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石油発掘場のアナ雪の歌



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さて問題の第一夜「ヴァルキューレ」である。批評では昨年も前日祭「ライン黄金」での感興が萎むほどに穴となっていたと評されていた公演である。結果からすると修正されたのだろうか?昨年の今頃は公開されていなかった「フローズン - アナ雪」のパロディーである。そもそも公開されていなかったもののパロディーである訳がないので修正されたのか、それともディズニーがいつものように模倣したのか?勿論昨年の夏の時点では誰も気づかない。

第一幕におけるジークリンデのミュージカルを意識した演出はそのもの楽匠が狙っていたものであり、当時は今のようにハリウッド文化などは無かっただろうが、そのものなのだ。まさしく、石油発掘場で繰り広げられるブッシュ一家のような利権と権力の掌握と行使のゴットファーザー家族に繰り広げられる物語であり、若い二人の兄妹の物語である。昨年の舞台写真にもあるように、ジークリンデが「非常の剣」を振り回す情景は、この夜のハイライトであったことは誰もが認めるであろう。そしてその手を広げ、膝を入れての体の表現は、「レティッゴー」そのものなのだ。演出のカストロフがミュージカルを意識していたのは間違いないのである。そしてこうしたパロディー精神がこの創作そのものでもあったのは既に楽匠の言葉として紹介した通りである。

そして第二幕になると場所は全く変わってロシアの油田や天然ガス採掘の利権に纏わる苦悩の世界となる。演出家のフランク・カストルフは東ドイツ人であり、我々とはまったく違って、アンゲラ・メルケル首相と同じでロシアを本当に知っている人種である。だから今現在起こっている冷戦後の権益を巡る米露の争いを最も第三者的に眺めることが可能な人種なのである。

我が子に手を掛けてまでもして得る権力、もはや言葉の意味を失うほどの「愛」を捨てることで初めて獲得できる権力とその運命的な魅力は、前夜祭で何度も示された水に浮き、軽く身体に乗せられる「金の延べ棒」の不可解でありえない摩訶不思議な演出になんらかの謎解きとなっている。それに比較して、第三幕でご披露される決して飛行など出来ないヴァルキューレの娘たちの重量感やハチキレる贅肉の重さは、若者ジークムントのぼてが入った肉体でもあり、なぜかここでは只一人だけ若々しい身重になる前のジークリンデなのである。

この演出は昨年の時点での発想であり、まだウクライナ問題は加味されていない。しかし、これをみればその背後にある事象は継続しているに過ぎないことが描かれていて、そこに描かれているのは決して米露だけでなく中国や欧州などのありとあらゆるヤクザな現実社会なのである。

さて音楽面では、第一幕のクナッパーツブッシュ指揮の演奏にきかれるようなあのどうしようもない重さと鈍感さとは正反対の運動性も高く音楽がミュージカルのパロディーを満遍なく表現していたが、第二幕ではやはりドイツ語が聞き取れない限りは叙唱の面白さが伝わらない。ペトレンコ指揮の殆ど劇場の奈落が改造されたのではないかと思われせるほどの活き活きとして精緻で篭らないサウンドでさえ、これではどうしようもない。歌手も高みより板につけて歌わすことが殆どで、更にライヴヴィデオがあまり使われないことでその口の動きも分りにくいために聞き取れないのである。どうしても冗長な印象は免れない。第三幕はその点、舞台の動き同様に音楽的にも盛り沢山なので十分に効果を挙げていた言えるが、結構舞台上で石油が茫々と燃える火の効果はオリムピックの成果の如く、火事にならないかと緊迫感を盛り上げ、第二夜へと関心を繋ぐことになるのである。

要するに、起承転結で言えば、まさしくこの楽劇「ヴァルキューレ」は承であり、それが穴だとするならば第二夜の「ジークフリート」に大きな期待ができると言うことになる。そもそも音楽的にその終幕はそのように出来ており、一般的に思われているように「ヴォータンの別れ」でカタリシスへと導いてしまうような上演は誤りなのだろう。その音楽的な処理と表現は、また最も喝采を浴びる指揮者の力量と、その続きをどうしても聞き逃せない気持ちにさせる魅力なのであった。そして演出に関しても可也徹底してきていることを十分に予期させた。

余談であるが、田仲龍作ジャーナルが悲惨なガザの状況を赤裸々に報じている。こうした子供たちの骸の写真や報道を見て、心が動かない者は居ないに違いない。しかし劇場や芸術では、ライヴヴィデオが示すような多角的な視野を獲得することで、もしくは権力の裏側をのぞき見ることで、そこからが創作の世界となる。アンゲラ・メルケルも初日を止めて、この指輪四部作の再演を訪問すると言うが、そうした多角的な視野を共有することは決して悪くはないのである。権力闘争のオペラとしてヴェルディ「シモンボッカネグラ」などは特にストーラレル演出のそれで評判は高いが、こうしたヴァークナーの演出を見ればその多面性でそれとは比較は出来ない。



参照:

by pfaelzerwein | 2014-07-29 19:57 | | Trackback
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