人気ブログランキング | 話題のタグを見る

自爆とはならない辛抱力

自爆とはならない辛抱力_d0127795_1741473.jpg
土曜日は子供を交えての岩登りだった。お相手しないといけないかと思っていた状況とは異なって、先週末に一緒だった眼鏡親方とその子供のお相手に時間を割いた。子供を引っ張り上げるのは力が要るが、それよりも親爺の面倒に手を焼く。

先週末も壁の中で途中で降りてくるものだから急遽かわって先行したのだが、引き返し癖がとんでもなくついている。だから子供を真ん中に入れた三人パーティーで引っ張り上げるのに手を貸すだけでなくて、今回も四箇所とも結局子供を引っ張り上げるのは親爺でなく私の仕事となってしまった。

ここ一年ほど熱心に練習してきたのは分っているのだが、自ら「やればやるほど悪くなる」と毒づくように、明らかに不調の程は甚だしい。無理をせずに大人しくザイルを後続して登っていれば良いのであるが、自らは登れる困難度の範疇を些か誤解しているようである。

アルプスの経験も浅く、クライミングの実力もスポーツクライミングの域に達していないのでは、大きな壁などのルートで自らが考えている困難度の場所も登れないのは当然であり、精神的なものというよりも実力の問題としか思われない。

要するに「家で」は可也登れていないと、自らが思う程度の場所は登りきれないのは当然であって、眼鏡の視力とその補正強度のような単純なものではないのである。具体的なアドヴァイスをしてあげようとは思うが、さて何処まで真意を理解して貰えるだろうか?

義理の親爺さんが元のクライミング養成担当であったことが逆に災いしているようで、そもそも当時のスポ-ツクライミングの域に入らない先生についていっていたものであるから、移動式支点の設置や確保技術などは見事なのであるが、なかなかその壁を破れないのである。

連日のクライミング週間の最後であったが様々なことがぎっしり詰まっていて、必ずしも開放された気分とはならず、複雑な気分に取り憑かれるのだが、人と深く関わるようになるとそれはそれで仕方ないのであろう。

十年以上前ならば、簡単に短気を起こして自爆してしまうような状況であるが、決して修羅場を越えるというような生活を営んでいなくとも、そこは何らかの経験の裏づけがあって、ぐっと堪えることも身についてきている。

特に二十歳近くも若い人と比べれば耐久力が強いのはなにも被曝に対するものではなくてありとあらゆるものに対してであるのは当然であろうか。我ながら堪え力が知らぬうちについてきたものと感心するのである。それでも対人でなくてクライミングなどになるともう一つ短気で辛抱が出来ないところに気がつくのである。



参照:
我武者羅に登る一ヶ月 2012-09-22 | 生活
センチメンタルな恋心? 2012-09-19 | 暦
先週末の雪の余韻など 2012-09-18 | アウトドーア・環境
by pfaelzerwein | 2012-09-23 17:41 | 生活 | Trackback
<< 衣装替え無しに汗滴る 我武者羅に登る一ヶ月 >>