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燃え尽きそうな味わい

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歌劇「ルル」の第一幕をピアノ譜を目にして流した。シゴルヒの登場からシェーン博士と画家の絡み、これほどの表現主義的な音楽があったのかと、改めて聞き逃していたものを確認する。マーラーの交響曲六番を二十世紀の交響曲の行き着いたところとしたが、この表現力は劇場音楽として超越している。エルヴィン・シュタインのピアノ譜の威力は顕著で、骸骨にしゃぶり付くと同時に肉付けが味わえるは、ハイデルベルクの人間造形の比ではない快楽の極地である。こうした音楽的な造形を通して、西欧近代文明が行き着いたそれを味わえるのだ。

水曜日には先日訪ねた石切り場を再訪した。お付き合いであるが、前回は肩を痛めたあくる日であまり顕著ではなかったが、今回は左手を伸ばすたびに悲鳴が出た。明らかに傷が創傷となってきていて当初よりも痛みが増しているのが明らかになった。それでも無理して悲鳴を上げながらもなんとか強制的に動かしているので、筋肉の傷口が滑らかになるのも早いと思う。昨年の右肩の痛みよりははるかに開放的である。

その帰りパン親方の案内で新装成ったシュロース・パークのビアガーデンなどを訪れた。なかなか見ごたえのある庭になっていて、驚いた。これならば地元縁のヒラリー・ハーン嬢が再訪しても恥ずかしくはない。バーデン・バーデンかと思うほどの雰囲気になっていた。そして、もと親方のやっていたもしくは実家のあったカフェ周辺を見て、ついでにダンスホールも町医者と見学した。所詮田舎であるが、カジノのある保養地でもあるから、勿論それぐらいの雰囲気はあっても当然であろう。旧操車場を使って音楽ホールをとの話もあったが、容物を作っても中身がなければどうしようもない。それは我が町にある個人所有のオペラ劇場が結局グライボーンのようにはらなかったのと同じで、そこでせめてフライブルクのバロック管弦楽団ぐらいがピットに納まるぐらいでなければ駄目だった。



参照:
パンチの効いた破壊力 2015-03-08 | 文化一般
二十世紀末を映した鏡 2013-11-05 | 文化一般
神々しい喜びよりも 2012-07-10 | 雑感
by pfaelzerwein | 2015-05-02 04:12 | 文化一般 | Trackback
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