天才の白鳥の歌と呼ばれた交響曲

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承前)一週間後に迫った。モーツァルトの交響曲39番変ホ長調K543が演奏されるコンサートである。この曲は天才作曲家の白鳥の歌と呼ばれていても、ト短調やハ長調交響曲に比較して苦手な曲だったのだ。それ故かポケットスコアも所持しておらず、今回初めて楽譜を見た。そしてなぜこの曲が他の名作と異なるかが初めて分かった。

なによりも曲冒頭の重いアダージョの序奏からして、「ドンジョヴァンニ」でもなく、バロック序曲のようなそれが、所謂BGMとしての現在の消費されるモーツァルトとは違和感があるのだ ― それらを称したビーダーマイヤー風とは異なる。恐らくそういうことだろう。それに関しては改めるとしても、謎解きにあたりそうなものが二楽章にもあった。

この二楽章がこのように書き込まれている作品だとは全然気が付かなったのである。フレージングでずらされるアーティクレーションが考えられないような精妙さを形作っているのだが、正直今まで他の交響曲においての弱音器を使っただけの響きほどに、それが充分には聞き取れていなかったのだ。

試しに精妙な合奏と評価の高いジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団の演奏を聴いてみた。なるほど精妙極まる演奏で、ベルリンで客演した「最後の四つの歌」の録音で感じたリズムの鈍さは全くなく、正確無比な律動を刻んでいて、トレモロなどは笑わせる。だから時計仕掛けのように響きながらも、リタルタンドなどを時間もってたっぷりとかけていて、表情をたっぷりとつけている。先日のペトレンコ指揮のハフナー交響曲での演奏実践を思い起こした。要するに、視覚的な表情をしっかりと定めて演奏させている。ペトレンコが自身を「モーツァルト指揮者ではない」と自認するならば、このユダヤ人亡命アメリカ人もモーツァルト指揮者ではなかったということになるのだろう。

そこでモーツァルト指揮者カール・ベーム博士の録音となるのだ。先ずはベルリンのフィルハーモニカ―とのハフナーの録音も聴いてみた。嘗てこの全集を聴いていても全く覚えていなかった。管弦楽はあまりにもいつもの弦の奏法を重視するばかりに痩せこけた貧しい響きになることが多く、熱心に弾いているのだが、今回のペトレンコ指揮の演奏と比較するとリズム的にも曖昧さがあって、ついていけていない場面もある。しかし、否それ故により本質的な天才の創作を辿れるような演奏実践がなされているようだ。こうした演奏録音を具に見ていくと、来週演奏するヴィーンの座付き管弦楽団でどこまでこうした表現が可能なのかと訝られるのである。

そしてこの39番交響曲は、指揮者フルトヴェングラーやムラヴィンスキーなど所謂モーツァルト指揮者ではない大指揮者が得意にしていた。それはどういうことだったのか?(続く)



参照:
ペトレンコにおける演奏実践環境 2017-03-30 | 文化一般
ハフナー交響曲を想う 2017-03-28 | 音
九月の四つの最後の響き 2016-09-23 | 音 
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by pfaelzerwein | 2017-04-28 18:54 | | Trackback
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