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小日本の皇帝思想

前在京ドイツ大使シュテュンツェル博士が、FAZ紙全一ページを割いて、日中関係について詳しく紹介している。いつもながらの氏の透徹した視点であるからこそ、その外務省内での立場は分らないが、恐らく現メルケル政権の見識が良く出ているように思われる。

ここでは、二千年間の日中の歴史を通してみることで、タイトル「日の出と日没」通りの両国の浮き沈みの中での関係がよく見通せる。周恩来が国交回復時に語ったように、「僅か六十年ほどの歴史は言及に値しない」となる。

興味深く思ったのは、その始まりとして、資料が残っている倭の征伐を挙げて、そこから今まで二千年も「小日本」と言う認識がシナに植えつけらるということである。

それから現在まで五回に亘る対決のなかで、そもそもシナは日本にとっては全ての御手本であった訳で、シナの中華思想に触れた日本人は、「天皇の成立」でシナの皇帝に対抗しようとして、「陽上る国の天皇が日沈む国の皇帝に挨拶する」となる。つまり、沈む国があったからこその出国なのである。

その考え方が、二回目の対決である元の襲来に際して、武士階級は百五十年間の家来の時を越えて、「シナの皇帝が度々変わることに比べて、神なる天皇は一貫している」ことに本物を見ることになる。正しくシナの皇帝思想そのものであり、こうした日本人の自己のアイデンティティーへの不安無しには近代化へも繋がらないとする見方が如何にも話者らしい。

そして日本のそれは、とてもユニークな近代化への道であった訳だが、1873年にビスマルク宰相と食事をともにした日本からの使節団は、「日本もドイツもともに小さな国であり、国家の勃興において市民の権利を拘束することは致し方なし」と述べているようだ。正しく、大日本帝国憲法が当時のプロシアの近代憲法よりも敢えて古い考えで制定した公式な理由である。

そして、朝鮮半島を舞台にしての対決となるのだが、「遅れてやってきた帝国主義」を以って、1940年までその帝国は突き進むのである。亜細亜の近代化の命を帯びての対決は、由々しき天皇の世界の構築の挫折となるのである。(続く



参照:
Auf- und Untergang der Sonne, Dr.Volker Stanzel, FAZ vom 7.4.2014
日本無力化への道程 2013-11-30 | 歴史・時事
見苦しい日本国大使の反論 2014-01-22 | 歴史・時事
by pfaelzerwein | 2014-04-09 15:44 | 歴史・時事 | Trackback
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