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Go home & never come back!

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承前BR-Klassikのページを読んで驚いた。そこには、ザルツブルクでタイトルロールのティートを歌い、「いいね」をくれたラッセル・ト-マスのエピソードが載っている。今回の演出には一人の南アフリカ出身ゴルダ・シュルツとアフロアメリカンのアニーオの役のジィニー・ドピックの二人の歌手がいたが、その一人が訪れたモンドゼーで一人の爺さんに大声で侮辱されたというのだ。「恐らく、アラブ女性と見られたようだ」とある。行楽地でありアメリカ人を含む世界中からの観光客が集まるザルツカムマーグートでこのような野蛮行為があるとは容易に信じられない ― 少なくともドイツでは証拠さえあれば侮辱罪で刑事訴訟は免れない。するとミュンヘン在住でドイツ語も喋るに違いないゴルダ・シュルツがヴェールか何かを被っていたのかもしれない。彼女がモスリムかどうかも知らないが、少なくとも外見からしても攻撃を受けるような対象ではない。そしてドピックにしても明らかにアメリカ人と分かるだろうと思う。

暴言を吐いた人物が、ドイツからのまたはオーストリアの旅行者なのかまたは東欧からのそれなのかも分からないが、少なくとも連邦共和国民ならもしかすると滞在地での法の隙を知っている法律家なのかもしれない。典型的なAfDの支持者層であり、二流指揮者クリスティアン・ティーレマンらのPEGIDAも皆同じ穴の狢である。そしてこのようなことが合衆国でもなく西欧で発生することは恥でしかなく、ヴァージニア州知事のように「恥じろ、出ていけ」 ― Schäme dich!Raus!と叫ぶべきなのである。実際その場にいたら、言葉が出なくても、少なくとも大切な証拠となるVIDEOを回す位のことは出来るではないか。

私たちウルトラリベラルな者であっても、「どちらもどちら」とトラムプのような姿勢はとらないが、意見の相違があってそれを取り立てて激化させても解決には向かわないと考える。このシャルローツヴィレにおいても両陣営が警察を挟んで対立していたのも事実であり、事件前から暴力沙汰になっていたのも間違いない。しかし、ネオナチであろうがネトウヨであろうがAfDであろうが、彼らの言動を寛容のもとに許容することはまた別の問題である。

それらの行動や発言に厳しく反応することで議論が可能となる。またキリスト教民主同盟などの保守政党の立場のように、奴らを非合法化して地下に潜らせないことの方が重要だとする見解も理解するが、厳しい批判は欠かせない。PEGIDAの主張も尤もなことで許容していた。しかし一連の世界の動きを見ると何も旗印を明らかにする必要など無いが、「許容できないことには許容しないと声を上げる」ことは欠かせないと思うようになった。

安倍政権批判に堪りかねて在フランクフルト日本国坂本総領事が殴り込んだドイツの高級紙フランクフルターアルゲマイネが、このAfDにも執拗な批判を続けている。文字通りには誰もが納得するような党のスローガンの裏に潜む事実を暴き、警鐘を鳴らし続けている。

ラッセル・トーマスは、上のエピソードに関して「この制作の焦点ではないが、間違いなくこの経験が皆に反映している」と語っている。彼のフォルテで一本調子と評されたティートの怒りの歌の激しさを見るとなるほどと思わせて、私が最初に考えていたような「合衆国の人種を投影させている」というような静的でドラマとして様式化された表現形態を超えて、そのもの情的で肉体感を持った表現意思が演出されていたとすると更に驚愕させられる。

以下のようにリツイートした通り、見事な歌唱と演技でthe painを表現していて、まさにこの南アフリカ出身の教育を受けた歌手がそのもてる技術と感性を活かして表現している芸術というものを私たちは見極めなければいけないのだ。

今年上演された音楽劇場作品でとびぬけた価値を見出せる上演であり、それを無理して破廉恥な音楽を生で聞かないでもネットで流されるそれを見れば充分に体験可能である。こうした上演に際して、それを体験して批評できない様では、音楽劇場などを幾ら体験しても無駄でしかない。

Golda Schultz‏ @SchultzGolda  4. Aug.
Just #thankyou #petersellars for helping me find the #beauty in the #pain #clemenzaditito #GoldenMoments #blessedbeyondmeasure



参照:
反レーシズム世界の寛容 2017-08-11 | 文化一般
金ではない、そこにあるのは 2017-08-23 | 雑感
異常なI’m not Abeな事態 2015-04-30 | マスメディア批評
by pfaelzerwein | 2017-08-23 20:03 | 歴史・時事 | Trackback
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