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首を垂れないケリー長官

火曜日の新聞の見出しは、広島の慰霊碑に献花するG7外相たちの後ろ姿だった。日本のネットでもこのニュースは見ていたが、やはりフランクフルターアルゲマイネの短かな見出し記事の方がはるかに上質だった。

カラー写真の説明として書かれていることは、ケリー国防長官が「広島」を訪れた最初の合衆国外務大臣であり、シュタインマイヤー独外相をはじめとする各外相が日本の仕来り通りに首を垂れる中で、ケリー長官だけ短く俯いただけだったとある。僅か二三行でここに報道する事象を過不足なく示している。やはりこの新聞は高級紙だと思う。

勿論私はこの新聞の編集部が特別な日本通であることは知っているが、そうでない人々に対しても充分に二面以降の記事を読まないでもある程度起こった事象が分かるのではないだろうか。

まさしく外交がここにある訳で、これによってオバマ大統領の念願でもある広島訪問へと大きな一歩が刻まれたのだろう。ブラント首相がゲットーで跪いた件に関しては、それはそれでその仕草が示唆するものが有名であるが、まさしくこのケリー長官のそれは対照的なものとして十分に示唆に富んでいたものだろう。

ジャーナリズムは言葉でもあるとわれるが、それはなにも美文であるとか修辞法の巧みさだけだとはいえないもので、それが映像であろうがなんであろうがジャーナリズムであるという実例である。

この二月に偶々近くで遭遇したバイエルンでの列車事故では管制官が事故の直前に携帯電話のゲームに打ち込んでいたことが分かった。当局はその管制官を逮捕して、本格的に容疑を調査するとある。

日本では車の自動消灯装置が義務化されるとあった。本当に事故数がそれで減るのだろうか?日本の路上は街以上に明るくしているので事情が異なるのだろうか?なるほどイタリアなどでは冬季の点灯が義務付けされているが、ドイツでは夜でも無灯火の車が時々ある。理由は大抵点け忘れなのだが、街の中があまりに明るいと道路が暗いことに気が付かないことがあるからだ。恐らく日本の都会では何処へ行ってもヘッドラムプなどは無用かもしれない。問題は日中の太陽が明かり過ぎるからだろう。

補欠選北海道五区のVIDEOなどを見ていると北海道は流石にあそこは緯度が違うようだ。野党共闘で一挙に選挙戦が分からなくなってきたということで沸き返っている。共産党も地盤があるようで、そこに市民勢力が結びついたことで、異色の福祉士が立候補している。その厳しい生い立ちからか、演説でのてにをは等は怪しいところがあるのだが、今までであれば共産党や労組には似つかわしくない候補者で、紛れもない市民選挙の雰囲気を醸し出している。しかし補欠といっても次の解散までの間、もし通るとしたら無所属で、どのような議員活動をするのだろう。話題性は十分あるようだが、政策で分かりやすかったのは「新千歳空港にとって今後大切なことは、欧米に一番近い空港として直行便を実現」だろうか。なるほど政局としては面白いのかもしれないが、政治的なトレンドとしては、よほど市民団体などが積極的に表に出てこない限り烏合集散となりかねない。



参照:
Ein kurzes Neigen des Hauptes, FAZ vom 12.4.2016
不可逆な無常の劇空間 2016-01-18 | 文化一般
被害者意識からの覚醒 2015-08-07 | 歴史・時事
池田まき公式サイト
by pfaelzerwein | 2016-04-13 17:52 | 歴史・時事 | Trackback
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