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裏のある情報の扱い方

床屋に行った。今年はもう一度行けばそれで終わりである。親仁は客が居らず暇そうにしていた。

早速、九月の葡萄泥棒の情報を求めた。新情報はないということで関連情報の話となった。しかしあとで考えるとなにかを誤魔化しているようにも感じた。こちらも情報の扱いの素人ではないのでなんとなくそれを感じた。

推測するに様々な憶測が流れていて、テプコがいう個人情報保護を鑑みてというような印象も受けた。結局、被害規模も新聞が騒ぐものではないことは確かなので、本当に犯人が挙がるとは思われない。

テプコや政府がはじめて再臨界の可能性にまで言及した。恐らく、今に始まった燻ぶりではないのだろうが、これも毎度のことで事後にそれを既成事実化してしまう方策である。そもそも「必要」に応じた計測限界値の設定で多くのことを実証的と称して誤魔化すことが可能である。いづれにしても定量といってもどれぐらいの割合でというようなことなのであろう。そもそもホウ酸を入れ続けたのはこうした事情であったからだ。全体の温度が下がっているといっても一部は水に浸かりながらも十分に冷却されないで消し炭のように未だに燻っていることは間違いないということでしかない。

山側に防水壁を造ると水位が逆転して浸透圧の関係で強い汚染廃液が外へ漏れるという説明は、そのもの今も駄々漏れに海側へと強度核廃棄水が海側へ漏れているという認証でしかないのである。

テプコや政府の説明を信じる馬鹿な日本市民は居ないとFAZは本日伝えていた。福岡の九電の玄海四号の再稼動は第一面記事として驚きとして捉えられている。あのような電力会社があのようなものを稼動して九州の人間がそれを許すのは信じられない事象である。恥さらしな日本の官僚組織である。



参照:
写真から気がつかなかった? 2011-10-08 | ワイン
葡萄泥棒も入りやすい家 2011-10-02 | ワイン
by pfaelzerwein | 2011-11-03 04:21 | 生活 | Trackback
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