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権謀術数議会制民主主義の自覚

元旦冒頭に触れたのだが、ケースマン女史の説教は新年の政界の議論の初っ端を切った。 非 戦 論者として活動を続けている宗教家であり、ドイツのプロテスタント教会の長に収まった彼女が放つ言葉は、アフガニスタンに駐留する兵士の士気を削ぐとも非難された。しかしその基調は、即撤退ではなくて、必要悪としての派兵への反対の現実的対応であることから概ね共和国国民の意思とほぼ一致する。それでも、アフガニスタン派兵はナチ親衛隊の派兵とかわらないとする立場は、あまりに素朴過ぎるかも知れないが、彼女は政治家ではなく宗教家であることを思い出せば良い。

その批判の中で「緑の党」に近いベール財団法人代表フュックス氏の「軍事力の行使にキリスト教の基本的価値感から反対する者は、国や神や革命の名に殺害をも厭わない場をも放置するだろう」として「一種の 不 戦 論で民間復興という援助を玩んでいる」と非難する。この見解はとても重要だと考える。

連日のように日本の政治情勢が報道されている。しばしば日本のそれよりも先行して状況を示唆する場合があるのは、日本のそれより合衆国を含む各国記者通しの情報がそこに加味されているからだろう。特に財務大臣の辞任劇は、「影将軍小沢が糸を引いている」とは日本の報道通りであるが、その後の展開を含めて本当の政権抗争がそこに起きている事は十分に感じられる報道である。

小沢何某が宣う民主主義というものは議会制民主主義の信任を得た議席数に比例した権力である事は理解出来るのだが、それ以上にそれを根拠とした首相を筆頭とした政権の行政機関が軍事力を含めた権力を保持していることには他ならない。それ故にか新任の管財務大臣がボトムアップの執行機関としての大臣を標榜している事などがとても面白い。

小沢何某を司法の場に引きづり出すことが出来る権力の行使をじっくりと観察しなければいけないだろう。まさにそこに本来あるべき無名性の官僚機構が存在していて、小沢何某の恫喝で震え上がるような程度の社会機構ではないのは当然である。まさにその機構を開国と共にプロシアの行政法などを参考に構築して来たのが近代日本国であり、そこに核があったのは間違いない。その対象は、裁判員裁判の恨み辛みなどで裁けるものではない筈である。

百年も前のことならば小沢何某は斬首になるところだろうが、今や東欧にもそのような国は徐々に無くなって来ている。この段階まで進めば間違いなく息の根を止めなければいけない。さもなければFAZ新聞が報じるように、「日本の識者は、大変危険な依存状態としている」通りになるであろう。

いずれにしても、中国カードを使った事は日本の政治への国際的関心を一挙に高めたが、今後の政権抗争の行くへと世論のあり方が注目される。小沢何某が「政権交代が出来れば死んでも良い」とか語っていた様に思うが、まさに金や数の力だけでなく、様々な議論や力によって権力者の首を撥ねてしまうことも平和な社会のあるべき基礎構造であろう ― 何某の本望であろう。現実的に、何某がぶち上げた天皇制なども今急いで論じる必要のない機関の問題であって、軍事・警察権力や検察などの上からの行使の仕方のみならず共同体としての下からの意思決定の組織が機能するかどうかは、議会制民主主義が院外から支持されているかどうかの試金石でもある。世論形勢や言論の自由がここで初めて重要になるのは断わるまでもないが、議会制民主主義が議会内活動だけで収束、認知されるものではないのは当然である。

つまらない事をこうして書き綴るよりも、参考になる概念への丸山真男の記述を書き添えて、鳥瞰を得ておこう。1949年に執筆して未完に終った「近代日本思想史における国家理性の問題」の補注として中国語訳に書き加えられた点から、「国家理性」の概念が訳語として熟していないのを補うとして、その歴史的に絶対主義の西欧と深く結びついている事実を挙げ、それを現在も踏襲している国際秩序に言及しつつ以下に続く。

中国古典、とくに「戦国策」の著とか….「権謀術数」は…マキャヴェリスムの訳語としても通用しているように…「国家理性」の政治的実践にかぎりなく近い。けれども、そこには「国家理性」の思想的成熟の盾の反面をなす、主権国家の平等の原則と、それに基づく「国際秩序」のイメージが欠けている。それは「国家理性」のいわば古代的役割に属する、といえよう。

(中略)、批判者は、華夷観念と「冊封」体系とはもともと「礼的秩序」であって、道徳的=文化的レヴェルに位置し、西洋の「権力政治」を前提とした宗主国-属国という国際関係とは本質的に性格が異なっていることを強調した。(後略)…

権力政治に、権力政治としての自己認識があり、国家利益が国家利害の問題として自覚されている限り、そこには同時にそうした権力行使なり利害の意識が伴っている。これに反して、権力行使がそのまま、道徳や倫理の実現であるかのように、道徳的言辞で語られれば語られるほど、そうした「限界」の自覚はうすれて行く。



参照:
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Excite エキサイト : 社会ニュース
by pfaelzerwein | 2010-01-09 00:41 | 歴史・時事 | Trackback
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