人気ブログランキング | 話題のタグを見る

最も著名なブロガーの人格

先日ラディオ番組でドイツで最も成功しているブロッガーが出演していた。日本などでは衰退が激しいようだが、フェースブックへの拒絶反応があり、そもそも短いツイッターを中途半端と思う向きには今でも根付いているに違いない。

興味深く思ったのは、我々と同じようになにも実名を隠すでもなくブログ上のキャラクターとして存在することの意味を語っていることだった。例えば政治的意見などに対しても、職業や社会的な立場を持った実名の発言ではあまりにその影響が大き過ぎたり、ネットでの発言がそのまま公式な発言として受けとめられる危険性を指摘していた。

これはとても大切な視点であって、社会的な枠組みで発言できないようなことを書き綴れるからこその意味がブログにはあって、もし実名ならばとても慎重にならざるを得ないのは誰にとってもそれほど変わらないであろう。

反面、ポストプライヴァシー社会と言う概念で、ほとんど性的なライフスタイルまでをあからさまにしていくことは、まさしく情報管理された社会におけるネットの活用の重要な意味合いを持ち得るのは明らかなのである。

少し考えてみればわかることであるが、個人情報を一部の為政者に握られたり、フェースブックに代表されるように権力掌握として握られたりするよりも、自らの日常としての情報を公にすることで、そうした個人情報との釣り合いをとる行為となるのだろうか?

その実際例が、公式見解としては出せないような感興や想いなども、そうした管理されて個人情報像を補うどころかそれを超越する人格の全体像ともなりえる訳である。こうして書き綴っていることも、例え社会的な影響などは殆ど無くとも、公式な見解としてならば何一つとして提示できないのであるが、様々な分野において重要な視点を含有しているのみならず、人格像として普段対面している人に示すよりも多くのことを語り掛けていることも自覚しているのである。



参照:
心を揺さぶる貴く強い振る舞い 2011-05-11 | 雑感
環境の一部である全人格的な行い 2011-01-16 | 文化一般
ライカ社のエルンスト二世 2007-03-12 | 雑感
天皇陛下のための硫黄島 2007-02-23 | マスメディア批評
ワイン街道浮世床-ミーム談義 2005-05-25 | 文化一般
敬語の形式 2005-01-27 | 文学・思想
by pfaelzerwein | 2013-03-13 23:54 | BLOG研究 | Trackback
<< 町中に鐘が鳴り響く 滑るに滑る春の雪 >>