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ささやかな生活観を護る

福島によって緑の党が躍進したとは誰も思っていない。その実際を高級紙FAZが考察している。福島直後のメルケル首相の決断などが世界中に報じられているが、実際には緑の党はお家芸である脱原発をかっぱられた訳ではなく、もはや脱原発などは自明のことであり、寧ろ緑の党を国民政党へと押し上げたのには、中間層の新たな社会層があるからだとする見解である。

たとえばフランクフルトで、嘗てならば市内に住むか郊外の緑の中に一戸建てに住んだような社会層が、その購買力でその中間にある地帯の歴史的に場末な地域にアパートメントを好んで購入するようになった。

そうした社会層は、仕事場へと自転車で通うことも出来る反面、気持ちの良い緑の豊富な街角の環境に満足して生活するのである。彼らが護ろうとするのはそうした快適な環境なのである。放射能に汚染されていない清々しい緑の下で空気の中でぺダルを踏めるようななんでもない穏やかで気持ちの良い営みである。

庶民は、誰でも自分は庶民ではないと思っている。使い切れないような富も、権力も必要とせずに、シムプルライフを目指す人達。購買力は特に十分ではないということで社会主義者や左翼の主張にも興味を持っている庶民である。要するに、大多数の市民なのである。

彼らは、巨大な権力者に圧力をかけるだけの十分な社会的権利を行使する。それによって護るのはそうしたささやかな満足感なのである。
by pfaelzerwein | 2011-06-14 18:49 | アウトドーア・環境 | Trackback
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