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普遍的なネットでの響き

お昼休み時間のRAI3を聞いた。その前から流していたが、イタリア語のラディオやTVを流していると落ち着かない。なるほどイタリア語の発声は明るく澄んでいるのだが、その抑揚などもどうしても喧しく感じる。歌うと素晴らしいベルカントになるのだが、少なくともメディアの喋りはかなわない。女性の喋りも苦手である。世界でこれほど心を揺さぶらない若い女性の喋りも珍しい。ドイツ語の女性の喋りもあまりに深い響きが続くとあまり気持ちはよくないが、フランス語ほどではないにして、騒がしくは感じない。山小屋などで出会う男性のイタリア語は、深く底光りするような響きがあって、あれはドイツ男性のそれよりも素晴らしいと思うのだが、中々そのような美声はメディアではなかなか聞けない。

昨年12月23日にトリノのオーディトリウムで催されたキリル・ペトレンコ指揮RAI交響楽団の演奏会から悲愴交響曲が放送された。じっくり聞けてはいないが、その響きが例えばチェロなどは倍音が響いてベルカントになっていて、ベルリンのフィルハーモニカ―との演奏とは全く違うように響く。演奏の質が違うということよりも、管弦楽が各々に描く響きが異なるとこのようになるのかと思う。なるほど弦楽の奏法なども異なるとしても、全く異なる想像力が働いているということになる。全くイタリア語の響きと変わらない。もう少し詳しく聞いていこう。

ネットで、ピエール・ブーレーズ指揮のものを探していたら、思いがけず「パルシファル」の録音が見つかった。2004年のシュリンゲンジーフ演出のもので、既に一つはDLしていたが、今回のものの方が音質が良い。圧縮が少ないのだろうか。但し一部にノイズが入っている。昨年の12月にアップされていて、知らなかった。

先月ベルリンではフランク・カストルフ監督のフォルクスビューネのさよなら企画が開かれていて、そこでシュリンゲンジーフの映像作品などが放映されたらしい。カストルフの「指輪」を体験してしまうと、あの2004年のシュリンゲンジーフの「パルシファル」演出が如何に真摯で、あそこまで真剣な演出はバイロイトでもなかなかなかったのではないかと改めて思う。その普遍的なカトリック的な価値観に、こうして音だけでもより迫真に満ちた音質で聴くと、改めて感動させられる。

当時はアクションアーティストとしての面だけが注目されていたが、そのあとの死に至るまでの経過を垣間見てしまうと、その演出のコンセプトの本筋しか見えなくなってしまうのである。同様に生演奏においても生々しいその音響と明晰さが記憶にはあったが、少しずつ思い出している。バイロイトデビュー時のブーレーズ指揮「パルシファル」と比較するまでも無く、ゆったりとしたテムポ感と広がる音響が、シュリンゲンジーフ演出の普遍性によく馴染むのが分かる。より上質のバイエルン放送のマスターを聞くと更に記憶が蘇ると思われる。YOUTUBEに上げられているものには一部舞台の写真が嵌められている。



参照:
アイゼナッハの谷からの風景 2017-07-17 | 音
TV灯入れ式を取り止めた訳 2017-01-02 | 暦
圧倒的なフィナーレの合唱 2017-06-05 | 音
開かれたままの傷口の劇場 2015-12-15 | 文化一般
御奉仕が座右の銘の女 2005-07-26 | 女
デューラーの兎とボイスの兎 2004-12-03 | 文化一般
by pfaelzerwein | 2017-07-20 23:45 | | Trackback
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