その感情的な機微機構であったようで、まさにそこに不安などが正確に細やかに描かれることになるのだろう。

そして正夢も記録されていて、娘リリが自殺をしようとしてそれを止めることが出来なかった夢は、そのまま現実となってファシストの旦那アーノルト・カペリーニの銃で実行される。作品のようにまるで避けられぬ機構のようである。



参照:
Träume, Das Traumtagebuch 1975 – 1931 von Arthur Schnitzler
Im Wartezimmer von Sigmund Freud, Von Wolfgang Schneider, FAZ vom 15.5.2012
ゲーテには難しい青粘板岩 2012-05-13 | 試飲百景
明治の叶わなかった正夢 2012-02-07 | アウトドーア・環境
夢ではない、目を覚ませ! 2011-10-26 | マスメディア批評
反照の音楽ジャーナリズム 2012-02-27 | 音
呵責・容赦無い保守主義 2007-11-19 | 文学・思想
鹿フィレ肉のクリーミーな香り 2004-11-25 | 料理
甘酸っぱい野いちごの風味 2010-09-01 | 文化一般
コン・リピエーノの世界観 2005-12-15 | 音
微睡の楽園の響き 2005-02-22 | 文学・思想
# by pfaelzerwein | 2012-05-18 04:14 | 文学・思想 | Trackback | Comments(0)
泥酔が愉快でないライフスタイル
承前)それに引き換え軒ならず地下蔵を貸したバッサーマン・ヨルダン醸造所のワインは、三月から比べるとずっと出来上がっていた。甘みも抑えてあり、概ね上出来で、2010年のような除酸の苦労もすることなく、2008年のような嫌味な酸もない。

それならばどれほど安く、良いリースリングが飲めるかと期待するが、それはあまり適わない。先ず、グーツリースリングは悪くは無いが、風味などで魅力は少ないだろう。価格7.90ユーロをどのように見るか?

ラーゲンヴァインでは、ライタープファードからヘアゴットザッカーと悪くは無いが、10ユーロを超える価値があるかとすると、競争力は可也低い。辛うじてキーセルベルクの10.50ユーロが勝負どころである。この価格でこれ以上に魅力あるリースリングは何処で見つかるか?

その他は、ウンゲホイヤーやアウフデアマウワーなど一連のものは悉く競争力を失っている。但し、安心して楽しめる白ワインであることには変わりない。

そこでブルグンダー種を評価すると、ピノブラン、ピノグリの後者は酸が多い年のものの方が楽しめる。同様にシャルドネも上手に醸造していてソーヴィニオンブランなどは新鮮でよい。ムスカテラーもそつが無い。

甘口においてはイエズイーテンガルテンがその土壌の個性を発揮していて良かったが、2011年は甘口の年ではない。

結局、こちらの消費者としての態度如何である。BGM代わりの音楽鑑賞と同じで食事に自動的にワインを開けるライフスタイルとすれば、なにも考えることなく適当に瓶を開けて、グラスに注いで食事を流し込めばよいのである。そうした需要には、7ユーロ程度で飲み応えもあって、尚且つ飲み飽きしないリースリングがあれば十分なのである。そのような目的にはグーツリースリングが適当である。

しかしである、個人的に、最近は晩酌でストレスを解消するという生活から身体を使ってのリラックスと覚めた状態での身体の緊張と緩和でスポーツ能力を高めようとしているので、アルコールに酔うのがあまり愉快でなくなってきている。

要するに晩酌で開放という生活から、食前酒で食欲を刺激して、食事との相性を楽しむワインとなってきていて、そこでは酔い潰れる感覚から程遠くなってきている。身体の運動量やその他神経系の作用に違いない。

そこで必要なワインであり、薬膳のように薬酌となるワインは特別なワインが選ばれるのである。そこではもはや量ではなくて質が問題となる。なるほどリッターワインは安いが、飲み飽きするばかりでなく、パーティーぐらいでないと残りの不味い気の抜けたワインを飲む無駄が生じるのである。

要するに口が贅沢になったのである。そして特別なワインはところ構わず集められるのだが、どうしてもその発見の頻度からしてドイツのリースリングが多くなるのである。若しブルゴーニュに住んでいたならば全く異なる食生活をしているだろう。

青スレートの研ぎ澄まされた薬草香味のリースリング、玄武岩の肌理の細かな酸と静かな熟成、千枚岩の構築感のある透明感、雑食砂岩の厚かましいまでのゴツゴツ感など、こうしたものを食事毎に愉しめたらどんなにか幸せだろう。

そうしたリースリングを毎年探すのが一苦労であり、価格も嵩む。平素の食事に幾らまでの予算が計上可能か?7ユーロを年間180本開けるところを120本以下と削減すると、平均10ユーロ以上まで質を上げることが可能である。それならばシェーンレーバー醸造所のグーツリースリングなど安くて興味深いものを含めて、上限も上がるので予算を超えない。

ドイツのリースリングは今や価格が高く、私が探して食指を動かすようなものは到底市場には乗らず、あったとしても大変高価な商品となる。エリートのワインであるという意味は、その価格ではなく、吟味や取得、保存、飲み頃の推測などと、とんでもなく難しいからである。私自身も、上手に蔵を回すことで、いつも欠乏状態の在庫からその日の一本を選び出す、殆ど綱渡りのような遣り繰りをしているのである。良いワインなどは箱に余って在庫処理なんてことはありえない。(終わり)



参照:
ゲーテには難しい青粘板岩 2012-05-13 | 試飲百景
二分咲き帰りには四分咲き 2012-03-18 | 試飲百景
# by pfaelzerwein | 2012-05-17 05:28 | 試飲百景 | Trackback | Comments(0)
批判的に処する冷静な感覚
承前)オーラトーンの記事にコンスタントにアクセスがある。こちらも関連記事を探した。なるほど私のようにPC絡みでも、ホームシアターとしても、またなによりも生産中止されていることからコレクション心を擽る対象となっているようだ。

そして私が所有しているのは初期型だと分った。後期型はリムにウレタンを使用しているようで穴が開いてしまっている写真もある。それだけでも初期型の布製のものの方がよいことが分った。

自身のものは、80年代初めにスーパーダイエーの専門店にて安売りで入手したものだったから、それほど初期型ではないと思っていたが、ユニットのねじ止めが十字架形配置で後期の×形配置ではない。それでもスタジオで見かける旧式のものからすると大量生産商品だろう。

十五年ほど全く使用していなかったので状態は良いのだが、暫く箱に詰めて放って置いたのでスポンジのカヴァーがボロボロになってゴミが出てまた外れ易いので両面テープで留めてある。PCに繋いで映画を見たり、ネット放送を聴いたりサムプルの音出しなどには十分で重宝している。

ミキサー卓上においてあるように目前で真ん中のモニターを眺めながら音出しすると、定位だけでなく、位相の乱れが少ないのでマイクからの距離感やミキシングなども比較的分りやすい。そうしたヘッドフォーンでも分りにくい面も確認可能である。

久しぶりに車中で聞くようなラジオの文化放送波をこれで流してみると、特にコンサート中継などはその中域の張った音も然ることながら、オーケストラの楽器間などの間合いが分り過ぎて、興醒めで通して聞く気にすらならない。日本で嘗ては、エアーチェックと称して海外からの中継録音などを熱心に聞いていたのが嘘のようである ― どうも昨今はWIFIのインターネットラジオが人気あるようだ。

なるほど1990年代にはドイツにおいてもハイクオリティーデジタル中継DSRがあり、その当時のDAT録音を聞くと、生中継などは副調整室並の音響で捉えられているのを確認でき、バイエルン放送交響楽団を指揮したオットー・クレムペラーやイッセルシュテット指揮などの放送録音などの瑞々しい臨場感は素晴らしいが、ネット放送にはそこまでのものは求められないだろう。

その原因は様々だろうが、車中で聞き流す環境に比べて、PCの前で音楽を聞くというのはどうしても批判的な耳が働きやすいようで、特に上のようなスピーカーで聞くと演奏や録音の技術的な荒が目立つからなのだ。丁度これを書きながらフランクフルト放饗にデビューしたイェルビ指揮のブラームス作曲交響曲二番に耳を傾ける。楽団も嘗てのように弾き込めていなくお上手にも上等ではなく、指揮者にとっても只のレパートリーの一曲でしかないのだから全くものになっていない。もはやこうした曲を今後如何に演奏しても20世紀の演奏芸術の域には到底及ばない。

さて、フランク・シェーンレーバーに持って来て貰ったグーツリースリングであるが、予想通りの出来であった。味の妙味からすると2009年の方が複雑味があったかも知れないが、より厚みがあってバランスが良い。スレートの旨みも満載でハーブ風味が効いているので時間変化とともに変化があり飽きが来ない。この価格としては秀逸である。減酸のあとを批判的に飲みたくないので2010年は購入しなかったが、殆どこれは我が家のスタンダードワインである。青く研ぎ澄まされたスレートとはまた異なるスレート味をここまで愉しませて貰うとそれ以上付け加えることは無い。(続く



参照:
世界の机の前に齧り付く 2008-06-15 | テクニック
前に広がる無限の想像力 2008-06-17 | 音
# by pfaelzerwein | 2012-05-16 06:45 | 雑感 | Trackback | Comments(0)
香川真司の沈黙を読み取る
ドルトムントの勝利後の様子が月曜日のスポーツ欄を飾っている。その中でも香川のニュースは一つの記事として写真付で大きく報じられている。「別れの辛さ」と一面の副見出しにもなっている記事である。

ボルシア・ドルトムントがレアルマドリッドに移ったトルコ人ヌリ・シャーヒンに続いてスター選手を失おうとしているとして、香川の能力について述べている。

速い足、速い反応力、数知れないトリック、パスへの視覚を持った選手。もう一二年は引き止めたかった社長のヴェツッケであるが、香川はそれに対して一度も首を振っていない。

そこで試合の当日には、プリミエリーグの決勝戦前日に拘らずブンデスリーグを高く評価するユナイテッド・マンチェスターのアレックス・フェルフガーソン監督が香川の活躍に興奮に満ちた熱い視線を送っていたのである。

二年前にJリーグ二部のセレッソ・大阪から引き抜かれて、予想では来シーズンは移籍金二万ユーロでカイザースラウテルンの赤鬼に移るともある。世話人であるトーマス・クロートが、ベルリンでのパーティーでも悲しそうな表情で「今日はなにも語らない」とするのは本人と同じでそこに別れにおいての心理的な拘りがあると読まれている。

その一方でレアルやユナイテッドのような高額報酬を回収できるような状況にはドルトムントは無いことから今後もこうした移籍が続くとされる。そうした理性的な判断をするドイツで十分に若い香川も学んだのであろう。選手自体も札束の前では自分自身も十分な対応が出来ないことが多く、プロとしての将来への展望とともに、沈黙が理解できるとしている。



参照:
Wie ein Abschiedsspiel, Shinji Kagawa steht vor einem Wechsel nach England, FAZ vom 14.5.2012
神戸のサッカー小僧の順応性 2010-11-02 | 雑感
強い意思と「努力」あるのみ 2012-03-12 | 文化一般
自由の勝利を自ら掴め! 2012-03-27 | マスメディア批評
# by pfaelzerwein | 2012-05-15 03:11 | マスメディア批評 | Trackback | Comments(0)
ゲーテには難しい青粘板岩
インサイダー情報を堪能した。そもそもナーヘのシェーンレーバー醸造所におなじみのワインをバッサーマン・ヨルダン醸造所に運んで貰うこと自体が、既にインサイダーであるが、見かけたところ数件の同じような顧客が居たようだ。

先ずは「ハーモニーの年度」と自らが呼ぶシェーンレーバーを試す前に、友人の元の大家さん夫婦に出会って、先週の試飲会に現地へと出向いたと聞いた。これまた熱心な愛好家と思って、話をしていると奥さんがモンツィンゲンの隣町の出身で、不耕地になるワインの地所をシェンレーバーに貸し付けたと聞いた。

南向きの斜面でその土壌は分らないが、シェンレーバーは一年間掛けて自分の苗を植えつけて様子を見ての判断だったというのである。流石に一流のワイン造りをする醸造所だけの商売上手である。無事契約が成立して、そこの葡萄が今後はなにかに使われるのだろう。上流の山間であるから量産ものにはならないだろう。

さて、息子さんに挨拶して、「レンツ」から試飲を始める。残糖を感じさせる造りで、その名前からもこの醸造所の代表的フリューリングスプレッツヘンにも似ているが、様々な土壌からのキュヴェーであるという。しかし、実質的には赤スレートが崩れたような土壌の平地部分も含まれているようだ。基本的にはオルツリースリングである。

それを明確にしているのが「ミネラル」と呼ばれるテロワール商品である。これまた酸が隠されていて前者以上に弱い感じがするが、その反面塩味が出ていて、残糖の加減だけであることが分る。個人的には糖がもう少し少なければとても素晴らしいと思うが、スレートの旨さと甘み感はもちつもたれつなので判断が難しい。

さて、次は赤スレートの代表格であるフリューリングスプレッツヘンである。基本的にはロートリーゲンデスもおなじであるが、味の輪郭が暈けた感じはまさしく春暈けの様相で、リースリング愛好家には物足りない。更に引っかかり感があるのは、レープホルツ醸造所のカスタニエンブッシュとも似ているだろう。しかし、2008年産を訪問して試した印象と、レープホルツの毎年の印象を比較すると、酸の質が一寸荒くて酢酸臭さが残念である。やはり2011年の腐りと酸の分解との葛藤にこの結果があるのだろう。

その意味からも先のシェーンレーバーの大家さんにもレーブホルツを薦めたのだが、全く酸が強くて駄目だと言うのである。酸が強いのではなくて糖を落としてあるだけなのだがそうした印象を齎すのと同じように、糖が多いと酸が弱い感じも齎す。要はバランスなのである。

唯一のオールドヴィンテージは2008年ハレンベルクRである。あの時も試飲して最も印象に残ったワインであった。クリーミーに熟成して、酸が引っ込んだとても品が良い薬草酒のようなとても素晴らしいリースリングとなっていた。青スレートでは、グリュンハウス醸造所のアプツベルクや同じルーヴァーのカルトホイザー醸造所のそれを思い起こすが、こうした比較的月並みの土壌から素晴らしい辛口リースリングは意外に少ない。その中でこのハレンベルクは明らかに秀でている。ストュルクチャーも明晰で、なによりもルーヴァーのものと違って格がある。その醸造法については秋にでも訪問の節にでも調査してみたいが、この出来上がりから恥じるべきところは微塵も無いであろう。

あれから三年弱、瓶詰め後二年を越えた2008年ハレンベルク、この醸造所の実力を端的に示した瓶熟のリースリングである。若干酸が引っ込んだ感じとなっていて重みがあるが、ルーヴァーの軽みの2007年アブツべルクの極痩せ感と比較すると、とてもボディー感がある。2008年産のアプツベルクスペリオールぐらいとの比較が適当であろう。

甘口が二種類、単純なカビネットとフリューリングスプレッツヘン・シュペートレーゼ、どちらも凡庸であった。2008年産などの良い年のバッサーマン・ヨルダンより良いわけではない。やはりこの醸造所は辛口の醸造所である。

同じナーヘのデ-ンホフ醸造所が甘口で屈指であると同時に辛口でも良いものを造ると頻繁に聞く。想像であるが、デーンホフの方が俗受けするスレート味の辛口を出しているのだろう。

大俗物ゲーテが飲んだで感動したのは赤スレートのモンティンガーに違いないと考える。(続く



参照:
誉れ高いモンツィンガー 2009-10-06 | マスメディア批評
立ちはだかる一途な味覚 2009-09-27 | 試飲百景
政治への強硬な姿勢 2012-05-10 | ワイン
真直ぐに焼け焦げた軌道 2009-09-29 | 試飲百景
# by pfaelzerwein | 2012-05-14 20:16 | 試飲百景 | Trackback | Comments(0)
雑食砂岩で新しい靴を試す
前日の試飲会のアルコールが身体に残っていた。そこで快晴であり肌寒いぐらいなのでパンを取りに行き、峠まで走った。三回目である。初めて時計が20分を超えなかった。23分、21分から徐々にタイムを上げて歩数も3000歩に減ってきている。足が前に出るようになっているのだろう。途中の計測タイムは12分、16分の標準タイムだったので、最後までスピードが落ちなかった結果である。

一汗掻いて、焼きたてのパンを齧ろうとコーヒーを淹れようかと思ったら電話が鳴った。相棒の医者が待ち合わせで置いてきぼりを食ったので電話してきたのだ。午後からならば内履きのアウトレットでの買い物に寄る序に登っても良いとなったのだが、方々電話をして後追いで其々出かけることになった。

写真の小さな岩肌を探すのに各々が大変時間を掛けて、結局各々一時間以上遅れて到着した。私自身も一時間半ほど歩き回った。それでも岩の状態から三本しか取れていないルートを全て登った。五級、六級、七級である。

南プファルツの七級はとても難しいので苦労した。レイバックの足を突っ張るところが上へと屋根のように被ってきていて狭くなっていくのと、突っ張るその壁自体が外向きなのと、手掛かりが只の割れ目の棚の角でしかないのはとても骨が折れる。結局開脚して登ったが崩れかけのうろこ状の岩肌も大分壊した。

新しい靴を本格的に同地の砂岩で試したのだが、そのような上向きのツッパリでは爪先が上手く吸い付かないので難しい。やはりオーヴァーハングやレイバック用に他のタイプの靴が必要である。

それに反して予想通り垂壁では、埋め込まれている小石に乗って剥がしてしまうほどに立てて、そのように足場にポイントで正確に乗りやすいので優れている。今回のようなマイナーな岩場でなくて、よく登られているクラシックなルートでなら六級も上手にこなせそうな事を確認した。

むしろ、五級のルートの苔交じりのざらざらした場所では正確な加重が図れないので、打って響く感じが得られない。その程度の斜面だからそれ以上のものをというものではないが、まずまずと言う印象である。

全体の印象としてはやはり上へと伸び上がる動作とパワーを与えやすいことは確かであって、ファィヴテン・アナサジ・ヴェルトは優れものには違いない。更に長く履いていても苦にならないようにフィットしてきて、靴紐の締め方で真剣度を変えられるのも嬉しい。

久しぶりに、ヨセミテ経験の石切り場の開拓者の一人と同行できて勉強になった。腰を痛めていたのでお休みしていたのだが、ダイエットでか顔もげっそりとしていて、大丈夫かとも思うが、流石に身軽になった分だけアクロバットな登り方に驚いた。60過ぎの爺さんにしては身体が動き過ぎである。


追記:日本のネットでスカイツリーで立ち入りで逮捕された若者がいた。詳しくは日本のマスメディアの常で伏せられていたが ― 死者や被害者や容疑者の生命(姓名)を喜んで見せしめに公表する日本のメディアであるが、スカイツリーの初登攀を目指していたのは間違いないだろう。世界中にビルディングクライマーと呼ばれる馬鹿者達がいるのだが、最初に素手で頂上まで登りきれば記録に残るだろう。しかし、まともな大人の考えることではない、幾らでも難しいスポーツクライミングの課題は山ほどあるのだから。



参照:
週末のストレス解消次第 2012-05-09 | 生活
走って走って走るのが一番 2012-04-15 | 生活
垂壁の5.10への米国製靴 2012-03-22 | 雑感
攻撃的な身体にしたのよ 2012-04-29 | 生活
# by pfaelzerwein | 2012-05-14 04:43 | アウトドーア・環境 | Trackback | Comments(0)
アドルノ先生とすべき議論
海賊党の姿勢に対して著作権者が署名運動をして強い抗議行動となっている。同時にネットでは知的創造に関わる議論が海賊党内外で盛んになっている。

連邦代表理事のユリア・シュラムは、自身のツイッター上で、「デモクラシーやフリーダムの定義のみで争っているのではなくて、アートの定義について争っているのだ」と声明した。

つまり、「芸術家が消費の需要者に落ちてしまって、もはやそれそれは芸術であるか?」と消費社会への批判を持ち込むとき、おのずからアドルノの名前がそこに輝き始め、「文化工業」というハッシュが出来上がった。

こうした状況を受けて、ベルリンの代議士ラウワーは、「そもそも芸術の定義などを党がすべきではなく、嘗てバイエルン首相フランツ・ヨゼフ・シュトラウスが何十年も前に試みたことだ」とはしながらも、著作権問題で大きな反響と批判があったことから、「真剣に受け止める必要がある」としている。

しかしながら、芸術の商品の差異を定義することは歴史的にも難しく、今回の創作者からの抗議においても、所謂著作隣接権のみならず著作量料徴収団体などの協力無しにその知的創造物が管理もされず報酬されないことを明確にしている。

なるほどアドルノが正しいとしても、その文化工業の概念を議論するにはとても津リッターでは役に立たないと言う事実も浮かび上がり、一般の多くの市民がともに声を挙げる海賊党のありかあの根幹にも関わるものであるのは間違いないであろう。

そして海賊自体にはそうした論争の文化が無く、自らの提案が藁人形を自ら打つだけでしかないと、この新しい政治結社の声に注目する。ネット文化のツィッターの限界を明らかにするとともに、従来の政治では市民の声が反映されない問題点をもあからさまにしていることには間違いない。



参照:
Wir müssen das ernst nehmen - aber was genau?, Stefan Schulz vom 11.5.2012
海賊党が問題提議したもの 2012-04-22 | 文化一般
頭の悪い人達が集まる業界 2010-02-11 | マスメディア批評
天を仰ぐ山寨からの風景 2009-01-12 | 文化一般
著作権のコピーライト-序章 2005-08-05 | 文化一般
社会資本の換金請負 2005-07-15 | 歴史・時事
文化の「博物館化」 2004-11-13 | 文化一般
政治への強硬な姿勢 2012-05-10 | ワイン
# by pfaelzerwein | 2012-05-13 02:41 | マスメディア批評 | Trackback | Comments(0)
貧相な幕府小役人の写真
独日修交150周年記念の展示にあったオウレンブルク卿の写真集が出ている。1860年に合衆国などの諸国に遅れないと、開港の不平等条約を締結するために1860年九月にプロシアから送られた外交団である。

その時、合衆国のペリー使節団が僅か一つのカメラによって長い鎖国を1854年に抉じ開けたとき記録すべき写真が十分に撮られなかったのを補うかのように、六つのカメラや様々なレンズ2500枚の代償の硝子盤や化学薬品、携帯暗室などが、16個のカビネットに収められて、遠征の装備として予算化された。〆て2500定刻ターラーと計上されている。

その資料をベルリンの秘密資料として見つけて、ロンドンのブリティッシュライブラリーでのプロシア使節団日本遠征の記録を確かめ、あるはずべきな写真の数々への捜査と相成った。

ドイツ語と2003年の暑い夏と戦いながらのオウレンブルク卿の旅日記を発見したセバスッチァン・ドブソンの成果であった。それがここに収められているようだ。江戸では、ペリー提督に同行した記録画家のヴィルヘルム・ハイネがオウレンブルク体においても協力したことで可也多くの撮影が可能になったとされていて、米国人と同じ轍を踏まなかったとされる。

その理由には、写真への信頼と言うような技術的なものではなく、自らの嫡出の息子への仕事を与えるためのものだったとされて、今でもどこぞの首長がやっているようなことである。

そして2007年に秘密文書の山の中から見つけたのが200枚に及ぶ写真の数々であり、長崎までその撮影地は日本中を動いているのは周知のことである。それでも当時ベルリンへと届けられたオウレンブルクの報告書の一つの封筒には250枚の写真が含まれていた筈で、更に合わせて千枚以上が撮影されている筈だとしている。

それでは、その写真の数々は何処に行ってしまったか?1870年のベルリンにその痕跡はベリリンの写真家レオポルト・アーレントに途絶える。そこで、写真が百枚単位で焼付けされて売られている。1861年にハイネやアルバート・ベルクが戻ってきたときにはそのネガは既に無くなっていたと言う。


写真:オウレンブルク卿の江戸幕府との修好条約書日本語版原文。徳川慶喜は関連文書に源氏慶喜と署名している。



参照:
Die Jungs von der Thetis im Teehaus, Carsten Germis, FAZ vom 10.05.2012 - Unter den Augen des Preußen Adlers, Sebastian Dobson, Indicium Verlag, München
創造する首が無ければ 2012-01-31 | 文化一般
上を向いて歩こうよ 2012-02-03 | 生活
# by pfaelzerwein | 2012-05-11 22:42 | 歴史・時事 | Trackback | Comments(0)
政治への強硬な姿勢
連邦共和国内務大臣フリードリッヒがイスラム過激派サラティンに対して強硬に対処することを明らかにした。つまり原理主義サラティンはイデオロギーであると認定して、その暴力行使が自由民主主義を脅かすものとして根から刈り取る政策を打ち出したことになる。

キリスト教民主同盟内でも強制送還などの強制手段を用いても共和国から一掃することが要請される。反自由民主主義的な古代のイデオロギーを認めないことは当然であり、共産主義を含めてそれらを反社会勢力と見做すことは正しい。

その一方、海賊党の躍進が示すように、ホロコースト修正派が逮捕されるような状態も心情の自由の声明を禁じているものとして本当の自由を勝ち得るとする運動も勢力を増している ― 当然ながらこうした問題にネットポータルが関わってくるので今後フェースブック問題は政治問題化しかねない。

それは同時に日本の社会で見られるような検閲と権益のマスメディアの支援を受けた「既得権益勢力の権力構造」打倒への運動として最重要視されべき自由民主主義への戦いの姿勢でもある。

そうした批判の一つとして合衆国との距離を置こうとしてワシントンからも陥れられようとする小沢何某へのマスメディアの攻撃が批判されるが、それは本末転倒も甚だしい。ジャーナリズムが護るべきは、現在においては自由民主主義でしかない。ああした田中角栄直伝の金権選挙・金権政治を許すことは闇将軍とか関白政治とか呼ばれる薄汚い閉鎖された政治そのものであって、自由民主主義からは程遠い正しくホロコーストの行為に相当する蛮行でしかない。そうしたものを許すぐらいならば、先ずはネットを使った政治活動や供託金の減額へと運動を起こして海賊党を推し進めるべきなのだ。そうすれば、恐らく日本でも海賊党は緑の党を脅かして、第三党となることは間違いなく、マスメディアの推進した二大政党制は容易に打破されるに違いない。

昨日天気予想よりも状況がよく、石切り場でまた四時間以上仕事をした。十分に乾いていなかったのでトップロープを用いたところもあったが、概ね5.10cまでのハイグレードな練習となった。一本は垂壁からオーヴァーハング交じりで気合が必要であったが、何回か挑戦すれば完璧にこなせそうなことが分った。

相棒の医者はワインには全く知識がないので、その社会について少しレクチャーした。そう言えばプーティン大統領の就任式に今やロスチャイルド家に遣えているシュレーダー前連邦共和国首相の顔が主賓として写されていた。ロシアの天然ガスの利権を扱っている。

土曜日にダイデスハイムのバッサーマン・ヨルダン醸造所で開かれる試飲会にゲスト醸造所として招かれるナーヘのシェーンレーバー醸造所に連絡した。先ずはスタンダードのリースリングを持ってきてくれと頼んだのだ。そして、そちらのスタンドに行く前にバッサーマン・ヨルダンの方に渡しておいてくれても良いと書いた。親切に持って来てくれると回答があって、スタンドに取りに来てくれとあった。若干こうしたコレスポンデンスに政治があるのは当然であるが、私としては少なくとも顧客である限りはバッサーマン・ヨルダンを叱咤激励しなければいけないと考えている。それでなければもはやそこのワインを購入する意味もないであろう。と同時に若い世代への支援表明でもある。徒で車を走らせるよりも僅かでも金が入った方が良いに決まっている。自称VDP会長私設秘書の自負である。「ハーモニーの2011年」とシェーンレーバーが自ら呼んでいる2011年産、とても楽しみである。



参照:
誉れ高いモンツィンガー 2009-10-06 | マスメディア批評
あっと驚く、びっくり水 2011-01-25 | 料理
立ちはだかる一途な味覚 2009-09-27 | 試飲百景
権謀術数議会制民主主義の自覚 2010-01-09 | 歴史・時事
# by pfaelzerwein | 2012-05-10 19:39 | ワイン | Trackback | Comments(0)
第八交響曲をキャンセル
ルツェルンからメールが入った。なんとマーラーの第八交響曲に代わってベートーヴェンとモーツァルトのレクイエムが演奏されるとプログラム変更の連絡である。これではまるで日常茶飯に起こっているスイスの詐欺行為そのものである。

今回のフェスティヴァルのオープニングに開会の辞に続いて演奏される筈であったコンセプトの基本にあるプログラムであったので、演奏者の交代はあってもプログラム変更は無いと誰もが考えていた。

指揮者アバドは今年に入ってからも直前にキャンセルなどを繰り返しているので、ラテン系人としてこうした変更は無いことは無いのだろうが驚きをもって迎えられている。

以下が変更通知のメールの原文で、芸術的理由としか記されていない。早速問質してみる心算であるが、十分な情報は得られないかもしれない。

Sehr geehrte Damen und Herren,
Wir teilen Ihnen mit, dass am 8. August sowie am 10. und 11. August Claudio Abbado das folgende Programm mit der folgenden Besetzung im KKL Luzern dirigieren wird:
Ludwig van Beethoven:
Bühnenmusik zu J ohann Wolfgang von Goethe's Tragödie "Egmont", op. 84 (1809/10) für Sopran, Sprecher und Orchester
Pause
Wolfgang Amadé Mozart
Requiem in d-Moll KV 626 (1791)
Edition von Franz Beyer

LUCERNE FESTIVAL ORCHESTRA
Chor des Bayerischen Rundfunks und Schwedischer Rundfunkchor
Claudio Abbado, Dirigent
Juliane Banse, Sopran (Beethoven)
NN, Sprecher
Anna Prohaska, Sopran (Mozart)
Sara Mingardo, Alt
NN, Tenor
René Pape, Bass
Dieses Programm ersetzt die ursprünglich geplante 8. Sinfonie von Gustav Mahler aus künstlerischen Gründen.
Das Konzertprogramm vom 17. und 18. August bleibt unverändert.
Die Eintrittskarten für die drei Konzerte am 8., 10. und 11. August behalten ihre Gültigkeit.
Wir wünschen Ihnen ein schönes Konzerterlebnis und freuen uns auf Ihren Besuch!
Mit freundlichen Grüssen
Michael Haefliger Friederike Reich
Intendant Leitung Sales

ネットにおいても、指揮者にとって最大のイヴェントを容易に変えるとは思われないので、芸術的以上に健康上の理由との推測もある。しかし今週ベルリンで指揮台に立つ予定であり、それほど健康状態が悪いとは考えられない。

もう一つのブルックナーの交響曲のプログラムはそのままなので、理由は分らない。マーラーのこの大曲自体もレパートリーとしてベルリンでも振っていたことからすれば今更の感は強い。

以下に元々のプログラムを貼り付けるが、テルツュァー少年合唱団や歌手などの問題ではないであろう。

Gustav Mahler
Symphonie Nr. 8 Es-Dur
("Symphonie der Tausend")
Mitwirkende:
Anna Prohaska, Sopran
Juliane Banse, Sopran
Anna Larsson, Alt
Sara Mingardo, Alt
René Pape, Bass
Chor des Bayerischen Rundfunks
Einstudierung: Michael Gläser/Peter Dijkstra
Schwedischer Rundfunkchor
Tölzer Knabenchor
Lucerne Festival Orchestra
Dirigent:
Claudio Abbado

そしてHPには次のようなテロップが流れる。

Claudio Abbado hat sich aus künstlerischen Gründen entschieden, in seinen Konzerten mit dem LUCERNE FESTIVAL ORCHESTRA am 8., 10. und 11. August neu Beethovens Bühnenmusik zu «Egmont» sowie Mozarts Requiem zu dirigieren.

これは明らかに、マーラーのこの曲の演奏を断念せざるを得ない理由が存在すると言うことで、指揮者の芸術的判断であることを明白にしている。理解不可である。



参照:
原発零でも電気零ではない 2012-05-06 | アウトドーア・環境
小細工では動かない大波 2012-04-20 | 雑感
ほとんどコンサートゴアーの様 2012-04-17 | 文化一般
# by pfaelzerwein | 2012-05-09 03:48 | 文化一般 | Trackback | Comments(0)
週末のストレス解消次第
週末は、雨勝ちで気温も低く、だらりと過ごした。土曜日はハイデルベルクへと試飲に行ったので、比較的早起きして飲酒運転に備えるべく、食事などを十分に摂った。前日の快い疲れと同時に、ズボンを履き返るときに膝小僧の内側の直径五センチほどの痣に驚いて、前夜の死闘を思い起こした ― 更に右肘の四・五箇所が瘡蓋になっているのを後に発見。あれだけ静的に運動していても知らないうちに恐怖心から無理に足をひね込んでいるのだと分った。

反面懸案の右手首の調子が良い方向へと進んでいるようで、違和感を感じる角度が少しずつ小さくなってきて、手首が殆ど回るようになってきた。完治も早いかもしれない。

それでも肩などに疲労感が残っていたので日曜日の朝はパンを取りに行く序に峠まで駆け上がった。林道は濡れているが緑が美しく、ジョギングテンポに落として走っても試し試しの前回よりは早く3100歩、21分で峠に到着した。今後回数を重ねれば後一分以上早く走れるのは想定内であり、駐車場に降りてきても40分経過していなかったので、進展が観察された。登りに感じるのは足への酸素の供給問題であるが ― 前回は足の痛みとして翌週に尾を引いたが今回は幾分軽いようだ。また起きてから少し時間が経過している方が能力は高まっているようだ。寝起きはやはり運動能力的に厳しい。

土曜日に届いたCDの殆ど鳴らした。どれもこれも予想通り力の入った力作制作で、メージャーレーベルの最後の時代を飾る作品群である。先ず驚いたのは、テルデックのシカゴ交響楽団と指揮者ダニエル・バレンボイムのピアノでのシェーンベルク曲集である。とても素晴らしい録音である。加齢の影響で高可聴周波域が聞こえ難くなっているかもしれないが十分に伸びているのを感じることも出来る ― 最近再び敏感になった感じがするのだがどうだろう。正しくオーヴァートーン奏法が作品11にて行われているのである。そして同時期の作品16において世界一の交響楽団を駆使して、作品19そしてブゾーニの編曲の組み合わせと、企画、演奏・録音のあらゆる面から上出来であり、もし豪華ブックレット付のフルプライズで購入しても不満はないであろう。他のCDも非常に似ている時代性があってどれも興味深い。



参照:
割れ目を攀じ登る楽しみ 2012-05-07 | アウトドーア・環境
音の鳴らし方、緊張と緩和 2012-05-03 | 音
肌理細かな高CPピノノワール 2012-05-08 | 試飲百景
# by pfaelzerwein | 2012-05-08 22:19 | 生活 | Trackback | Comments(0)
肌理細かな高CPピノノワール
赤ワインを試飲にベルクシュトラーセまで行った。こちらからするとライン平野の向こう側の山懐であり、ハイデルベルクからすると南の町である。コンクリートの採石場工場で有名なライメンである。毎年開かれる試飲会なのであるが参加するのは初めてで、つまらなそうなのを除いて一通り試飲した。

白ワインで購入する価値のものはなかったが、ピノグリなどは上手に造っていた。バリックではなしにフーダーのようなものを使っているのでそれなりの細かな作業が可能になっているようだ。丁度この醸造所から対岸にあるレープホルツ醸造所のバリックものなどと比較すると買えるかもしれない。しかし個人的にはブルグンダー種の白ワインに10ユーロ以上出す用意はない。これならばフランスの白ワインに幾らでも安いものがあるからだ。

リースリングは流石に土壌感が出ていたがコンクリート味は不味い。質は悪くないので飲んでも気持ち悪くはならないだろうが、この種のリースリングしか飲んでいないと本当の白ワインの良さは分らないだろうと思われる。

さて本命の赤ワインであるが、電話であらかじめ聞いていたように、凶作の2010年産が主体であった。レムべルガーも日常消費用から高級まで三種類あり、中間のものが酸が強く、最高のものが緑の香辛料のような独特の香りを放っていて面白かった。悪酔いするかもしれない。

シュペートブルグンダーは、日常消費用のものが酸が強く2010年産をそのまま反映しているが、2008年産の毒の強さはなくて自然な酸が喉越し良くしている。更にその上位のものはタンニンを強く出しており、その反面セメントのミネラル質がとても綺麗である。しかし更にもう一つ上級のRクラスを試すと、更に澄んでいる反面色が薄い。これが2010年の結果であろう。売れ残りの2009年産の最上のRRを試すと今度は色もよく流石に良年の出来が分るが更に数年寝かせて64ユーロの価値があるかどうかは疑問であった。結論からするとRクラスぐらいがとてもよいが、何と言っても最も単純なシュペートブルグンダーのCPに勝てる赤ワインは知らない。

フランスのピノノワールならばこの味質ならば倍の価格は間違いなくするだろう。この価格でフランスで赤ワインを求めてもこれだけ高貴なものは見つからない。とても零細な赤ワインの名醸造家であり、セメント仕立ての土壌感はドイツで稀に見る本格的なピノノワールを排出していることは間違いない。

プファルツのそれのような砂ではなくて、石灰の泥のような濡れる足裏にとこびりつくようなあれである。この単純なワインをフィレステーキに合わせた。食事にあわせると逆に酸が強く感じられたが、開いてくるに従ってバランスが良くなって来る。同じバーデンのデュルバッハ辺りのシュペートブルグンダーにも似ているが、肌理の細かさで秀逸である。



参照:
距離の伸びそうな冬模様 2011-10-25 | 料理
セメントが柔らかくなるように 2011-01-29 | 試飲百景
麗しのブルゴーニュ、待っててよ! 2010-03-26 | ワイン
ハイデルベルクの親方の地所 2010-02-01 | 試飲百景
鹿肉を食らって朝の二時まで遊ぶ 2010-01-30 | 料理
# by pfaelzerwein | 2012-05-07 23:27 | 試飲百景 | Trackback | Comments(0)
割れ目を攀じ登る楽しみ
金曜日は水曜日に続いて石切り場で攻めた。二年前にそこの開拓者の一人から、そこまで熱心に頑張っているなら「あそこを飄々と登れるようになるのと違うのか?」と宿題に出された場所である。昨年も熱心に練習はしていたのだが、なぜかそこを登る機会がなかったのである。一つには嘗て一度途中で断念したように、トップロープでの二度目の機会をどこかで待っていたのかもしれない。

夕方に一雨来たことであり、他の未知のルートを登りたいと思っていたのだが、塞がっていたので、他の課題を探した。岩肌の表面は湿り気を持っているが足の入るような断層の裂け目の中はその前に続いていた乾燥した天候でまだ完全に乾いていると思って覘いてみると、裂け目が縦に二十メートルほど断層上に割れているルートには誰も居なく空いていたのだ。

こうなれば一発勝負で登るしかない。念のために機械仕掛けの楔であるフレンズを持って登りだす。まず最初のハーケンまでが遠いので地上に落ちて足を怪我しないように手ごろなところに黄色の大きさのを掛ける。割れ目に片手を差し込みながら、身体を斜めにしてフレンズを腰から選び出し、もう一方の手で割れ目に差し込む作業は典型的なフレンズの使い方であるが慣れが必要である。目星どおり黄色の大きさが上手く咬んでくれた。

そうなれば安心して一本目のハーケンまで辿り付けて、そこにカラビナを掛けザイルを掛ける。そこで下のフレンズを回収する。さて、二本目のハーケンには頭の高さの場所にある五センチ四方の棚に立たなければ届かない。そこで今度はより大きな青色のフレンズを引っ掛けて万が一の墜落に備えて、頭の高さに手掛かりを探しながら立てた。そこが一つ目の核心部であった。

二つ目の核心部はその左膝が割れ目に入る立ち位置から再び右の壁に指先だけ掛かる穴を手掛かりに、右へと体重を移動させて、割れ目の左の縁にある突起に左足を掛けて立ち上がることで頭の上ぐらいの足場に立ち上がるのであるが、左手は割れ目の縁を上手に使わなければいけないので技術的には難しく、とてもテクニカルなのである。ここでも墜落を恐れて紫のフレンズを掛けようとしたがそれでは小さ過ぎて、黄色を無理やり押し込んだ。赤色が有れば丁度の大きさであった。そして黄色は十分に嵌らずにまた抜けにくい形勢となってしまったのである。そうこうしているうちの雷鳴が轟き雨粒が降ってきたので、一斉に皆は帰り支度を始めたが、こちらはそれ所ではない。このまま雨脚が強くなって断念して降りてしまうとフレンズは回収できない。一個60ユーロ以上の価値である。

そこでもはや退路は断たれた。上へ上へと進むしかないのである。そして目指した場所に立ち上がるのだが、右手は肘まで割れ目に押し込んでこじていないと落下してしまう。左手でカラビナを腰から抜いて、摺りそうな右手でバランスを取りながらハーケンに掛けるところが、冬の室内で何度も練習した重心を動かさずに中間支点を取るロープをリードする場合の最も核心的な技術である。室内でこそ最も有効に身につけることが出来る技術である。

そしてなんとか上のハーケンにカラビナを掛けて、ザイルにぶら下がって下の黄色のフレンズを回収した。雷鳴は轟くが、雨は本格的とはならず、割れ目の中や回りも乾いたままである。そこの立ち位置には記憶があった。以前に断念した最高到達地点であったからだ。それ以上はにっちもさっちも行かなかったのであった。あの時はぜいぜいと肩で息をしていたのを覚えている。我武者羅に力で登っていたからである。あの時と比較すれば耐久力も筋力も身軽さも何もかも優れているのだが、力は最小限にしか使っていない。

そこまでで目指す頂上はもう少しである。割れ目の長さにして三分の二は終えている。そして最後の核心部である。足下の割れ目には奥には鳥の巣の痕らしきもあって中に詰め物もあってなんとなく手掛かり感があったのだが、そこから上は鋼のように鋭い割れ目の岩質で全く中で摩擦が効き難いのである。それゆえにデュルファーテクニックもしくはピアッツァまたはレイバックと呼ばれるツッパリ技術を使うのにも骨が折れるのである。そこで力尽きるのは当然なのだ。

そこで、次のハーケンを目指して出来る限り横の壁に手掛かりを求めて登る。そろそろ死闘も終わりで頭の上に大きな棚が覗いて来ているが、右手も疲れが強くなってきていて、何処まで耐えられるか分らない不安がある。ハーケンにザイルを掛けて、これで抜けられることが分った。棚に駆け上ると思わず勝利の雄叫びが上がる。同時にパートナーに礼を言って、到達点にザイルを架け替える。執拗なまでに静的な登り方に拘ったので、どれほど長い時間経ったかは分らないが、とりわけ時間が掛かった ― やはり内面登攀と呼ばれる摩擦があまり効かない内側に入る部分は外側から様子が伺えないので下から予想するのが難しく、特に頭上の足場に立ち上がるような場所は不安があり躊躇う。それでもこの石切り場でもっともテクニカルな代表的なルートで、その困難度査定の六級上つまりファイヴ・テンよりも遥かに興味深い。ここをとても綺麗に登る人を見かけることがあるが、次の機会には動的な登り方を混ぜることで早く魅せれる登り方が出来るのではないかと思う。兎に角、一部は初見であったが登り切れて大満足である。



参照:
量子力学的跳躍の証明 2012-05-05 | 雑感
友達の道具を使い続ける 2009-07-01 | 雑感
年末が見えると春ももう直ぐ 2011-12-03 | 生活
# by pfaelzerwein | 2012-05-06 21:54 | アウトドーア・環境 | Trackback | Comments(0)
原発零でも電気零ではない
先日車中のラジオで面白いことがニュースとなっていた。連邦共和国市民の確か5%が電気を使っていなくて、その割合は増加していると言うのだ。なにもドイツ人がケチで電気代の高騰で電気の使用を諦めたり、熱狂的な自然保護者や宗教的な清貧を好んで電気を使わなくなったのではないらしい。価格が高騰したので支払能力を超えて電気の供給を止められる戸が高齢者や失業者の中心に増えているのが原因らしい。特にベルリンで多いようだ。

日本も原発ゼロの日を迎えたのだろう。今後は電気を出来るだけ使わない生活を考えるべきで、嘗ての石油危機の一時期に比べるとまだまだ節電は足りないだろう。あの破廉恥でみっともない広告塔を一斉に消すことで、街は暗くなり、ドイツのように高速道路をはじめ国道を暗闇とすることでヘッドライトの光で時速250KM超えで安全に走行が出来るようになるのである。先ずは道路を真っ暗に出来るように近隣を暗闇にする必要がある。

高速道路で多数の死者が出たと言うが、運転手やバス会社を一斉にマスメディが叩くのは、行政がまともな道路を作っていないから事故が起きることを隠しているに過ぎない。あんなに恐ろしい道路を日本中に張り巡らしておきながら世界に多数の車を販売しているようなトヨタが存在しているのが不思議でたまらない。日本人は井戸の中の蛙であるから、高級官僚に都合よくあしらわれているのはマスメディアも同様である。

ルツェルン音楽祭のチケットが届いた。欧州で購入したコンサートの最高額のチケットである。オペラは一度だけ公演間近になって購入したザルツブルクのフェルゼンライトシューレのS席がある。正しくこうした価値は需要と供給の関係で市場価値なのだが、生活必要品でないので需要がなければ市場が成立しない。こうしたものを浮ついた消費とするならば、「明るいナショナル」の不必要な夜の照明もライフスタイルにのみ準拠するものである。なるほど松下幸之助の目指した明るい家庭はあの当時の貧しい日本社会での豊かさの証明であったに違いないのだが、豊かな今日の社会における電気消費はその延長の成金の貧乏根性でしかないのである。

本当の豊かさは、少しでも発展途上国などにその光を譲って、必要最小限のエネルギー消費を目指すライフスタイルにあるのではないだろうか?なるほど不夜城の如くの夜の社会で出生率も落ちて、益々高齢化社会へ進み、経済成長は下火となってエネルギー消費も落ちていく。要するに不夜城の如くの社会は永くは続かないのである。その不可逆の自然の流れを止めることも戻すことは出来ないのであるから、新たな社会構造の中で豊かな生活とライフスタイルを確立していくことこそが工業先進国社会が取り組むべき勤めであり課題なのである。

そして、日本の大企業はその国内市場の巨大性ゆえに世界でも大きな会社として発達したのだから、株主への責任と同時に日本国内への還元をもって会社終了まで歩むべきなのである。それが日本の大企業の使命であり終わりを告げるまでの歴史であるべきなのだ。それぐらいのことを経団連は方針として打ち出すべきなのである。経営も経済も文化なのである。


追記:車中のラジオの16時のSWRニュースでは、本日の東京でのデモの様子と政府への抗議行動について原発零への第一報として伝えていた。



参照:
犯罪行為のオール電化 2012-02-10 | 生活
排出零の節約ライフスタイル 2012-02-04 | アウトドーア・環境
漸く歩みだした廃炉への道 2011-09-03 | アウトドーア・環境
もっと温度が高い筈だが 2011-08-02 | 雑感
ベルリン、原子力の創世と終焉 2011-07-07 | 歴史・時事
再生可能な環境税の導入 2011-06-11 | アウトドーア・環境
首都圏に退避勧告が出た時 2011-03-24 | マスメディア批評
節約の結果としての公共料金 2011-02-13 | 生活
無成長経済は可能か? 2008-11-11 | マスメディア批評
# by pfaelzerwein | 2012-05-05 19:42 | アウトドーア・環境 | Trackback | Comments(0)
量子力学的跳躍の証明
水曜日は軽く二杯ほど南仏のシャルドネで一人祝盃を挙げた。嬉しかったのはいつもの石切り場で課題となっていた箇所が登れたからである。難易度で六級プラスであるから登れて当然なのだが、今まで上手く行かなかった。教えて貰っていた角の裏側にある左手の縦長の穴に指を突っ込んで、それで右足を広めにとってバランスを取りながら、右手で最後のボルトにカラビナを掛けて終わる。昨年まではその状態で立つ姿勢まで持っていけなかった。そして今回は一回目に右手でカラビナを探して掛けようとするとずり落ちてしまった。二回目に見事にカラビナを掛けた。後はカラビナを握ってA0となろうがどうしようが構わない。

それ以前にその前のカラビナに最後の中間支点を取ってから、左手の穴まで伸び上がるのに苦労した。苦肉の策でカラビナをHMSにして直接短くザイルを掛けて、身体が空に彷徨うのを防いだ。勿論レッドポイントで一連の動作を終了する実力はない。それでもその下の中間支点から真っ直ぐに逃げずに登れたのは大成果であり、冬の間オーバーハングを繰り返していたお陰で小さな屋根は苦にならなくなって来ている。

それでも最後の一手が難しいのは南仏でも何度も試みても突破出来なかったところとそっくりである。要するに三点支持で体を維持するのがとても難しいのである。更に身長差で掴みきれないかもしれないと言う不確定要素などもあり、可能な難易度に拘らず突破が危ぶまれていた箇所であった。七級を超えての身長差による不利は認めてもこの程度では納得が行かないのである。勿論大男の実力のある者でもクリアー出来ていない箇所であるが、自分としてはやはり突破しないと具合が悪い箇所である。

そして新しい靴で十分に満足のいく形で制覇したのだった。トップロープで幾ら登れてもその困難度は最後のカラビナを掛けるところにあるので全く意味が異なるのである。冬のトレーニングに続き南仏での試み、完全に5.10への道は開かれた。そのあとは、嘗て厭な感じのしたところなどを新しい靴で登るととても楽なのである。驚くべきこの成果に、ホールで私のコーチをしてくれたペーターが新しい靴を目ざとく見つけて、注目していた。素晴らしい靴であり、文句なく推薦である。

しかし相棒の医師は、引き続きプレッシャーの中にいて、必要もないフレンズなどを購入していて、その使い方などを指導した。冬の間に練習したように戸外でもリードして登らないといけないという強迫観念と、恐怖心の狭間にいるようで、フレンズを使ってなんとか誤魔化そうとしているようであるが、幾らクレッターガルテンであっても室内のように頻繁に中間支点がある訳ではなく、正しく登る練習をしていなければその不安から解消されることはない。今更の如く「室内では決まったことしか練習できない」と悟っても、今のこの初夏の良い時期に進展がないと一年先もあまり期待できない。それなりに本人も自覚してきてはいるようだが。

流石に右手首も知らず知らず酷使していたようでなべを洗うと痛む。今晩辺りは久しぶりに包帯を巻いて明日に備えようかと思う。背中から腰も両鼠蹊部も勿論肩から左右指先まで疲れが残っているが、とても気持ちの良い筋肉痛である。兎に角、冬の間のこつこつとした練習が完全に量子力学的な跳躍を生じさせたのが嬉しいのだ。



参照:
攻撃的な身体にしたのよ 2012-04-29 | 生活
カジュアルと手軽さのシャルドネ 2012-05-02 | ワイン
# by pfaelzerwein | 2012-05-04 23:01 | 雑感 | Trackback | Comments(0)
変遷しない社会の危機管理
澤地久枝(81歳)、瀬戸内寂聴(89歳)、鎌田慧(73歳)の経済産業省前でのハンスト参加の報道に続いて、東電不払い運動の記事が田中龍作ジャーナルを飾っている。その前には個人でのハンスト抗議活動が伝えられていた。如何に抗議の声を上げるかにそれらの報道の視点が絞られる。それは経済産業省前でのハンストを伝えるIWJの現場からの中継においても主催者の声として各々の創意工夫を呼びかけていたことでこれら一連の報道に共通している。

そもそも311以降の事象は、フクシマ禍により原子力・核開発や原子力むらへと光が照らされたのみならず、日本政府の情報の隠匿や統制によってその自己目的化した官僚組織や立法・行政府のあり方を通して非民主主義の現実があからさまになったことでの現代社会の組織的改革の必要性を明らかにしたことである。要するに原発の再稼動への反対の声はなにも原子力発電への技術的な不信感や東電への怒りによって生じているものではないのである。勿論その背景にはエネルギー消費のあり方や経済を含む将来的展望を睨んだエコノミーとエコロジーの環境問題が横たわっているのであるが、その社会環境の一部としての自由民主的な社会の実現化への懐疑が顕著となった。

例えば上の文化人の行動をマスメディアが無視できないようにした功績として捉えるのか、それとも度々の引用で恐縮であるが三島教授が指すような「あのときは皆が脱原発の声を挙げていたな」と言うような一過性の麻疹のような行動であるのか?勿論のこと、原発の容易な継続はありうる二つ目のフクシマによって更なる生存圏の放棄となるから、文化人としても行動に打って出るのが当然なのかもしれない。しかし、前述したように、文化知識人としては同時に更に大きな生存権と戦わなければいけないに違いない。

丁度良い具合に数年前に逝去した社会学者ニクラス・ルーマンが68年学生紛争以降に著した学術論文の内容を扱った新聞記事を学術欄に見つけた。そこで、既に下火となっていた学生運動を振り返って、危機を前提とした教育論で扱っている。つまり社会機構や人々は、各々の環境での希望や一時的な状況に構造を容易に合わせる事には否定的で、先ずは彼らの要求を現実として跳ね除ける、そして初めてそれらと折り合いをつけるようになるというのである。

ここで重要なのは、拒絶の力学である。それは前述の三島教授の推薦人であるハーバーマス教授の議論による社会の変遷の社会の「物理学的構造」と呼べるものかもしれない。学生による運動は、至近な服装への規制の排除などへと、家庭の世界から公の社会での要求へと、つまり学校教育自体でそうした子供の頃からの習慣から公へのギャップの中で失われるものは、公な社会での決まりごとを変えるもしくは見過ごすと言う、其々の職業教育での喪失に対応する関係を見出している。つまり危機である。危機管理の危機の必要性である。

1975年に纏められたルーマンのこの論文は、特に政治または立法においてこうした危機を自ら起こす構造が無いので、公における議論としてその結果の問題化が社会構造の変革を齎すとして、政治構造自体にこうした機能が無い反面、大学教育の場でしか公の議論の可能性が無いので、義務教育における公の場の必要性をも説いている。ここで指す学生とは、社会的に独立しておらず組織内での影響力も無く、それゆえにインターアクティヴな公での議論を引き起こさなければ希望が満たされない立場を指しているのである。

さて、現在に返って日本の状況にこれを当て嵌めると、なぜか団塊の世代と呼ばれる学生紛争世代が脱原発へと大きな声を挙げているが、学生などの将来の世代からはあまり大きな声とはなっていないようだ。そこに行政府の歪な官僚制の継続を読み取るだけでなく、服装の自由化という究極の環境に合わせた服装すら勝ち得なかった日本社会の明らかな閉塞感がそこに見て取れる。社会構造を変遷させるだけの運動とならなかったのは、その規模の如何ではないことも明らかであり、学生運動の不発の尾が引いているからこその三島教授の悲観論なのであろう。日本が戦後も引き続き自由民主的な環境に無いことの貴重な傍証であり、それは戦前から一貫している櫻井よしこが訴えるような理想の社会に近似している証拠である。ありのままの環境を見て見ぬ振りで檻の中で生涯を過ごす従順な民族の営みで、絵に描いた餅の権威に依存することで非西洋的な価値観を現実化させれるとの考え方である。日本の国民に今必要なのは義務でもなんでもない更なる社会的な危機だろうか?



参照:
【東電不払い方法教えます】 ATMで1円少なく振り込む
澤地、瀬戸内、鎌田氏が経産省前テント来訪 「原発再稼働に反対」 (田中龍作ジャーナル) 
Wir brauchen jetzt dringend eine Krise, Andre Kieserling, FAZ vom 2.5.2012
それでも生きていたいのか? 2012-04-09 | 文化一般
自由の勝利を自ら掴め! 2012-03-27 | マスメディア批評
見捨てられた市民の義務? 2012-04-27 | マスメディア批評
不払い運動への準備を整えろ 2011-10-23 | マスメディア批評
不平等には不払いの薦め 2011-10-10 | 歴史・時事
無責任なリセットの構造 2011-12-17 | 歴史・時事
西欧の視座を外から再確認 2011-02-19 | 文化一般
金じゃない営みの表現をする 2011-09-11 | マスメディア批評
人命より尊いものは? 2007-12-06 | 生活
反照に浮かび上る世界観 2008-12-21 | 歴史・時事
# by pfaelzerwein | 2012-05-04 01:33 | 文学・思想 | Trackback | Comments(0)
音の鳴らし方、緊張と緩和
恒例のCD漁りである。第二四半期の割引を使うにはあと二月しかない。先日辺りからデッカのデジタル録音のオペラ安売りが出ていて気になっていた。食指が動いたデュトワ指揮の「ペレアス」全曲やデーヴィス指揮シュターツカペレの「ヘンゼルとグレーテル」などは直ぐに飛んで売れてしまった。新たにパバロッティーのスカラ座での「アイーダ」が出ていた。「アイーダ」の録音ではムーティーのデビュー盤がいつも気になっていたのであるがアナログ録音で今後とも購入することはないであろう。そのためかこの人気オペラはエアーチェックしか所持していない。よく考えると生も体験したことがないのである。それでも今更と思うほどTVなどで飽き飽きするほど見聞きしている。

それでもミラノスカラ座の制作録音らしきものは、LPの「シモンボッカネグラ」や「マクベス」などは所持しているのだがデジタル録音時代になってからはあまり記憶がない ― ついでにクラウディオ・アバド指揮のオペラ上演は録音だけでなくて生でも体験していることを思い出した。今回の「アイーダ」はマゼール指揮であるが試聴すると結構きれいに録音されているようで楽しみである。そう言えばパヴァロッティーのオペラ全曲録音も手元には無いようである。三枚組みで9.99ユーロは嬉しい。

お気に入りのヴァージンの二枚組みシリーズではヒリアードアンサムブルのイタリア・英国マドリガル集を見つけた。どの曲も聞き覚えがないので重なっていないだろう。これは二枚組みで9.99ユーロ。そこに今や堂々たる世界最高の独立系レーベルとなったアルモニアミュンディーの音のカタログ無料をつける。

そしてなによりもシカゴ交響楽団のバレンボイム指揮の録音を纏めたもがヒットチャートに上っていたので調べると、欲しいものは以前から何度も安売りなどで見かけたシェーンベルクの作品集一枚だけであった。「浄められた夜」の録音はフォン・カラヤンのLPと室内楽版を所持している。生での神戸室内合奏団の岩淵龍太郎の解釈を体験してからもはやそれ以上にこの曲に求めるものは無くなった。触りを聞くと流石に当時のシカゴの弦楽器の能力は素晴らしく、改めて興味を引いた。作品16番の方もこれまた手元に録音のあるバーミンガムのラトルの指揮とは大分程度が違いそうである。ブゾーニ編曲のピアノ小曲も含まれていて、これは珍しい。結局廉価版一枚を5.99ユーロで注文。

その過程で一度は数年前に買い物籠に入れたことのあるアバド指揮ヴィーナーフィルハーモニカーのシェーンベルク作曲「ワルシャワからの生き残り」が再び安売りになっているのを偶然に見つけた。ブーレーズ指揮BBC交響楽団盤と比較してみよう。他のヴェーベルンの曲集はいつものコムパレーションであるが、この座付き管弦楽団での演奏は他に所持していない。これも9.99ユーロであるが本当に在庫があるのかどうか分らない。この辺りの録音は纏めて安売りBOXとなって再発売されそうである。

シカゴ交響楽団、ベルリンのフィルハーモニーカーなどの当時の録音を聞いてくると、冷戦当時のソヴィエトのそれと丁度対称となって我武者羅で強健なアンサムブルの特徴を聞き取ることが出来る。「西側の壁」の中にいたものだから、東側の全体主義の非人間的なそれを強く感じていても、自らのは全く気がつかなかったが、その後のアバド監督の下のベルリンのフィルハーモニカーの演奏録音などを聞くと現在のラトルの下でのそれとは違う高圧的なぎこちなさを聞いて取ることが出来る。特にマーラーの交響曲などは指揮者自体も今とは違っていたのだろうが十分に力が抜けないで、とても窮屈な按配となっている ― それこそコンツェルトマイスターにクスマウル氏などを呼び寄せたに拘らずである。

マーラーの交響曲は様々な演奏が数多く録音されているが、全集としての決定盤は無いのだろう。その曲の長さと制作費用からして九曲に後二曲が完璧に仕上げられている例は無いに違いない。今後は益々人件費や市場を考えるとベートヴェンのそれのような完成度の高さをもった制作録音は中々完成されないだろう。それゆえかLPとCDを合わせてもあまり手元には揃っておらず、今回新たに見つけた交響曲七番の録音も所持盤も二種類で、その一種類は英国オルドバラのスネープでの実況録音である。デジタル録音で9.99ユーロの安売りとなっていたのはブーレーズ指揮のクリーヴランド管弦楽団の演奏である。どれほど手間を掛けているかは分らないが少なくとも屈託無く響く音が4Dで録れていて、クレムペラー指揮のLPとは全然異なるのでこれまた面白そうである。その後アバド指揮の同曲のオファーを見つけた。試聴するとLPでの交響曲六番などのシリーズと同じでとても完成度は高いようで評判も良いようだ。しかしネットでも明らかにアナログ時代の録音制作の跡が見えて、LPでも綺麗に響いたことが想像される。演奏解釈も制作意図に則って大変まじめなもので、嘗てのこの指揮者の評判を思い起こさせる。その通りコントラストのつけ方は現在から見ると明らかに物足りない。

いつもウイッシュリストに入っていながら、なくならないうちにと漸く購入したのはヴォルフガンク・リーム作曲のヴァイオリン曲集である。これは販売元のレーベルCPOから2.99ユーロである。6ユーロの割引を差し引いて〆て10枚で42.94ユーロ。若し全部が入手出来れば約10ユーロの予算オーヴァーである。

メーデーは夜中の嵐に起こされて寝坊をした。ゆっくりと過ごすことにしたが、世界共通の休日とは気がつかずに準備をしていなかったので思うように読書も勉強も儘ならなかった。そこで注文と相成ったのであるが、試聴をして重ならないように手元の音盤などを点検がてら音を鳴らしていると、久しぶりにショルティー指揮の「モーゼとアロン」を聞き直すことが出来た。とても素晴らしい録音で、その制作への経過などにも興味を持った。最高級交響楽団を思いのまま手中におさめていた巨匠が付け焼刃で制作したプロダクションとはとても思われず、二つのブーレーズ指揮の録音よりも価値が高いかもしれない。この録音を聞くと、ブーレーズ指揮のオペラ上演よりも音楽的な内容が充実していて、シェーンベルクの音楽技法にいろいろと気づかされる。シェーンベルクの音楽はどのように鳴るべきかを教えてくれるようでとても感慨深い。



参照:
福袋CDエディション 2012-02-28 | 暦
世界を見極める知識経験 2008-07-30 | 文学・思想
対話を喚起する報道の趣味 2010-05-16 | マスメディア批評
# by pfaelzerwein | 2012-05-02 19:53 | | Trackback | Comments(0)
カジュアルと手軽さのシャルドネ
如何にフランスの白ワインがカジュアルで格安かをこのシャドネーが語っている。フランスの白ワインへの賛辞でもある。この地域認証のワインの良さは南フランスの強い陽射しが柑橘系の香りとして瓶詰めされていることだろう。まるで砂糖付けされたレモンを丸齧りするような爽快感と2011年産特有の苦味のようなものが見事である。

醸造所で試飲したときにはまだまだ落ち着きが無く出来上がっていなかったように思えたのは瓶詰めのストレスがあったからかもしれない。そして粗一月して二本目を開けると開きかけていることを確認した。急に暑くなった外気温も関係しているかもしれないが見事である。逆に試飲のときに感じたその奥が見えてしまって、これで全貌が見えてしまった。フランスの至るところで見られる石灰質土壌にその陽射しと乾燥が齎した果実である。

現地の地形は丘のスロープも弱く、殆ど平地での栽培と変わらないが、水捌けは良さそうで独自の水系などが地下にありそうな耕作地である。その耕地面積も広い。ゆえに価格は、アルコール13%で5ユーロを超えないのである。その価格帯で、ドイツの白ワインを比べると、ここまでの完成度の高いワインを探すのは困難である。

なによりも果実の健康な完熟が難しく、アルコール13%に至る糖加重を得る葡萄はグローセスゲヴェックスとなり、手摘みでしかそうした上質の果実を収穫できない。その時点で優に6ユーロを超えてしまうのである。勿論スーパーに行けば3ユーロからドイツの白ワインは提供されているが、リースリング以外の果実からのそれはこうした高貴な味覚があるわけでもなく、不健康な粒の混じったリースリングはモノトーンな味覚しか提供しない。

同様にザールなどの辛口リースリングでは、糖比重を上げられないので収穫を落とさないことには、最初は繊細なバランスをとっていても経年変化で水のようになってしまうのである。その反対にフランスの高級な白ワインは、経年変化を見越して手練手管の醸造をしていることから、最初から若年寄りであり世界市場では扱いやすいが最初から新鮮味も薄い。その点、こうした産地直売のワインは、新鮮で簡単に飲み干せるのが魅力であるが、リースリングと同じように自然の恵みを素直に味わうことが出来る。

纏めると、フランスの白ワインは気候的な有利から廉価であっても上質なものは数限りなくあり、新鮮な瓶詰め二年目以内に飲むならば、恐らく新世界の遺伝子操作した葡萄からのワインを除けば世界で敵無しであろう。しかし、更に財布に余裕があるとして一本10ユーロまでの予算があるとすれば、二年以内に飲み干すリースリングにCP上の軍配が上がる。現在の10ユーロ以下のリースリングと10ユーロ超えのシャブリでは明らかにリースリングの方に軍配が上がる。

さてそれでは10ユーロ代での独仏の白ワインの比較はどうだろうか?その価格帯のリースリングは十分に熟成した果実を使って収穫量を落としているので三年過ぎ四年後の瓶熟成を楽しむことが出来る。経年安定性ではじめてフランスの高級白ワインと比較可能となる。その反面そこに至るまでの瓶詰め後の安定、最初の山、瓶熟成の開始と酸と糖やアルコールとの均衡が複雑なリースリングは不安定であり続けてとても品評するのが難しい。高名なドイツの醸造家でさえそれが的確に説明できない難しさなのである。とても素人が判断できる筈が無い。正しくリースリングがエリートのワインである証である。

さて無差別級の天井知らずとなると、リースリングのグランクリュはまだ十五年の歴史も無い。まだまだ今後のことであるが、バイオ栽培やバイオ醸造などとフランスの現場の教育程度よりも優れているドイツの醸造現場に明らかに有利に働いてきている。その生産量の差から将来的な希少価値や市場価格を考えれば、ドイツの白ワインは超高級品、フランスのそれは日常消費用となることは間違いない。



参照:
硬質な白ワイン @ ワイン日記 (一期一会 【美味しいものとの出会い】)
午前中は雨だった(しかも寒い)今年の花見会 <4>  (Weiβwein Blog)
ほどほどのボディーのKernerです。 (saarweineのワインなどに関してあれこれ)
複雑な構成要素を対極化する 2011-01-28 | 文化一般
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# by pfaelzerwein | 2012-05-01 23:09 | ワイン | Trackback | Comments(0)
ポストプライヴァシーの良識
海賊党の大会が週末に無事終わったようだ。注目されていた代表選挙には、反極右を明確に掲げた41歳のベルント・シュレーマーが選ばれた。それはなにもイデオロギーとしての方向を示すものではなくて社会学的な見地からも興味深い現象かもしれない。

問題となった26歳の前任者ネルツのボトムアップからの大船に乗るような優柔不断の態度は、勿論カテリーナ女帝を手本とするメルケル首相の為政者の立場ならば政治力学の物理学的考慮として十分に力を発揮するのだが、なんら党是も決まらないような2009年に二千人から一万人へと拡大してそして今回は三万人へと党員規模の拡大した政治的影響力のある公党としては受け入れられるものではなかったであろう。

それでも党大会に訪れた僅か1500人の党員は同じ権利で同じように演説してその旨を党員に問う直接民主制をなんら混乱なく遂行したのは前回のビンゲンの大会における混乱とは一線を隔していたようである。アウシュヴィッツ修正主義者の立候補には明確にレッドカードが掲げられてと、ある意味連邦共和国の戦後教育の成果がそこに表れているとしても良いかもしれない。

しかし、そうだろうか?なるほど反国家主義教育は教育の根幹であったかもしれないが、反ユダヤ主義や外国人排斥も必ずしもタブーではなくなってから大分経っている。むしろ一昨年の連邦銀行副総裁の書籍がベストセラーとなったようにそうした考え方に確かな根拠や言い分が存在することを多くが認めており、完全にそうしたタブーから開放されている。

それゆえに、こうしたヴァーチァル世代の良識をそこに見出せるのではないだろう。恐らくそれはネットの威力であり、なにも自国やEUからの視点だけでなく全方位な視野を居ながらにして見せてくれるヴァーチァルの利点でもあろう。

専門店の政党であるべきか百貨店へと進むべきかの議論もあったようだが、それ以上に既成政党とは違う政党を堅持することで、こうした一般良識を政治へと反映させる政治結社としての価値が生じる可能性もあるのではなかろうか?要するに政治は、一般良識では御せない政治力学の中でのプロフェッショナルな領域と見做されてきたが、メルケル首相ではないがネットのオピニオンを上手に吸い上げて纏めていくことで直接民主主義に近い政治も出来るかもしれないという希望も生まれる。

ポスト・プライヴァシーもしくはスパッケリア政治つまりプライヴァシー無き社会を目指した社会作りは決して過半数の支持を得ないとする考え方がある。所謂ヌーディズム運動とこれを置き換えれば分りやすいのであるが、ヌーディズムの醍醐味の開放感と平等意識はその反対の所有やその隠蔽への誘惑と相反するものであり、なんら隠し事がないことへの開放感は隠し事をすることが前提となっている。ゆえに主従を考えれば過半数とはならないということなのだろう。これは同性愛運動が過半数を超えることがないのと同じであろう。

その一方で、シュレーマー新代表は外交政策として国際的な海賊党のネット作りなどを考えているようで、政治結社として各地で定着すれば、所謂無党派層という大きな割合を海賊党が世界中で占めるようになるかもしれない。要するに一般社会市民の良識の党なのである。環境なんて専門家のものでアルゴリズムのように抽象的なものだとする一般良識とは、既成の構造や観念を打ち破るスパッケリア結社となるのだろう。



参照:
Schlömer neuer Vorsitzender der Piratenpartei,
Angebot zum Andersein,
Strurktur statt Spielerei, Marie Katharina Wagner,
Der aufhaltsame Aufstieg einer Partei, FAZ vom 30.4.2012
Wahlkampf einer digitalen Seele, Melanie Mühl, FAZ vom 27.4.2012
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# by pfaelzerwein | 2012-04-30 23:43 | 文学・思想 | Trackback | Comments(0)
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# by pfaelzerwein | 2012-04-30 17:56 | INDEX | Trackback | Comments(0)
とても小さい万単位の需要
日本からのバイヤーがフランクフルトの博覧会「テンデンス」で再生資材の商品を見つけた話が紹介されている。フクシマ以降、日本では再生可能の持続性のある広義のエコ商品が求められていることから、メードインジャーマニーのエコ製品であるケルシュティン・ランク作で展示していた救命胴衣を廃物利用し縫い込んだ手提げバックに注文が入った。

それは、広告デザイナーであったバイロイトに住む女史が、近隣に住む経験豊かな縫い子ボッヒング夫人の才能を借りて完成した手提げ袋である。その手縫いの技にその商品の成功があって、またブリティッシュエアーウェーズと材料となる廃棄処分の胴衣の入手契約を結ぶことも大変だったようだ。航空会社にとっては廃棄料金が必要な備品を売ることが出来るのは大変喜ばしいことなのだが、そうしたものが故意にアフリカの航空会社などに流されて再生利用されることを恐れるから慎重なのである。こうした廃棄処理されたものがどこかに流れることが数限りなく存在する。

IKEAの製品の材料がロシアの切り株から作られているのが明らかになろうとも顧客が逃げないのと同じように、エコのアイデアを表に出すことで新たな市場が開かれた好例であろう。

さて、日本人との契約であるが、最大のネックとなったのは昨年は2000個の商品を仕上げて販売したのだが今年は更に需要が上回るところで、日本人は万単位の個数の供給を最低条件としてきた。こうした事象はありとあらゆる欧州製ブランドの日本への供給時には起こることで、これをクリアーすることで大きな商売となる。それは製作者にとってもそうであり、扱う販売者にとっても同様であり、市場という意味では当然の成り行きである。

その一方、大きなグローバルな市場を目指して必ずしも大量消費品でないものを大量に供給するとなると、当然のことながら欧州での高級品は大量商品としてその内実をどこかで摩り替えてしまわなければいけない。それは自動車などでももはや大衆消費品はドイツでは生産されていないのと同じことである。

今回の場合は、ルーマニアの安いお針子を使ってなんとか供給体制を整えたようで、更にその輸送のエネルギー消費とガスの放出を抑えるために、往復しているトラックに便乗して製品を載せることにしたようである。そうやって、持続性のある社会のための製品のコンセプトを変えることなく日本へも供給できるようになったということである。

日本市場へのこうした動きはここ40年ほど全く変わらなかったのだが、その規模とは比較できない中国市場が出来たことから、もはやそうした応急処置的な供給体制では多くの欧州ブランドは対応できなくなってきており、出来る限りどうせ品質などの分らない俗物の中国人の消費のためには中国国内での生産をそれに充てて、日本へもそれをお裾分けのように配給するのがここ十年ほどに通常化した配給事情であろう。



参照:
Ehrensache, Melanie Mühl, FAZ vom 21.4.2012
相変わらずの分かりにくさ~フランク・パスカル サジェス NV (ワイン大好き~ラブワインな日々~
ほどほどのボディーのKernerです。 (saarweineのワインなどに関してあれこれ)
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# by pfaelzerwein | 2012-04-29 23:13 | | Trackback | Comments(0)
攻撃的な身体にしたのよ
金曜日は南仏から返ってきてはじめて石切り場で登った。乾燥しておらずソールが左右で違う靴で登ったのでとても不安に感じたが、それはそれなりに得ることがあった。やはり難しいところを登りつけるようになっている自信だろうか。以前は指が攣るように感じた場所も余裕を持って対処できるのは有り難い。暫く運動不足気味とは言いながら、体重と筋肉のバランスが良くなって来ているのだろう。

最後に新しい靴で今まで遣りたくても手をつけられなかった箇所をトップロープで処した。核心部の二箇所を登り直す必要があったがなんとかなることが分った。大抵のところは受験の試験と同じで難しさが分れば回答も殆ど準備されているようなもので、何が出来れば綺麗に登れるようになるかも確認した。そこまで行けば遠くないうちに克服出来るに違いない。

ファイヴテンのアナサジのヴェルトは素晴らしい靴である。早く南プファルツの奇岩で試してみたい。兎に角立ち込めるのが嬉しくて、靴を履き替えたとたんに体に力が漲るような感じすら覚える。垂壁にはこれ以上ない靴で、金曜日に試した場所も左右に小さな突起に突っ張ることも容易で、体を少しづつ摺り上げるような動作にも向いている。困難度七級もしくは6bを超えるような垂壁ではもはや手掛かりを下に容易に加重できるような場所は殆ど無いので、如何にあらゆる方向への手掛かりを使って体を引き上げていくかは、様々な足がかりの加重方向を巧く使うかに掛かっているのである。

翌日は独日協会でのハイキングをして、日本にいる妹さんが伊豆などで岩登りをしていると言う人に、「三点支持」などの懐かしい言葉を聞いた。基本中の基本であるが、あれはやはり三点でしっかりと体が支えられると言う基本で、三点で支えられない限り次への移動も無い訳である。南仏で課題となって登れなかったのはまさにそうした場所で、四点でなんとか支えられてもそこから動けなかったのである。要するに三点支持でバランスがどうしても取れなかった。そうした状況は縦の手がかりなどを使って横方向への加重が絡んでいる場合が多いであろう。ダイナミックに蛙跳びをするか、両足でバランスを取る技術を強化するかだろう。解決策はまだ見つからない。金曜の課題も一箇所は完全に縦長の三本指先の浅い手掛かりの使いこなしが二つ目の核心であった。そこに至る下から上への手掛かりは手首の故障を感じさせないぐらいに上手に使えた。

さて、そのお姉さんは私を評して「お元気ですね?」と言うから、私は「それは還暦の退職者への評し方と違う?」と反応したら、「それなら、ガンガン行く感じ」と言われた ― バリバリでないのが味噌。それは最近の筋力増強に基づくホルモン増強か喧嘩腰の態度ゆえか日頃から身の回りで揉め事が絶えない状況を良く示している。どうしてこうも攻撃的な身体になってしまったのか?

温度が高く、残念ながら熱中症を出してしまった。特に危ない可能性が高いと思った人には注意を喚起していたのだが ― つまり若い世代の人は日本でも水の補給の重要さは身についていると思ったのだ ―、見落としてしまっていた。乾燥しているので、本人は摂氏三十度近い暑さに気づかなかったのだろう。後を引かないで呉れたら良いのだが、短い意識喪失はあり、嘔吐もあったようだが、痙攣などは観察されなく血の気も直ぐに戻り全身状態も悪くはなさそうなのでそれほど悪い症状ではなかった。



参照:
時差ぼけが続く春である 2012-03-29 | アウトドーア・環境
地中海を臨んでの幸福感 2012-04-10 | アウトドーア・環境
お運びから学んだ治療法 2012-04-21 | 生活
垂壁の5.10への米国製靴 2012-03-22 | 雑感
# by pfaelzerwein | 2012-04-29 18:43 | 生活 | Trackback | Comments(0)
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