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文化的な企業家の歴史

化学最大手BASFの催し物会場が九十年を機にリニューアルしたようだ。まだ出かけてはいないが、デットな音響は良くなっただろうか?会社の関係やルートヴィヒスハーフェンやマンハイム周辺に住んでいた者は馴染みがあるだろう。

最初に大物として名前が挙がるのはサートーマス・ビーチャム指揮のロンドンフィルハーモニー交響楽団のようで、1936年11月にデーリアスなどの曲を演奏して、会社の磁気性体開発の有志グループがライヴ実況録音の許可を取って指揮者を驚かしたが、最終的にはフランスのレーベルの専属となりEMIで録音が発売されるようになる。

更に遡ると1921年9月以降若手のホープであったフルトヴァングラーがベルリンのフィルハーモニーカーを引き連れて凱旋を繰り返していて、後にはIGファーベンのナチ政権下での国威発揚のプロパンだとしてゲッペレスに利用されたのは繰り返すまでも無い。フルトヴェングラーが政権と都合悪くなると、ハンス・クナッパーツブッシュがツアーを引き継いでいたのだ。

同じように作曲家のリヒャルト・シュトラウスは、1929年にプァルツの座付き管弦楽団を指揮して登場している。

戦前からのメニューインやその他の錚々たる名前に加えて、ジャズにおいてもチェット・ベーカーやアルバート・マンゲルスドルフなどが挙がる。クラウディオ・アラウやロストロポーヴィッチ、エマーソンや東京カルテットもそこで聴いたが、室内楽にも音響は不十分であった。

個人的に比較的強く印象に残っているのは、スェーデンの古楽楽団・合唱団の綺麗な倍音の鮮烈な響きであり、見逃して残念だったのはカルロ・マリア・ジュリーニ指揮のスカラ座のベートーヴェンだった。

プログラムは付き合いのあるプロダクションの戦略に包まれる傾向が多く、所謂ビズ業界のプログラムとなり易く、その筋のもので文化的な香りは少ない。それでも、ブーレーズ指揮の夕べなどもコマーシャリズムだけではありえないプログラムも数は少ないが存在する。

今後も文化活動として続けていくようだが、文化マネージメントもそれほどたやすくは無い、しかしクリストフ・エッシェンバッハが一筆書いているように、政府よりも企業家の方が遥かに文化的であるというのもコマーシャリズムを除いた所で初めて真実となるだろう。

なるほどボッシュ氏などの文化的功績は多大ものであり、正しく文化の経済があり、経済があってこそ初めての文化でもある。そう言えば暮れのラジオニュースから書き漏らしていたが、ライツチッヒの歌劇場の監督コンヴィチニーが辞めるそうだ。理由は行政の文化マネージャとの確執となるのだろう。なるほどこの演出家が考えるようなオペラ上演に文化的な将来があるかどうかは別にしてポピュラーなオペラ上演などには公的資金の援助などは一切必要ないことは明らかであろう。



参照:
90-Jahre Kultur bei BASF - Die Chronik
by pfaelzerwein | 2012-01-03 19:10 | 文化一般 | Trackback
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