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般若心経の響くメリスマ

フランス曹洞宗の高僧のお説教を聞いた。あげられた般若心経は久しぶりに耳にする響きで美しいものであった。ドイツ人ほどではないがゆったりとした響きがグレゴリアン聖歌のメリスマのように教会に響く感じはとても効果満点であった。それでいてサンスクリット語ではない漢字なので内容がよく理解出来る。般若心経自体は比較的馴染みがあるが、これほどに広がりのあるお経とは思っていなかった。それでも何処か懐かしい感じが、文化というものなのだろう。

お説教の内容について触れるほど禅については分からない。鈴木大拙全集もその背表紙しか馴染みがない。永平寺も一度しか訪れたことがない。座禅すら組んだこともなく、サンスクリット語の用語となるとお手上げであった。それでも耳についた言葉Mahayana大乗仏教の説明から入り、dharma法へと話が移っていき、現象と感覚の説明を通して、空を語り始めた。そこで、先日話題となっていた生と死の関係が再び導かれる。

決して分離されることのない現象の実存と理解したが、その一例として禅における書が挙げられる。そうして先日の中島氏のパフォーマンスの即物性が間接的に解き明かされた。つまり、禅というのは、決して哲学ではなく、コンセプトでもなく、プラクティスだと言うのである。それが創造の表現であり、実存の書と呼ばれるものらしい。

また一水四見から唯識論へと話題を進め、空の説明と共に、感情の噴きを風と見做すときに、いよいよ見えないものの正体へと言及が及ぶのである。そしてそこでキーワードとなるのが安然と理解した。

また、食事から車の運転、洗面まで全ては生の芸術であるとなるようだ。だから、言葉はあとから付いてくるとなるのだが、なにかをこうして書き改めようとすると、幾ばかりかの概念が必要になる。それは、高等な学問にも当て嵌まることであるが、勝手な自己の概念を適当に当て嵌めてもその本質から遠ざかるばかりである。

今回もドイツ語同時通訳が盛んに注意訂正されたが、それはとても難しいことである。因みに、フランスへの布教は弟子丸泰仙という僧によってなされ、今回のお説教をしたレイゲン・ワン・ゲン師がその意志を継いで、現在はフランス仏教会の会長職にある。アルザスの古山龍門寺の住職である。


仏説摩訶般若波羅蜜多心経

観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空
度一切苦厄 舎利子 色不異空 空不異色 色即是空 
空即是色 受想行識亦復如是 舎利子 是諸法空相 
不生不滅 不垢不浄 不増不減 是故空中 
無色 無受想行識 無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法 
無眼界 乃至無意識界 無無明亦 無無明尽
乃至無老死 亦無老死尽 無苦集滅道 無智亦無得 
以無所得故 菩提薩  依般若波羅蜜多故 
心無 礙 無 礙故 無有恐怖 遠離一切顛倒夢想 
究竟涅槃 三世諸仏 依般若波羅蜜多故 
得阿耨多羅三藐三菩提 故知般若波羅蜜多 
是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪 
能除一切苦 真実不虚 故説般若波羅蜜多呪 
即説呪日 羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 
菩提薩婆訶 般若心経 



参照:
愛しい即物としての「生」 2009-09-28 | 文化一般
皿まで食えないほどの毒 2009-09-26 | 生活
by pfaelzerwein | 2009-10-03 02:10 | | Trackback
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