人気ブログランキング | 話題のタグを見る

脱リビア、脱毛、脱貧困

リビアから脱出が話題になっている。昨日の新聞によると、最も多いのはエジプト人、バングラデッシュ、中共、フィリッピン、チュネジアで三万人づつ、イタリアの外相は「出リビア」と呼んでいるトルコからの労働者が二万五千人と続き、タイ人、インド人、医療関係の三千人のウクライナ人となっている。

皆、月々300ダラーの支払いで雇われており、三十パーセントに至る自国の若い失業者よりも役に立つ労働力だからであると言う。総人口の四分の一に相当する百七十万人が出稼ぎ労働者だった。

フンダメンタルの投資に百五十億ダラーの大計画が進行中で、二百に上るトルコ企業が進出していて今回の救出活動が大掛かりになった所以である。更に、352KMに及ぶ海岸線と800KMの内陸の地下資源輸送路となる鉄道開発や石油事業に中国企業が進出していたからである。中共は、フェリーで労働者を輸送した先であるクレタ島の十一のホテルを借り切った。ニュージーランドの記事でBLOG「Yamyam町一丁目」に「中国人は、肉体労働を厭いませんが、日本人の若者は、ええ格好しいで」とあった。なるほど中国には労働を厭わない労働力が十分にある。さて、中国はナムバーワンになるのだろうか?また、BLOG 「雑に」に「ジャパン アズ ナンバー ワン (限界国家の緒)」と題して記事があるが、それに類した新聞記事が出ている。

それによると、シナが眠りから醒めるのを恐れていたナポレオンの1820年には世界の三十八パーセントにあたる三億八千万人のシナ人が、世界の三分の一の生産をしており、当時一千万人を有する北アメリカは僅か二パーセントでも一人辺りでの差は明白である。一億三千万人の欧州は約六分の一の生産量となっていた。アングス・マディソンの試算によると、1700年時点では多くのシナの地域では合衆国並みで、1820年時には産業革命を進めた英国が既に抜きに出ていたようだ。そしてアヘン戦争で英国の小隊に1842年にシナが破れたことが世界感を変えることになったのは周知の通りである。

宗時代には、既に七百年後の英国に相当する製鉄をなしており、水力紡績機が使われていて、明初期には航海術の発達から大航海を繰り広げていた。しかしその後の発達の違いは何かとの問いかけがあり、集中した権力と割拠する欧州の差だとも言われる。つまり、産業革命への進化を問うているのであろう。自然科学や医学の蓄積、法的権力配分などの社会の発展により、その結果十九世紀には産業革命を進めた北米と欧州が勃興して、第一次世界大戦前には世界の十四パーセントの人口である欧州が世界の三分の一の生産を、一億の合衆国が殆ど十九パーセントの生産を獲得した。その一方、四億三千万人の眠れるシナ人は世界の十分の一にも至らない生産しかあげていなかった。1913年の個人あたりの平均所得はシナ人のドイツ人が七倍、英国人が九倍、米国人が十倍となっていた。そして戦災やら革命を経て、毛の文革によって地を這い、二十倍から三十倍以下の生活程度に貧困を迎えるのは周知の通りである。

その意味からも天安門広場の毛沢東の絵が下ろされるのは時間の問題であると言うが、それがどうも上手くいかないらしい。現在の共産党指導部はあげるところまであげて、いずれ脱線失速しても少しでも落ちどころが良いようにと考えているようだが、東海岸沿いを中心に中産階級が四億人で、その他の十億人は農民でその困窮度は明白である。

二つのBLOGの記事を読んで、二つの新聞記事を纏めた。ドイツの政界は、先日バイロイトの大学で博士号を授与されたツ・グッテンベルク国防大臣のその論文を巡っての講評があとを絶たない。こうした新聞記事を含めて引用の多さはこの手の論文の特徴なのだろうが、著作権侵害への配慮が全く欠けていると批評は厳しい。写真や動画や音楽には、その著作権などに配慮する人間でも言葉の引用には無配慮だと言うのである。もちろん、文面を訳す場合にも許可と同時にその翻訳に著作権が新設されるのは当然なのである。そうしたコピーアンドペーストの引用と要約や参照との相違など注意しなければいけないのは当然であろう。ここに中国の将来への指針もあるのではないか。



参照:
Die Rückkehr des Riesen, Philip Plickert,
Die Gastarbeiter fliehen aus Libyen, FAZ vom 28.2.2011
by pfaelzerwein | 2011-03-02 02:35 | 歴史・時事 | Trackback
<< ツ・グッテンベルク国防相辞任 索引 2011年2月 >>