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非人間的な近代と優しい新環境

承前)先の記事に関して、色々と考えることもあり人に問いかけてみたりしている。また、リンクを送った患者の旦那からはまだ反応がない。必ずしも人を惑わすような内容ではないのだが、こうした高級紙としてはある程度当事者に語りかける内容ともなっているにも拘らず、やはり読者層を標的としているのでそれほど素朴な考え方には対応していないかもしれない。

「試してみる代わりに専門的に、世界観の代わりに科学を」として、「非人間的な近代医学と優しい自然治癒療法」を組み合わせるとする考え方はポストモダーンの流れの中での典型的なものの一つであろう。こうした考え方をするにはなるほど自己の視座が築かれている必要があり、それは最も従来の宗教観とは遠く、近代科学信仰とも一線を隔しているに違いない。

日本においても、最近嘗ての霊感商法や規制が厳しくなった眉唾物の自然治癒商品に加えてさらに歴史的背景もあるホメオパティーなども問題になったようであるが、上の書物ではスイスでは公的となっているルドルフ・シュタイナーの人智学医学を紹介して、それを必ずしも端から否定していないようだ。察する所、これはまさに科学ではなしに世界観の問題であり、精神がそこでは重要となるように思われる。そしてやはり人智学的なものをドイツではなかなか排除できないに違いない。

ルドルフ・シュタイナーの農業であるビオ・デュナミをみれば分かるが、そもそも科学的には証明が不可能に近いものを重要視していることから、こうした人智学自体が近代社会へのアンチテーゼとして生じたことが一目瞭然であり、それについては中身を議論の仕様がない。中国の風水なども近代には関係ないが良く似たものである。

そもそも健康とか病気とかとは異なり、「フィット」とか好不調とか呼ばれるものは心理的な尺度であって、一種の精神論の範疇を超えないので、やはり人間の認知力にも関わっており教育などにも大きく作用される事案であろう。ここでも日本のクライストチャーチ地震に纏わる恐らく連日のように繰り広げられている「お悔やみジャーナリズム」で商売ができるマスメディアを支えているのがそうした教育でありそうした認知力をもった視聴者となる ― 序ながら一度はゆっくり訪ねてみたいと思っているニュージーランドのその「暢気な人々」の話を聞けば、ドイツや日本などと違って壊れたらそのままでむしろテント生活を続けてしまうかもしれないという社会らしい。これも一種の脱近代なのだろう。

「臨終で可能性がなくても汗を掻くぐらいに心臓マッサージをして初めて親族は納得する」と外科医が語ったことを思い起こせば、殆ど可能性がなくても少なくとも最後まで苦渋の救出活動をして見せることが本当のお悔やみになるのである。朝鮮半島の泣き女とは些か異なるが、こうしたところにとてもその固有の文化を感じるのである。そうした歴史的な解析を許さないほどのもろもろの心理的な文化背景と近代的な社会や文化的思考との組み合わせ方の妙が関心ごとであるのだ。

医療や医学に戻れば、前近代的なあらゆるものを再び科学していくことで新たな可能性がそこに見出される可能性は零とは言えないのだが、ライフスタイルとしてのポストモダーン思考が人間を退化させることがないようにやはり教育が重要である。民間療法を包み込むような形での今回の提案を治療統合化とするためには、それだけ経済的にも豊かで高い教育を受けた構成員の社会が必要となるのだろう。そして、その各々の構成員、要するに其々の遺伝子相違を踏まえたオーダーメードの治療法の進展が医療の最前線であると書かれていた。それだけの余裕が社会にも求められており、そのためには何が必要かとなるのだろう。



参照:
西欧の視座を外から再確認 2011-02-19 | 文化一般
郷に入るユンカーの領地にて 2011-02-11 | 雑感
医療現場の芸術の素材感 2010-06-16 | アウトドーア・環境
万世一系、無窮のいきほひ 2010-01-17 | 歴史・時事
『西宮の山岳信仰』 西宮市立郷土資料館 第26回特別展示 (NEXT DREAM 記憶と記録)
by pfaelzerwein | 2011-02-27 00:53 | アウトドーア・環境 | Trackback
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