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プロテスタンティズムの焦燥

昨日車中で聞いたラディオからである。リベラルな文化波からの内容で、若いドイツ青年がアフリカの援助で得た体験を語っている。アフリカと書いたが車中のことなので滞在地などは聞いていなかった。それでも重要なことは、青年も最初はパシフィズムの武器を持たない援助というものを想像していたようだが、現在の彼は「そのような考え方は冷戦時代のそれで、イスラム国などの現在武器を持たない活動はあり得ない」としている。

この発言で気が付いたのは先日訪日中に早稲田で講演して「日本は武器を持って責任を果たすとき」と提案したガウク独大統領の発言と通じるところがあるからだ。要するに日本で未だに隠れ蓑とされている九条と言われるパシフィズムに対する批判として認知することが可能である。勿論このラディオ番組の南ドイツ放送局の制作者は日本の九条信仰についても認識があるに違いない。

もう少し身近な問題として、フライブルクでの連続婦女殺人事件騒動から、町中の武器が売り切れたという話がある。婦女子にしてみれば何らかの防御武器を身につけなければ安心して外出できないとするのは当然だろうと確か上の番組の直前に話されていたと思う。

軍事力を使った治安維持と、日常の自己防衛手段とは異なるが、合衆国などの銃の所持問題などとも共通する思考もそこにはある。前記の青年が現場の感覚からそのように考えるようになったことも充分に理解もするのだが、一方では現実的な対応としての限界を感じてしまうのは当然ではなかろうか。

ここで注目しなければならないのは、ある意味特殊な信仰でもあるパシフィズムに対するこうした公な批判の声が大きくなってきていることであろう。ある意味、今までは真面な批判と対象とならなかったそれが議論の対象になってきているということかもしれない。そしてこうした動きの一方にはプロテスタンティズムを掲げる大統領や首相がいて、その政策こそが現実離れした理想主義から難民政策などが大きな問題となっていて、自己正当化しなければいけないという批判の矛先に立っているということだろう。

このブログのタイトルにあるように、関心を寄せてそのプロテスタンティズムを観察しているが、前教皇のカトリックの時世に続いて、ここでも国民の意識がそうしたプリテスタンティズム少しづつ乖離して行っていると肌で感じるのは私だけだろうか?

LINUXシナモンの最初の調整は一通り終えた。SAMBAは最小の形で、WIN8とファイル交換するように設置した。新しくSMB.CONFを書き込んだので勉強になった。再び遠隔操作の設定も、前回問題になったXfceを使わなくてもTIGHTVNCをインストールするだけでXrdpとして使えることが分かったので助かった。YOUTUBEの説明はMINT17に対してであって、MINT18はその点で改良されているのだろう。右クリックで打ち込みが出来、終了や再起動などもSHUTDOWNやREBOOTコマンドで可能なので全く問題なく遠隔操作が出来そうである。

久しぶりに今度は本格的にWiFi温度計が使いたい時期であり、再びラズペリーパイの方に戻ろうかと思う。こうして行ったり来たりしているうちに少しはLINUXの腕が上がるのではないだろうか。



参照:
違和感が消えるときは 2016-11-20 | 雑感
婦女暴行殺人事件の容疑者 2016-12-06 | 雑感
by pfaelzerwein | 2016-12-07 17:19 | マスメディア批評 | Trackback
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