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福島なんて取るに足りない事故

「温熱化の危機に比べれば原発なんてどうっていうことはない」と宣言して、「ドイツの過剰反応」を厳しく批判するのは合衆国で最も有名な自然環境保護運動家スチュワート・ブランドである。氏のウォールアースカタログは、1968年からそのヒッピー時代を契機に公表されて三十年間改訂され続けている。そこには、人類に不可欠な物としてシンセサイザーやPCなどがリストアップされている。

そのインタヴュー内容にはそれほど感心する事はなかったので詳しくはここでは触れないが、要するにオバマ政権が採用するグリーン政策なのである。つまりこれから環境問題が取り上げられるときに、これは大きな政治的な議論の衝突点となる。オバマ政権が二期目に突入するとは誰も思っていないが、ここが世界を二分する分水嶺となるかも知れない。だから重要なのだ。

その考え方には、人口政策、都市計画、遺伝子工学による食料品政策、核エネルギー政策の四つの大きな柱が建てられる。最後から二つ目はEUの統一理念として、最後のものはドイツや北欧におけるそれとしてその激しい抵抗が知られている。

温暖化問題は氏に言わせると今後長い人類の歴史において最重要項目であり、原発の死の灰の処理などは大した問題ではないと言うのだ。穴を掘って埋めてしまえばそれで終わりだと言う。また、原発の危険性などは取るに足らぬ事象であり、ハリスバークやチェルノブイリの事故を鑑みるほどもない程安全だと宣言している。「福島などは古い施設が如何に問題かを世に知らしめただけで、新しい原子炉ではこうしたことが起こらないかを、設計者や使用者が詳しく説明しなければいけない事故」となる。

その温暖化の科学的な真相は定かではないとしても、こうした意見に耳を傾けて議論とすることが重要なのである。特に日本の人はこうした意見を考察することで、今回の未曾有の事故を未だにチェルノブイリと比較して過小評価する官僚達のその脳味噌の中味を想像することが出来る。大電気会社をスポンサーにする大マスメディアが敢えて芸能ニュース様に鬘着用の真否を暴露しようとするのは、日本人の低能な能力を他に逸らそうとするだけではなくて、その思考態度の差異をヴェールに包もうとしているだけに違いない。恐らく背後にはそうした世界感を同一とする資本や第四の権力が控えている。

これは日本人の甘え構造にも通じる自分やとなりの親仁とTVの前で世界中に毎日露出する官僚が同じ社会に住んでいると思いこむ同族意識を利用した教化政策であるのだ。合衆国にとっては、広島・長崎は致し方ない処置であり続け、今後予想される甚大な福島禍も計算出来るものでしか無いのである。だからワシントンは菅政権に強い圧力を掛けているに違いない。これが日本政府の過小評価の真相だろう。

そして今回の日本政府と日本人を観察して、間違いなく共産圏で育ったりした者は、その全体主義的なやり方が酷似していると一様に驚きの声をあげる。日本は西側の民主主義的な社会だと思っていたと。議論の成立しない、ジャーナリズムの存在しない社会、自主独立精神の育まれない社会、同一の仮面を被っているだけの社会、それが日本である。

菅政権が何処に顔を向けて発言しているか、有名評論家と言われる連中の資金源、そうしたものを伝えるマスメディアを見つめることで、自分が「生かされている」もしくは自らを「死へと追いやる」環境に覚醒することの切っ掛けとなるだろうか?



参照:
Ihr Deutschen steht allein da, Stewart Brand, FAZ vom 9.4.2011
原発廃止後のエネルギー貯蓄 2011-04-10 | テクニック
by pfaelzerwein | 2011-04-13 02:35 | アウトドーア・環境 | Trackback
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