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到底埋められない質の差

冬タイヤに交換した。新しくした二本の感じは良い。大分静かになる感じでグリップが良い。但し二本だけのためか左右への挙動が少し大きくなり過ぎる。前後のタイヤが異なるからだろう。もう少し乗ってみて気に入ったら、安く探してみよう。

車中のラジオで「先生が十四歳の生徒とセックスした(SWR文化波の報道の文言)」ことで、罪に問われたが無罪になったことを受けて、より厳しくするというニュースが流れた。担任であろうが無かろうが、その教育者としての立場を逸脱する行為として責任を問えるようにすると言うのである。

なぜか世界中で似たようなセックススキャンダルが伝えられるようになるには共通する事情があるのだろう。ここ二十年ほどで加速したのは、青少年・児童保護の立場での規制が欧米先進国を中心に進められたからだろうか。その背景には性の商業化で罪の無い子供たちが犠牲になるという現実がある。

それ以前にそうした状況を作る貧困や家庭崩壊などが問題であるのは分るのだが、どれほど理想的な経済や家庭環境が先進工業国だけに限ってもあるだろうかというと、殆ど無いとしか思われない。

戦後誕生した二つ目の新聞社フランクフルタールントシャウ紙が倒産した。長く経営不振が伝えられておりルモンド社や社会民主党などから支援を受けていたのであるが、これ以上は続けられなくなった。決してデジタルメディアに潰されただけではないとフランクフルターアルゲマイネ紙は評する。

左派の真面目な新聞社としてベルリンのTAZと並んで全国紙であったのだが、その分経費も嵩んだ結果だったようである。なるほどターゲスツァイトュングの方はその色合いからしても東ドイツ特に東ベルリンでの購読者が多いのだろうから安定しているのだろうが、FAZが評するようにそこには鋭い激しさもあってネットなどを通してここでも紹介することが多い。それどころか日本のサイトなどでも時々そのフクシマの記事は取り上げられている。それに比較すると比較的馴染みがあるはずのルンドシャウの方は殆どここでも取り上げたことが無い。やはり記事の内容の出来が悪かったに尽きるだろう。勿論経営が悪いと編集者も記事の依頼者も質が落ちてくるが、到底手弁当感覚で生き残れるような程度ではなかったに違いない。

そのように考えるとドイツにおいても地方紙はそれなりのローカルな強みがあるが、全国紙となると益々厳しくなっていくに違いない。新聞間の記事の程度の差は甚だしく、それは読者層の教養や教育や社会的な位置などでは到底解決できないほどの質の差がある。しかしその一方、経済や家庭環境の差も社会層間において甚だしいことを考えると、それぐらいの質の差はあっても当然なのかもしれない。ワインも芸術も然りである、そのような上質で高級なものはポピュラーではありえないのだ。



参照:
到底埋められない質の差 2012-11-03 | 暦
投資家の手に落ちる報道 2007-06-01 | マスメディア批評
上げよ、怒りの雄叫びを! 2009-03-29 | 歴史・時事
by pfaelzerwein | 2012-11-15 23:18 | 雑感 | Trackback
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