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Hop, Step by Step & Jump

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山から走り下りて、石灰の露岩へ向かう。ワインの地所ヘアゴットザッカー上部の二重十字架の立っている露岩である。コーヒーを飲み、乾いたシュトレーンを頬張り、隠し持って来ていた破れたクレッターシューを履く。通常の靴では細かい凹凸に立てなかったが、これであるとコケの間の岩肌に立てる。石灰岩特有の凹凸と手掛かりが容易で、課題としていた小さな庇から登った。これで殆どの課題は登り終えてしまった。それでも数少ない近所の石灰岩である。

帰宅後、シャワーを浴びて、フルーツパンなどを摘みながらの恒例の栗入りザウマーゲンのディナーの準備である。先ずは2008年産イエズイーテンガルテンを開けた。フォンブール醸造所のグランクリュである。この年の特徴の下品なまでの果実風味とふくよかな酸のお陰で全開である。栗の甘さに合うふくらみ感とそれでいながらの押しの強い黄色の果実風味が、しばしば表面に溢れる2008年の酢酸的な個性が、とてもバランスよく調和している。このワインをして文句のつけようは無いだろう。勿論このワインにボディー感や広がり感や複雑さを求めるのは間違いだろう。少なくとも最初の二年間の安定度は抜群であり、後は四年後ぐらいの本格的な熟成後の肯定的な加齢を希求したい。

しかし、フランスのグランクリュであるかのような安定感は、それがある程度保証されればそれはそれなりの価値があり、なにも偉大なリースリングだけがグローセスゲヴェックスでなくてもよいのである。実際に評価がこれ以上に難しいのが前日に開けたペッヒシュタインであった。瓶詰め当初から二年後の今までの安定振りも見事であるが、勿論上位の醸造所の偉大なグローセスゲヴェックスと比較することは出来ない。その差異は、玄武岩特有のミネラル風味の熟成の深みである。しかし少なくとも2007年産の時点ではバッサーマンヨルダンのグローセスゲヴェックスより良い。

弱点は、恐らく培養酵母の選択で、薄造りといえる基本的な味筋に変化も深みも無くて、その範疇で土壌感やミネラルを綺麗に出して、その一方で年毎に異なる果実の熟成を反映させているのである。もう少し丁寧な葡萄園管理と葡萄の手入れをすれば、更に立派な実りとなるのであるが、適当に収穫して尚且つ文句のつけようの無いリースリングを提供出来るのは如何に素晴らしい土地を所有しているかということでしかない。そうしたあらゆる点を評価して、フォン・ブール醸造所のグローセスゲヴェックスは、2007年産以降は間違いなく上の部類に含まれる。また分りやすいと言う意味で最も美味いグローセスゲヴェックスなのである - 食事にはこれで十分かもしれない。

バッハの待降節・クリスマスの三枚組みアルバムから三枚目のCDを鳴らす。クリスマスの二日目のために作曲されているBWV57「その人は幸いなり」の苦悩や死への憧憬の世界は17世紀の「ステファニウスの殉教」に源があるようだが、もはやこうなるとリヒャルト・ヴァークナーの世界にも近い。バッハの念入りな書法を指揮のヘルヴェッヘが殆ど躊躇いがちに音化している。

そして最も喜ばしい瞬間としてBWV「われらが口を笑いにて満たすべし」の導入合唱がある。これは周知のように管弦楽曲第四番ニ長調に手を加えたものであり、フランス舞曲のグラーヴの堂々感と共に優雅さもその内容として示している。一般的に経済性ゆえの自曲の流用が行われる転用であるが、ここでもマグニフィカート由来の「デュエット」と同様、なかなかどうして芸術的な転用である。それにしても最後のアレルヤの終局の合唱といえなんと渋いクリスマスカンタータだろうか。北ドイツのシュッツなどにまけない渋さである。

序に、件の管弦楽曲の音盤を回し比べした。カールリヒター指揮の1961年当時の録音を聞くとテムポも落ち着かず只荒っぽい印象しか受けない。踊れるものも踊れなくなる。カール・ミュンヒンガーの二つ目の録音はテムポは落ち着いていてフランス序曲らしいのだが、ここぞの時にはヴィブラートで流麗な音響と化してしまっている。極端なテムポ運びとして有名なアンティークケルンの録音が、古楽器奏法の恩恵で早くとも落ち着いていて、決して悪くはないのである。



参照:
玉も、胃腸もごろごろ 2009-09-07 | ワイン
土地の利を生かす者 2008-09-11 | 試飲百景
高度な抑制と認知の文化 2011-12-26 | 文化一般
気に入るということは 2011-12-21 | 料理
by pfaelzerwein | 2011-12-26 23:47 | 文化一般 | Trackback
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