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ミュンヘンからのお便り

昨晩はミュンヘンからの生放送を聞いた。劇場の響きは、ソリストのユリア・フィッシャーが答えるように生では良いのかもしれないが、管弦楽団をマイクで拾うにはあまり適さない。演奏もああしたところでやっている限りは本格的な管弦楽のアンサムブルは身につかないのだろう。話題のミュンヘンの新しいホールはバイエルンの放送交響楽団の問題であって、座付き管弦楽団の問題ではないが、入れ物も大切なよい証明である。エルガーの協奏曲ではやはりソリストと指揮者の間でテムポなどの妥協が必要になったということで興味深い。両方とも音符の音価を自信をもって維持できる音楽家なので可也の歩み寄りが必要になったのだろう。

ミュンヘンから発注していた入場券が届いた。昨年に続きクリスマス前の公演のもので、年末年始のオペレッタ「こうもり」公演の前のもので、ミュンヘンでの楽劇「指輪」サイクルの最後の公演である。これまでそのサイクルには行かなかったように、特に興味が無かったのだが、バイロイトの「神々の黄昏」の録音などを詳しく聞いているうちに、ミュンヘンでも聞いてみてもよいと思った。

面白いことに、十一月からあるそのサイクルの「ヴァルキューレ」の方は、指揮者がペトレンコから女流のヤングに変っている。歌手との個人的な関係が問題になったのかどうかは大衆新聞に任せておくとしても、あれだけ集中的に指揮をしていていれば、よほどの関心が無いと熱中できないだろうと思う。

実際私自身もあれだけ詳しくこれらの楽曲に夏以降付き合ってきて、それでもまだ食い足りないと思う楽劇が「神々の黄昏」であり、近代音楽の歴史においてもこの楽劇の意味合いを改めて考え直すに至ったのである。

そして、ミュンヘンの公演は、2013年までのバイロイト祝祭上演と同じくレーンス・ライアンがジークフリートを歌う。ミュンヘンでは「ジークフリート」でしか歌っていないようなので、これまた楽しみである。グンターを歌うマルコス・アイヒや大阪音大出身の中村恵理などは来週のパリ公演とミュンヘンでR・シュトラウス「ナクソス島のアリアドネ」でも歌う。

「アリアドネ」は永く接していないが、室内楽的な管弦楽の扱いも音楽的に興味深く、あれほど定評のあったカール・ベーム指揮のLP録音なども予想外に杜撰なことになっているので、今回はいくらか期待できるのだ。

ただし今回もミュンヘン方面での用事のついでにと言った感じで、立見席を安く入手するに至った。特にアリアドネの方はパリでの上演は気がついていたが、ミュンヘンでの上演は知らなかったので、九月に入ってからネットで発注したに過ぎない。地元に住んでいるのとは違って、普段の上演やその情報などもなかなか気がつかないことが多い。アリアドネの二時間半はなんでもないが、黄昏の五時間半はもう一度十分に音楽を勉強しておかないと立っているのが辛くなってくるだろう。



参照:
竹取物語の近代的な読解 2014-12-31 | 文化一般
アルベリヒは南仏に消えて、 2015-06-14 | 雑感
by pfaelzerwein | 2015-10-07 23:33 | 生活 | Trackback
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