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原発なんてどうでもよい?

細川都知事候補の政策会見が大きな話題となっている。個人的なことは別にして、その政治的姿勢は良く知らない。それでも、村山発言と並んで細川発言というのがシナの情報で出てくるところをみると、田中派系統で米国から邪魔にされている存在なのだろう。もし、スローフードの細川が東京都知事となると日本は本当に変わってくるのかもしれない。そうしたとてもマグマの突出のようなものが感じられる会見であった。

これで、共産党の支持拡大と保革の対立という事態ではきっぱりなくなった。未知の政治的な状態に至る可能性が出てきたが、米国の陰謀に負けずに日本人がどこまで耐えられるかが問われているに違いない。本当に自主独立の道を歩めるだろうか?

個人的に気になるのは弱小の緑の党の姿勢である。なるほど宇都宮候補を逸早く推薦したのは間違いではなかったが、党勢を伸ばして、最終的にはこうした名士でなくてもに立派な政治家を巷から輩出していくようなボトムアップの政治へと転換できるように緑の党はいずれ躍進しなければいけないのである。

その意味から、市民団体が細川を支援していく過程で、緑の党が共産党に寄り添うような形になるとやはり不味い。その反面、現在の立場で現実路線を説くよりも、理想を説く方が重要なことは分かるのである。しかし、ここでもし安倍政権の信任のような形になれば日本の政治に今後到底可能性が無くなることは分かっているのである。選択の余地はもうないのではないか。

正直な話、個人的には毎日眺めている原発フィリップスブルクではないのでどうでもよいのだが、軍事力と同じで日本は原子力発電を維持できるだけの社会的な智慧が無い。だから日本人には軍も原子力も無理なのだが、本当は軍事力も核エネルギーは欠かせないと思っている。でも日本には両方とも無理なのである。

IWJの岩上氏などは、TPPも秘密保護法も全て同じ方向でなければ脱原発も出来ないと言うが、それはあまりにも賢いイデオロギー的な論理であって、もし皆が同じように考えるとすればそれはイデオロギー以外の何ものでも無くて、狂人の全体主義でしかないということだ。現実政治や社会はそうしたものでは無い筈だ。



参照:
ドグマに至らない賢明さ 2014-01-21 | 文化一般
すべては金で動くのか? 2014-01-20 | 雑感
時代錯誤への対抗軸 2014-01-15 | 歴史・時事
by pfaelzerwein | 2014-01-23 06:42 | 文学・思想 | Trackback
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