ブルックナー交響楽の真意

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ブルックナー交響曲4番「ロマンティック」を聴いた。今年90歳になるヘルベルト・ブロムシュテット指揮ヴィーナーフィルハーモニカ―の演奏だ。19世紀後半を代表するブルックナーの交響曲は、その後のマーラーの交響曲に比較すると、今でも世界的には充分に理解されていない。理由ははっきりしているのだが、それよりも先にブルックナーの本質的な要素に触れたのがいつものようにシマンスキー氏の公演前のオリエンティーリングだった。

第九番のときにもそのスケルツォをして、蒸気機関駆動としてのイメージを挙げていたのだが、同じ主題の交響曲を書き続けたこの作曲家の場合、当然ながらそれを遡る形でここでも産業革命時代を代表する交響作曲家としてのブルックナーを読み解くことになる。しかし、当然ながらそれだけではないのは当然で、まさしくこの交響曲四楽章コーダーに、一挙に再起する主題群つまり、弦のトレモロの機械のカムの回転音、ホルンの日の出、呼び出しの主題と各々が三位一体をなしていることになる。

自然主義の日の出や鳥の囀りなどは、ブルックナー自身が当時の聴衆に説明した霧の中に浮かび上がる中世のお城の騎士の世界や狩りのホルンのロマンティックな夢想と決して相性は悪くが無いので、比較的馴染みのある純粋音楽へのイメージであろう。しかし、呼び出しの主題、つまり第一楽章でのホルンの響き自体が呼び出しであり、ストラヴィンスキー作曲「春の祭典」とあまり変わらないことになる。その後半の三連符の上昇もまさにそのものとなる。そして何を呼び出しているかになるのだが、この作曲家のスヴェデンボルグ同様に神との遭遇を記録している神秘主義で密教的な書付けから、それは明らかとなる。つまり本人のビーダーマイヤーの世界観に訴えかけた解説では充分に言い尽くされていない部分である。

しかし恐らく一番問題になるのは、産業革命後の蒸気機関の響きがどこまでメカニックな形でこの交響曲作家の音楽主題になっていたかということであろうか ― それがなぜベートーヴェン的な動機処理ではなくなるのは容易に理解できるであろう。マーラーに至っては市電に乗り続けていた所謂てっちゃんであったことは知られているが、寧ろ音楽的にメカニック的なところはブルックナーの交響曲のようには目立たない。勿論ブルックナーの創作過程を見るときには、同時に例えば「タンホイザー」におけるヴァークナーとその後の「ジークフリート」のかなとこの音楽などを並行して観察することが助けとなるに違いない。つまりこの交響曲が作曲されたときにはまだまだヴァークナーはそこまでの近代的な創作をしていなかった。

いずれにしても産業革命の蒸気機関に代表される圧倒的な力こそが、密教的な感覚からしてもカトリック信仰の見地からしても、最も重要な時代の鼓動だったことには間違いない。そのメカニズムもエンジニアリング的な発想であればあるほど本質的となる ― それはコペルニクス的な発想に近いかもしえない。そうした意味で、ブルックナーの動機の扱いこそがデジタル的であり、アナログ的なマーラーの主題とは対照的とする考えは半世紀ほど前からよく知られていたが、それは強ち間違いではないであろう。(続く



参照:
ブルックナーの真価解析 2013-12-17 | 音
「大指揮者」の十八番演奏 2014-03-18 | 音
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by pfaelzerwein | 2017-05-07 22:29 | | Trackback
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