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肯定に満ち溢れる朝食の悦び

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昨日宣言したように、朝起きして、森に出かけた。まだまだ明けるのが遅いので、朝起きが億劫である。それ以上に、覆っている霧の上の青空が気になりながらも、気温は氷点前後で今ひとつ活動的にはなれない。更に慢性的な疲労感が月曜病と共にやってくるのである。

パン屋に寄ってからも、入れる筈の気合よりも、何とか手軽に済ませてやろうとする気持ちの方が強く、実際に短いコースを登って降りてきただけである。それでも、登りの後半を駆ける事が出来て、前回は歩いたことを考えれば、それなりに十分な負荷を掛ける事が出来た。

それにしても心肺機能の疲れと言うか、重たさが気になっていたので、本当に走り通せてそれなりの最高速度同タイムで駐車場に戻れて、更に自信がついた。体調不十分のときでも、ある程度の運動能力を発揮できるようにするのは一つの重要な目標である。

先週の金曜日の室内クライミングは二時間ばかりの短いながらも集中した運動だったので、その後に疲れが残っていた。特に肩などの上半身は、思いがけずに酷使していた下半身よりもあとまで疲れが残っていたのである。坂道を重めの靴を履いてジョギングすると、上体を強く鋭い腕の振りで上手に使う必要があるので、駐車場に降りてきたときには肩こりが完全に解されていた。

運動の疲れを他の運動で解していく感覚は色々なトレーニングをするようになってからなんとなく実践してきているが、全身疲労が溜まらない範囲でそれが出来るようになると素晴らしい。それでも、やはり五分も走るとやはり辛い思いもある訳で、強い動機付けがないとこうした鍛錬は続かない。

春らしくなってきたが、まだまだ謝肉祭には一月もある。もう暫くはなかなか寒さと生温さの間で体調維持が難しい。今晩は、肉屋で取ってきた煮豚のほっぺたや腎臓で、もう一息吹き込みたいのである。またストラスブルク風鴨のリレッテを購入してきたので、これを塗ってまた新鮮なパンを楽しめるのがとても愉悦の想いなのである。

朝食の喜びは、何か他のものとは異なる肯定的に満ち溢れているのである。いつもの月曜のことで忙しいような気持ちだけであまり仕事は捗らなかったが、こうした朝は希望に満ち溢れていて何よりもである ― それでもこうして夕飯の豚煮の前にピノグリとおつなデリカテッセンを愉しんでも何一つ否定的なものもないのである。

昨年の今頃書いたものを読むと、今年とは全く違う昨年だったことを思い出す。似ているのはこの時期特有の心理的な弱い一種の欝であり ― やはり氷河での新雪スキーもしていないので強い日差しを長く浴びていないヴィタミン不足などの影響もあるようだ、十一月のそれを今年はあまり感じなかったのと反比例しているかもしれない。それでも少なくとも新しい靴を買ってから一挙に生活がスポーティーになってきた。冬休み無しのフリークライミング鍛錬の成果もあるのだろうが、こうなれば未だ嘗てなかった状態で本格的な春を迎えるのが楽しみなのである。
by pfaelzerwein | 2011-02-08 03:39 | 料理 | Trackback
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