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富の再配分より機会均等!

新聞のトップ記事の写真がよい。バーデン・ヴュルテムベルク州のクレッチマン首相が女性に頬を寄せていていて、二人とも幸せな顔をしている。その女性ムテレム・アラスは、今回州議会長に選ばれた、初のモスリムで、五十歳になる会計士である。

アナトリア出身で幼児の時にドイツへと移住してきた。成功物語でもあるが、それ以上に人気ある緑の党の地方議員である。今回の選任にAfD議員の殆どは賛意を示さなかったようであるが、この写真が語ることは、そのような一部の人の考え方以上に、連邦共和国の大多数としての大きな声を反映している。

クレッチマン首相は新聞インタヴューに答えて、「AfDを悪魔化して見せることは間違い」であり、「その支持者の一部は悪魔的な極右かもしれないが、その他はそうではなくて、その声を聞かなければいけない」とするのは正しい。AfDをして、難民問題で声が大きくなったポピュリズムの東欧などにおける右傾化の動きと共通して捉えたり、トラムプ旋風や大阪のやくざ政治集団と同一視するのも的外れであるが、この視線はその意味からもとても真っ当である。

更に続けて、「そうしたAfDの支持者は、自分よりも立場の弱い者を貶めることで気を吐いている」として、例えば「生活保護を受けている人たちは共同体の一員としての意識を十分に持っておらず、彼らこそが共同体に取り込まなければいけない存在である」として、インテグラツィォンという統合化は移民者だけに適用されるものではないと名言を吐いている。

そうした考え方から、任命した社会相は共同体相と呼びたいともいい、そもそも緑の党においては「富の分配よりも、機会均等をその社会政策としている」と繰り返すことで、我々が最初の写真に共感を抱くその理由を教えてくれる。

つまり、新議長の成功話も、ムスリムの顧客が少なくないことから大きな事務所を持ち得たであろう我々社会の現実がそこにあり、そうした顧客層も連邦共和国の社会で、共同体で大きな意味をもつ現実が、またそこから政界へとの流れの中で、共同体における機会均等を証明しているからである。それが読者にとっても自負と共感として捉えられるからであるという説明である。

明らかに緑の党の政策や人選が決して人気取りに根差したものではなくて、現実に根差しているということを別な観点から首相は語っている。つまりAfDの宗教的な主張は、連邦国民の主流派を分断するものであって、統合化に逆行する趣旨であるとの見解を示す。同時に今回のCDUとの連立政策は、SPDをパートナーとするよりも、その保守政党の社会における根の下し方や経済界における影響からして有利に進展するだろうとして、国民政党CDUの現代化を更に期待する。そして、連立協定では内省安全をCDUに譲り、環境問題ではCDUに現代化を求めたということである。



参照:
Ministerpräsident Winfried Kretschmann (Grüne),
Einmal ist immer das erste Mal,
Muhterem ARAS – Erfolgsgeschichte, FAZ vom 12.5.2016
スレート土壌女史の対決 2016-03-16 | 雑感
国政を予想させる選挙予想 2016-03-14 | 歴史・時事
取るに足らないAfDの自由 2016-04-25 | マスメディア批評
by pfaelzerwein | 2016-05-12 21:57 | マスメディア批評 | Trackback
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