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セシウムも降り注ぐマイホーム

セシウムの降下量が急上昇しているとネットは炎上している。東電の会見でも質問が出たようだ。三月よりは少ないが五月よりも遥かに多いレヴェルで、十倍に跳ね上がっている。千葉県などでもそれが確認されているという。地上に降り積もったものが舞い上がったのかどうかは気象条件を見れば直ぐに分るだろう。巷に降り積もったセシウムの量は膨大だろうが、固定されずにこれほどまでに舞い上がるのは土壌などの関係が強いのだろうか、それとも全く他の理由があるのか?

闘病中の日隅氏が、福島事故中間報告に対して感想を月末までに出せると告知している。そこで自宅待機の時間を利用して早速二章ほどを軽く目を通した。自分自身の立場からすると事故の広報とその後の避難誘導へのサヴォタージュを暴くことが最も肝心と考えているので、その点に関して、事故調査委員会に具体的且つ明確な指摘をしてみたいと思っている。その内容はここにて公にする心算である。各々が感じる疑問点をぶつけてみることが重要ではないか。

若い妊娠中のヴルフ婦人は一体何を思ったのか知らないが、そもそも大統領になどなるべきものでない者がドイツ連邦共和国最高の地位に衝くのが間違っている。そしてそれを圧した者に責任がある。あわよくば、女性最初の最高地位に自ら就こうとした愚かな女性の嫉妬が判断を誤らしたのかもしれない。

事件の発端であるマイホーム願望に対して文化欄では、ライフスタイルなどからして日本の新しい建築が活かせるかもしれないと日本の例を紹介している。要するに連邦共和国においても子供が歩けるようになると庭で遊ばせたいとか、学童への個室が必要になるとかで、庭付きの一軒家が小市民の憧れの対象となる。大統領のように自分の庭に水を撒いて満悦したいとかの気持ちは、まさに何かを引き継いでいるようで気の毒のようなのだが、大統領は在任中は小市民ではないのである。もしそうならば何時辞任しても全く何も失うものは無いに違いない。

さて、東京の街中にリュウ・ニシサワ建築のモリヤマハウスである。秋田にもある。写真にあるようにさいころ状のブロックが重ねてあるような小さな建造物であるが、トイレや台所などの各部屋の個人的な生活習慣上の拘りがある部分を除いて、全てオープンスペースとして共同で使えるようになっているようだ。

その典型として縁側があり、そこで各戸の者が立ち寄り座って、また去っていくことが出来るのである。つまり、一軒のオーナーに対して、部屋貸ししている者も親子などの親族も同じように交流が出来る住環境となっている。

新聞に書いてあるように、学生アパートなどのWGヴォーンゲマインシャフトにも似ているが、個人の領域で衣食住出来る部分が異なる。つまり公共の領域を、個人の住環境に取り込むという風にも言えるのだろう。

新聞は公共の場所が見直された2011年であり、アラブの民主化やオキュパイ運動においても場所が重要になっていたことを語る。こうした住空間においてもプライヴェートからパブリックの環境へと開かれていることが、ライフスタイル即ち社会環境の構築に繋がるということであろう。



参照:
中間報告 (東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会)
事故調査・検証委員会(畑村委員長)の中間報告書の問題点 (情報流通促進計画)
Der Fluch des Eigenheims, Niklas Maak, FAZ vom 4.1.2012
「絆」に結ばれる日本の心情 2011-12-23 | 文化一般
恥さらしのヴルフ何某大統領 2012-01-06 | アウトドーア・環境
文学としてのジャーナリズム 2012-01-04 | マスメディア批評
by pfaelzerwein | 2012-01-06 22:40 | アウトドーア・環境 | Trackback
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