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フモーアー満ち溢れた環境

週末は殆ど外出しなかった。夜に雨が降って野外活動するにも足場が悪く、霧勝ちの秋の風景となると、夏の疲れを癒したくなる。

とはいっても室内でじっくり落ち着いてとまではいかなく、半ズボンでうろうろするのが関の山である。

夜になってからウィッシュリストに長く挙がっていた二冊の本と序に安売りCDを物色した。CDの方は本格的な買い物ではないのでヒット商品を覘くと、ハイドンの交響曲シリーズが廉価で出ていた。もちろん百何曲にも上る交響曲の父の全集を持っているわけでもなく、その音盤を集めているわけでもないが、ばらばらに買い求めているうちに、可也揃ってきた。全部で半分ぐらいの曲数のモーツァルトのものに比べると各々に工夫があって楽しめるので飽きない。

そして今回投売りされていたのは今まで録音を殆ど持っていなかったホグウッド指揮のアカデミーオブアンシェントムジーク楽団のものである。それでもモーツァルトの交響曲全集が古楽器演奏のものとしては可也初期に出ていたのを漏れ聞いて、その奏法やサウンドに驚かされたのが記憶に残る。

試聴を聞く限り、あの時期のものよりも遥かに大人しく聞こえて、現在手元にあるクイケン指揮のラプティット楽団のものよりもしかすると良いかもしれない。初期のものではアーノンクール指揮のコンツェルテュスムジクスのものもあるのでこの辺りの演奏実践も比較してみたい。

月曜日から昼食抜きで野暮用に追われた。生産的に忙しいのは必ずしも悪くはないのだが、秋の行方や環境を考えるとどうしてもそれほど晴れやかでもない。しかし、ハイドンの交響曲に代表されるようなヒューマニズムと高度な文化的精華に救われる想いがするのである。一枚3ユーロ33の三枚組みボックスの感興である。

情操とも呼ばれるユーモアに溢れた感興、まさに啓蒙思想の精華である。注文した日本の小さな歴史書には、プロイセンを見本としたその近代社会創生から、大正デモクラシーを通した一貫した視座が据えられているらしい。



参照:
Joseph Haydn (1732-1809): Symphonien Vol. 5 (jpc)
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by pfaelzerwein | 2011-09-06 05:24 | 文化一般 | Trackback
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