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夏の橇滑りのあとに

買い物への途上のラディオの話題は私の従来からの関心事だった。つまり極東アジア人とロボットもしくは現代科学技術との関係が話題となっていた。特に日本に関してはロボットと日本人の付き合い方が解析されていて、ホンダという研究者が語っていた。それによると、「一神教ではない日本人は、全てに魂が宿る」とするアニミズムがロボットに対しての日本人の立場であるしていて、とても違和感を覚えた。その「自然」とするところと工業技術のロボットの繋がりが全く説明されていないからで、なるほど工芸品にも職人の心が篭るとかの考え方とは異なるだろう。その証拠に、「仏作って、魂入れず」の常套句にはそれらを明らかに否定する深い意味が読み取れる。

擬人化に表れるようなそうした心理が、ボケの入ったような高齢者に当てはまるとしても、そうした商品などを作っている技術者やエンジニアーには当てはまらない。そこで、次は日本学のコジマ・ヴァークナー嬢が、私が言いたいことを代弁する。それは鉄腕アトムなどの戦後の漫画文化に代表される戦後文化だろう。そして、それが訳されたときのアストロボーイという呼称がまた気になった。なぜアトムボーイではいけなかったのか?

手塚治に詳しい人に教えてもらいたいと思うが、これはその当初から正力の原子力利用の世論形成への戦略にその創作が深く関わっていたのだろう。そうした日本の核戦略をそのまま外国では利用する訳にはいけないからアトムの名は未だに慎重にさけれれているのだろうか?その影響下に日本のエンジニアーなどが置かれて、それが日本の戦後の技術立国政策とともにロボット利用へと引き継がれているとするのが正しいということだろう。

その背景には、先の研究家の思索へと戻って、本来の科学的思考やその基礎となる哲学の欠損が、明治以降の日本の近代化の大きな特徴であり、非合理な精神がその社会を特長つけているとしてよいだろう。恐らくそれが日本や極東での科学文化への対峙のあり方として共通しているところでもある筈だ。

暑さも頂点に達している。そして同時に落雷や雹が降って、急激な気温の上昇が悪天候となっている。シュヴァルツヴァルトやチューリンゲンなどでは激しい雹に襲われて、真っ白になった街中でそり遊びに興ずる子供の姿が写っている。出来れば、早くそれぐらいに冷えて欲しいが、ワインには今頃の雹は被害を与える。なぎ倒される木や葉が攻撃されるので、その後の生育に甚大なる影響を与えるばかりか、葡萄にも直接の打撃を与えるだろう。一方各地のアウトバーンでは、ハイデルベルクで路面が浮き上がるなどの高温の被害が出て、速度制限がなされたようである。日陰で摂氏40度なら当然だろう。



参照:
既視感と焦燥感の恍惚 2007-12-03 | 文学・思想
天候即ち偶然に頼って 2006-06-21 | 女
by pfaelzerwein | 2015-07-05 22:30 | アウトドーア・環境 | Trackback
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