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C・クライバーとサルコジ

文化欄に指揮者カルロス・クライバーの新著を書いたサルコジ政権の農林相ブルーノ・マイールの話が載っている。ファンの多い故指揮者の人間像に迫っているようで、まだ将来のある若い政治家とこの特殊な音楽家との組み合わせが興味をもたれる。

指揮者と言えばトスカニーニに代表されるような独裁者が描かれて、勿論それは二十世紀前半の独裁者たちの政治姿勢と重ねあわされることが多く、そうした主張でのエッセイは、エリアス・カネッティーの名著「大衆と権力」を挙げるまでのことはなく、数多く存在する。

そこで、そうした歴史的な視座では不可解な指揮者としてカルロス・クライバーが取り上げられている。その不可解さは複雑な人物像にあるとして、このエッセイストは、それを欧州的なそれであるとする。つまりそうした複雑性は、アメリカ文化にも中国文化にもインドのそれにも存在しないものだとしている。勿論読者の関心はそこからこの前大臣のサルコジ評へと向かい、そこで同じように複雑な人間像として評価されているのもとても興味深い。

カルロス・クライバーの父エーリッヒ自体が、共産主義者でもなくユダヤ人でもなかったのに、ナチ政権下でドイツ最高の地位からアルゼンチンへと亡命を余儀なくされていることからも不可解さが生じているようだ。そして父エーリッヒのモーツァルトのオペラなどの演奏の素晴らしさを録音などで知っている者からすると、一筋縄では評価を下せないその音楽からありとあらゆる想像を巡らすことができるに違いない。



参照:
Musique absolue: Une répétition avec Carlos Kleiber, Bruno Le Maire (AMAZON.fr)
Der Politiker und der Maestro, Oliver Guez, FAZ vom 2.1.2013
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by pfaelzerwein | 2013-01-06 17:31 | 文化一般 | Trackback
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