音楽芸術のGötterFunke体験

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夕食を済ましてからザルツブルクからの中継を見聞きした。午後に行われたものをラディオもTVも時差を置いてゴールデンタイムに流した。arteのこの種の放送としてはミュンヘンの「タンホイザー」が話題だが、制作に手間暇を掛けているかどうかが問われるところだ。

新聞評はムーティ指揮のヴィーナーフィルハーモニカ―が健闘しているとあまりに強調していたので、折角ならとラディオ高音質録音を試みた。しかしBRクラシックで今まで経験したことが無いぐらい最初から最後まで秒以下の中断があったりして、尋常ではないアクセスの集中が推測さられた。要するに我々が熱心になる「スーパーオパー」とは異なり「オペラ」上演ということで「三人のテノール」ファンのような人々までの関心の広がりがあるのだろう。出来るだけ拘わりたくないものであるが、1月のシカゴ交響楽団との演奏会での趣味の良いエンターティメント性はこのマエストロのオペラをも無視できなくした。

そのように期待してあまり十分でない放送を聞くと、座付き管弦楽団の下手さ加減だけが耳について楽しめない ― 最近はベルリンのフィルハーモニカ―とかペトレンコ指揮のスーパーオパーしか体験していないのでもはや普通の名演などでは耐えられなくなっている。モルティエ時代にしても結局は記憶にしっかり残っているのは、コンセルトヘボー管弦楽団の「モーゼとアロン」であったりするので、ヴィーンの座付き管弦楽団が真面に演奏していたのはカール・ベーム博士指揮の時ぐらいしかなかったことを思い出す。

但し、ヴェルディの書法を熟知したマエストロの指揮は流石であり、デビューで大成功をしたこの作品においても歌手の間合いなどをさきさきに見通しながらのテムポ設定や色付けそのドラマテュルギ構築が見事としか言えない。なるほどシカゴなどの超一流の交響楽団からの音楽と、座付き管弦楽団からの音楽では比較にならないのだが、普段のヴィーンの歌劇場ではなかなか体験できないオペラ上演がなされるのがザルツブルクでありその点でも最上質のエンターティメントに他ならない ― まあ、昨年の復活祭の「オテロ」とは流石に世界が違う。

お目当てであるアンナ・ネトレプコについては、売り出しの頃にゴールデンタイムのゴッチャルク司会のZDF番組で歌っていたのをいつも思い出すのだが、その時の印象は今回も変わらなく、技術的にもしっかりしていてということで、新聞評でも高いCとかピアノのAsとかの話しつまり声楽的な技術の職人的な評価が全てである。オペラファンというのは、コンサートゴアーズが指揮棒の上げ下げを云々するような感じでそうした職人技に関心がある人が少なくないのかもしれない。我々音楽愛好家からすれば、歌手のそれやオペラの音楽的な不正確さなどに言及するとなると上演などなり立たないと考えるので、あまりそれには関心が無いのである。

その意味からもマエストロのエスコートぶりは本物の名人芸である。ネトレプコは、TVで現在はオーストリア国籍とされていたが、指揮者のゲルギエーフと同じくプーティン支援者の代表的な存在で、たとえ厚遇されたとしてもスイスではなくオーストリアというのが興味深い。兎に角、この人気オペラの実演をバーデンバーデンで体験するようなことがあるようには思わないので、またその映像も手元に無いので先ずはDLしておく。HLSストリーミングファイルをストリーミングと同じように落とすので、3.256GBのDLで上演時間だけ時間が掛かった。三幕以降しか生で観れなかったので ― なぜかそれでもラディオよりも安定していた、初めて動画を流すことになる。

世界が違うと言えば、ボンのベートーヴェンフェストから冊子Ludwig!が届いていたので、それを捲ると昨年のPVの様子が写真として掲載されていた。当日会場にいたので海外放送局ドイツェヴェレによるそれは観れていない。だから探している ― ネット中継されているのでDW以外にもどこかに全中継コピーが存在する筈だ。これはと思って早速探すとやっぱりDWに障りがあった。これだけでもとても貴重である。個人的な思い出ではなく、あの時のテムポが記憶でなく記録として示されることで、可成りの部分が再現可能となる。あの特にチャイコフスキーからアンコールまでの流れは、キリル・ペトレンコ指揮演奏会の中でも屈指の量子的な飛躍のあった演奏で、まさしくGötterFunkeの体験である ― 永く音楽会に通っていてもこういう飛躍の時というのは稀であり、フルトヴェングラー指揮演奏会のようには行かない。

チャイコフスキーのコーダ近辺のテムポの推移などは基本テムポとその設定から演繹するしかないが ― この指揮者の演奏実践上でのテムポ設定とその維持また推移には恣意や偶然は無く、あるのは音楽構造であるから演繹可能となる ―、この短い障りからでも他の会場での録音のテムポとその会場で感じた体感の比較は可能となる。アンコールの「ルスランとリュドミラ」もカルロス・クライバー張りの管の短い跳ねなどは聴けないが、ややもすればムラヴィンスキー指揮のあの超高速のそれをどうして思い出してしまうので、ここでの快速の障りだけでもとても有り難い。

オペラの上演とコンサートの上演の体験の質は全く異なるが、エンターティメントの体験と芸術体験というのは往々にして相容れないということも確かであろう。だから私などは芸術体験の前には一切アルコールを口にしなくなったのである。演奏家がほろ酔い機嫌でヴィーナーヴァルツァーのようなことは出来ても、芸術などは全く表現できないのと同じことである。例えば同じ芸術表現でもレナード・バーンスタイン指揮の演奏会では体験できなかった芸術というのがそこではとても重要なことになる。



参照:
とても魅力的な管弦楽 2017-01-30 | 音
なにか目安にしたいもの 2017-04-22 | 雑感
ドイツ的に耳をそばたてる 2016-09-18 | 音
時の管理の響き方 2016-09-16 | 音
管弦楽演奏のエッセンス 2016-09-14 | 音
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by pfaelzerwein | 2017-08-13 19:19 | 文化一般 | Trackback
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