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鉄の時代の金属職人親方

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イタリアの登山家リッカルド・カシンの死をBLOG「月山で2時間もたない男とはつきあうな! 」にて逸早く知った。この六日にコモの自宅にて百歳のアルピニストの生涯を閉じた。個人的には、一昨年この大物のホームグランド周辺に二三日滞在して、現地では重要な人物として毎年誕生日が祝われている事を知った。

主な活躍は1930年代の所謂鉄の時代の最盛期であり、グランドジョラス北壁のウインカー稜の初登頂や地元ピッツ・バディレ北東壁、ドロミテラヴァレド峰等の初登攀が有名である。インタヴュー記事などを読むと、現在の住居レッコに引っ越してきた金属工は12時間週六日働き、毎週日曜日に周りの労働者仲間と岩登りクラブを形成して練磨していたようである。

狙った目標は一度も外さず、一度登り始めれば初登攀をやり遂げて帰宅すると、とても強い意志が感じられる反面、典型的な町工場の社長タイプで絶対に人の尻には浮かず我を押し通したというから恐れいる。その証拠に嘗てのパートナーと喧嘩して、未だに「奴が百五歳で死んだから、俺は一日でも長生きしてやる」と息巻いていたようだが、それは叶わなかった。

大阪を訪問した時付き添った者から聞いた話通り、小男の割に手が長く、異様にごつい手をしていて猿のような親仁だったようだ。そのヴァイタリティーが目に浮ぶようで、78歳にも自らが開いた地元の北東壁ルートを再登している。

我々世代では、岩登りの道具のブランドとして氏の名前は有名であった。片付けてあるそのブランド商品を集めてみると、数点が見つかった。なぜその商品を選んだかというと安かったからである。共通しているのは、綿密に計算されて完成された道具というよりも町工場で作られた素朴な商品という印象である。だから他の高級商品に比べると洗練から程遠く、どれも重くバランスも鈍いのである。その町工場を十年前に吸収されるまで本人が率いていたという。

先月のアルペン協会の機関誌においても昨年暮れに死去した同じグランドジョラス北壁のクロ峰初登攀者ルドルフ・ペータースが特集されていた。その二つのルートを比べると、前者の方より後者の方が岩に張り付いた薄氷を登らばければいけない要素が多く、現在ではそうした場所を得意とする登山者が減っている事でもあり困難とされている。しかし、リッカルド・カシンが活躍していた時代は現在のような靴も無く、ルドルフ・ペータースが12本爪のシュタイクアイゼンを自作して後者のルートを踏破している。カシンがハーケンだけで泣くアイスハンマー商品をブランドの中心に据えて、ペータースが考案したゴム底の特許で生計を立てていたのも面白い。

更に視野を広げると、金属工などが熱心に自らで道具を作り、そうした近代社会の労働者層が熱狂的に自然に挑み、そうした社会層を巻き込んだファシズムにカッシンなどがレジスタンス活動を行なっていたというのが、「アルピニズムの鉄の時代」と呼ばれる矛盾を内包した社会や運動であったのだろう。



参照:
Addio Riccardo Cassin maestro di alpinismo (Gazzetta.it)
CASSIN
by pfaelzerwein | 2009-08-10 00:00 | アウトドーア・環境 | Trackback
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