原因と結果の科学的な認識

日本のネットを見ていると科学的と感情的との言葉が反対概念として並べられている。そしてそうした場合決まって科学的な根拠やその考察については一切触れられていない。既成事実としての科学的な結論らしきものに対する不信感を抱く気持ちが感情的と定義づけられているようだ。特に健康問題などであると、安全と安心と対語になって使われるらしい。

そもそも自身で確認できないような原因と結果は信じられないのが当然であって、その過程を追う考察を以ってはじめて因果関係を認識するのが科学的な思考というのだが、どうもなんらかの政治経済的な理由で安全とされるものに懐疑することが非科学的と見做されているようである。所謂安全神話と呼ばれるものである。311が近づくと取り上げられる話題であり、科学的な思考が問われている。

つまり一つはフクシマ禍に関することで、本来ならば居住不可能な飯館村に居残らなければいけない人々の不安に真摯に応えようとするならば、先ずは移住補償を推進して、それでも居残る人に健康被害の危険性を説明したうえで、健康な食生活や健康な生活を少しでも長く続けれるようなアドヴァイスを与えるべきなのだ。その範囲は郡山辺りまで広がることは間違いない。そして向こう三十年ほどは変わりない。もう一つは医療被曝の問題であろう。結局は医療は大きな市場であることが前提となっているので、医療被曝で高年齢化と共に癌患者などが増えれば増えるほど市場が大きくなるのである ― よって一律的な国民皆保険制度は明らかに誤りである。つまり、医療被曝による癌発症リスクを説明したうえでしか、もしくは癌検査による生存率変化のないことを説明することが重要である。

しかし、癌による死亡率が上昇しているのは何回も被曝を重ねている日本だけではないのである。連邦共和国でも癌による死亡率は増えているという。理由は様々あるだろうが、高齢化以外にも考えられることは様々である。核実験による今までにほとんど存在しなかった核物質の拡散だけが癌の疾病率を上昇させているとは思わないが、ありとあらゆる無視できないファクターを可能な限り虱潰しに排除していくしか方法はないのだろう。

その意味ではここ暫く話題になっているシュツッツガルト市内へのディーゼル車締め出しへの州政府の動きは正しい。この冬だけでも何回かアウトバーンで同地をかすめる度に塵警報が出ていたのである。それも平日ではなく土曜日の朝からの警報であった。たとえスピード制限しても市内の盆地での排ガス量を減らすことなどはできない。渋滞すれば更に増える。なるほど一律にディーゼルを規制する以外にも方法はあるかもしれないが、既に各大都市圏は排ガス規制がなされていて一台一台検査認可されていない限り市内へは通行不可となっている。その結果ディーゼルには出さないということであるからほかに手の打ちようがないのであろう。

ドイツ企業といえばドイツェバンクの壊滅的な状況が外国でそれも日米などで盛んに流されていたが、先日話題となっていたポストバンク身売りはしないというようなことが報じられている。原点である銀行業務へと業務を集中させようと思えば各地にあるポストバンクの意味は大きいに違いない。従来の銀行の顧客や地域的にも重ならないところも多く、補う形で双方で銀行業務が出来る筈だ。



参照:
検診自体が疾病の証拠 2012-12-04 | 生活
被曝が不健康な医療保険 2012-06-20 | 生活
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by pfaelzerwein | 2017-03-07 00:12 | 雑感 | Trackback
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