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お話にならない東京の文化

指揮者サヴァリッシュの訃報記事を読んだ。それまではプリングスハイムの日記から「ジークフリート」の場面に興味をもってCDを鳴らしていた。そしてマーラーの初演などを日本で繰り返したクラウス・プリングスハイムの影響などに想いを寄せた。そして、その後釜となるサヴァリッシュとN響との演奏などについて想い、氏の晩年の成果を示すストコフスキー編曲集を鳴らしている。

とても素晴らしい演奏である。勿論フィラデルフィアのオーケストラの実力は東京のそれどころかミュンヘンの座付やヴィーンのシムフォニカーやロンドンのフィルハーモニーカーとは比較しようがない高品質である。ドイツへの凱旋公演でも主に管弦楽団の優秀性は見出しとなったが、そもそもプログラムがどうしようもなく興味薄で我々とは別世界の出来事でしかなかった。それでもこの1996年の録音を聴くとさぞかし故人ご自身も満足いく仕事を晩年にしていたに違いないと確信する。

当然のことながら新聞記事は、あれだけ長期に渉って、カイルベルトの急死を受けて、音楽監督芸術監督として君臨したミュンヘンの劇場での成果と挫折を中心に扱っている。それが指揮者サヴァリッシュのドイツ本国での評価のすべてに違いない。そこでの在り方によっては間違いなく州葬になるくらいの立場であり、バイエルン首相はもとよりベルリンから閣僚が駆けつけるほどの文化的な立場であるからだ ― チェリビダッケ狂想曲とのなんたる違い!。作曲家リヒャルト・シュトラウスでさえもその地位があったからこそのドイツ第三帝国音楽監督であったのだ。

つまり、ああした土地柄の難しさとは別に、前任者アウグスト・エファーディンクと読むと、さぞかし何か新たに加えることが難しかったのは理解できる。芸術的に荷が重すぎたのかもしれない。音楽面においても最近高く再評価されている指揮者カイルベルトと比較するとこれまた明らかだろう。戦後にイタリアでの捕虜生活を終えて、音大を卒業資格を得て、デヴューした極限られた若いドイツ人の音楽家であった訳だ。

もう直ぐ九十歳の音楽家人生を記事は、Cで始まるカペルマイスター人生としてKで始まるそれよりはもう少し上のものとして評するが、正直現在のKのカペルマイスターなどに卒業資格試験以上の意味があるのかどうか考えたてみたこともすらなかった ― 何処の誰が座付ピアニストなどに興味があろう?、昔のようにショルティなどがそこで働いているなどと言うことは長く無い。まさしく、ここに故人のドイツでの音楽家としての評価が詰め込まれている。

いつもいつも耳にタコができるほど聞かされる「最後のカペルマイスター」と言う言葉は全く似つかわしくなく、新しいそれでもないというのは如何にドイツ出身の音楽家などは今後ともほとんど生まれずということを示しているに過ぎない。東京では素晴らしい演奏を残したのは記憶に確かであるが、その後のN響の演奏などを聞いていると全く何も遺産として遺すこともなく、決して芸術家ではなかった故人が本当の管弦楽団トレーナーでなかったことも明白である。その風貌の示す通り気が向けば熱心な指導をしたのだろうが、どこまで行ってもあくまでも小役人的で決して職人的な熱意などはなかったに違いない。そうした音楽家が、政治力もなくごてごてとドイツ語を語っていても、小姑のように煙たがられても人を惹きつけて大成果をもたらすということが無いのはドイツの一般的な社会性なのだろう。まあ、世界中どこでもそれは変わらないだろうが、共産圏ならばクルト・マズーアのような例もないことはなかっただろうか。

それにしても、フィラデルフィアサウンドの素晴らしいこと、1918年11月に当地で行われた演奏会のプログラムなどを覗くと、如何に合衆国が経済力と優秀な移民から高度な芸術文化を構築していたかが窺い知れるのだ。そして、日本の百年を其処にずらして重ね合わせると全くお話にならないことがよくわかる。ストコフスキーの素晴らしさは言うまでもなく、プリングスハイムどころかサヴァリッシュからでさえ十分に積み重すら出来ない日本社会のお山の、裸の大将ぶりにはただただ呆れるのみである。



参照:
Der vollkommenne Maestro ist ein alter Capellmeiseter, G.Rohde, FAZ vom 25.2.13
サヴァリッシュ死去! (TARO'S CAFE)
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