人気ブログランキング | 話題のタグを見る

開かれたままの傷口の劇場

演出家のルック・ボンディが亡くなってから既に十日以上経った。しかしこれといったオペラ上演は思い出せない。そもそも故人が芝居の演出家であった以上に、如何にオペラのそれがつまらないものでるかを物語ってはいないか。オペラの演出で強く記憶に残っているものはそれほど多くはない。同僚のゼッフィレッリやポネル、シュトレーラーの次には、多くの評価の高い演出家の仕事を見ているが、結局はセラーズが挙がる。要するに台詞芝居の舞台のように感動させる舞台芝居などはオペラには皆無であることを語っている。音楽の力の方が強いこともあるが、それが音楽劇場の芝居として感動させることは少なく、カストルフの「ジークフリート」やシュリンゲンジフの「パルシファル」のように記憶に深く刻まれることは少ない。

指揮者キリル・ペトレンコ、映画監督アーノルト・ファンクと並んで殆ど日本語では書かれない中で多くの情報をここで提供しているのが、活動芸術家クリストフ・シュリンゲンジフについてである。新聞には新たに、故人が残したプロジェクトの種のその後が現地アフリカから報告されている。肺がんに蝕まれた最晩年に取り組んだアフリカのオペラ村プロジェクトについてである。

そこには学校が築かれて、本人の実験劇場の空間とは異なった劇場外劇場が実を結んできているようである。来年秋に新入生を50人を迎えると一通りの学年が揃い全校300人の男女共学が実現する。そこでは、通常の初等教育以外に、地元のそもそもの文化である踊りと音楽が学ばれているようだ。それはバイロイト祝祭劇場の音楽劇場の試みとは異なって、土着の文化を引き継いでいく重要な文化活動となっているというのである。

未完のプロジェクトながら、流石に開かれたままの創作活動であって、とても意味深い示唆を我々に与え続ける。西洋近代文化をそのまま映し出してくれるような芸術などはそれほど多くはないからである。リヒャルト・ヴァークナーが試みた劇場における神話劇が劇場外の工業化された社会での現実世界をどれほど反映していたか?

2004年、2005年の舞台神聖劇「パルシファル」の放送録音を聞いたことがないのを思い出して、探してDLしてみる。MP3しかないが、少しだけ聞くと少しづつその演奏を思い出す。劇場で聞くよりも更に透明感が増しているが、ピエール・ブーレーズの指揮は開かれたままの演奏実践となっている。そのテムポの速さと流れの良さの反面、もう一息踏み込むことはないのである。その意味から十分に開かれた形となっていて、当時の批評にある「開かれたままの傷口」の演出上演と呼応していたのだった。

上の舞台で扱われていたことは、一神教のそれをも抱合してしまう世界観であったのだが、我々の日常と世界観を超える領域への窓を開くことはそれほど容易くはない。学問や科学などとはまた異なる窓を開くべき芸術としての音楽劇場が存在するとして、その音楽の存在が効果を齎す半面、音楽自体の言語や修辞法が学んだことにない者にとってはあまり容易でないために、言語劇場に比較すると知的論理面でより抽象的となるために、音楽劇場はエンターティメントでその表現を終えてしまうということが多いのである。



参照:
Schlingensiefs Traum, SARAH HEGENBART, FAZ vom 5.12.2015
黄昏の雪男の話 2013-10-19 | 雑感
最も同時代的な芸術家の死 2010-08-24 | 文化一般
循環する裏返しの感興 2009-04-27 | 雑感
御奉仕が座右の銘の女 2005-07-26 | 女
デューラーの兎とボイスの兎 2004-12-03 | 文化一般
by pfaelzerwein | 2015-12-14 21:49 | 文化一般 | Trackback
<< 今までと違うことをすると 糊代を残すストライド走法 >>