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放射性塵で胸一杯!

ベルリンにある元RIAS放送交響楽団であるドイツ交響楽団が福島で慰安演奏会を催したようだ。ライプチッヒの四重奏団のときも連邦共和国国民の健康への影響が危惧されたが、今回はFAZのチーフ音楽評論家のコッホ氏が同行している。ヴルフ大統領と同じく若い人ではないので問題は無いが、管弦楽団の弦楽奏者は如何であったろうか?少なくとも食事も考慮すれば危険地帯であることは間違いないので、先ずはその勇気を賞賛したい。

管弦楽団本体と同じように指揮は日本人佐渡が受け持ったようで、この企画特に仙台の南にある名取でのコンサートに深く関与していることが語られる。三十七万人の町の九百人が死亡したまさしくアポカリプス・ナウ三位一体の町である。

そこで演奏されたのは指揮者がどうしても演奏したかったチャイコフスキーのセレナードであり、バッハのアリアやアイネクライネナハトムジークが二百人ほどの聴衆を前にして披露された。

そして日本人の礼節の形式的な裏側を見るようにして、指揮者ともざっくばらんな話が出来たとして、バーンスタインのチャイコフスキー論に始まって、反利己主義を表明する日本で、なぜあれほど主体の権化であるベートーヴェンが演奏されるのかに対して、ピューリタンのアングロサクソンに主観的な音楽が好まれるのと同じだろうという結論に達したという。

そうした事情を反映してか、武満や黛や細川をレパートリーとする佐渡からは結局ドイツの若い作曲家の音楽が紹介されるわけでもなく、興行主の意向でベートーヴェンやモーツァルトやチャイコフスキーやドンファンやラフマニノフを、指だけ回りまるで富士駅で通過する新幹線のような恐ろしいテンポで弾き回る若いピアニストが加わるプログラムを聞かされたようだ。

新幹線の福島の駅を車窓から見て閑散としていたとあり、長年の日本通の者に言わせると東京のそれも往時とは異なると聞かされる。立派なホールがそこかしこと立ち並ぶ日本の環境を体験しての赤裸々な感想を「ベートーヴェンと日常化を求めて」と題して書き連ねる。

福島では本日若い女性による駅伝が開催されたようだ。折から福島の事故後初の見学を終えた世界の報道陣は何を伝えるのだろうか?避難推奨地域で胸一杯にアルファー線やベーター線を放出する放射性塵を吸い込ませて、それをして復興とかを語るのは変態的なサディズム以外の何ものでもなかろう。そのような破廉恥な蛮行を許すのは誰だ。



参照:
Mit Beethoven auf der Suche nach Normalität, Gerhard R. Koch, FAZ vom 11.11.2011
情報の隠蔽も未必の故意 2011-07-01 | マスメディア批評
彼らの勇気と行動を讃えよう 2011-06-27 | BLOG研究
現実認識でのプロとアマチュア 2011-11-10 | 歴史・時事
by pfaelzerwein | 2011-11-12 23:15 | マスメディア批評 | Trackback
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