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自分流行語「香辛料」の翁

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セヴンスデー・アドヴェンティスト教会の放送が面白い。そもそもこの教会にも管弦楽団の況してや爺さんの指揮者にそれほど興味がないのだが、卒寿の指揮者ブロムシュテットが登場して、音楽や身辺の話をしているのが面白い。日本で人気があり、馴染み深いこの音楽家への興味は、こちらでは先ず何よりも最初にその健康の秘訣への関心ということになり、それは世界のどこでも同じではなかろうか。日本や極東の儒教の教えから導かれる漠然とした気持ちはないかもしれないが、高齢者がこのように生き生きとして楽しそうに話すのを聞くと、少なくとも一体何がそんなに素晴らしいのだろうと関心を引き起こすのは当然だと思う。

二つのヴィデオを観て、芸術に関してはゲヴァントハウスの管弦楽団を称して、お勤めの日曜礼拝での任務が、キリスト者でない楽員の若者にも与える影響を語っていて、音楽に対する真剣なものを皆自然に持ち合わせるようになると言う。そして、「最もゲヴァントハウスの管弦楽団は、音楽に対峙する真摯なものを持っている。」と語る。

これは札幌公演でも感想の中にその舞台での態度などについて触れたものがあって ― 後ろを振り返るのは新ゲヴァントハウスで慣れているからだろうが、そのようなところまで見られているのかと思ったのだが、ブロムシュテットのこの言及はこれに通じるところがあると感じた。我々はどうしてもカトリックにおけるそれとプロテスタントにおけるその態度の差をどうしても先入観念として持っているので、プロテスタント圏のある種のふてふてしさを思い描くのだが、簡単に日曜礼拝の雰囲気と読み替えてもよいだろうか。ごく一般的な日本人が神社参る感覚と寺廻をする感覚の相違の様なものを想像して貰えるとよいかもしれない。恐らく仏教の家庭にとっても、神社のそれの方が国家神道的な権威をどこかに感じているかもしれないということだ。

そしてこの老指揮者は、「コンサートの前にはお祈りなどすることがない」と言っている。番組上その信仰との関係に触れるのは当然で、この教派がどのようなものかはよく分からないが、そのように簡単にあしらって、「自分自身の生活自体が信仰だ」と言うのはとても強いメッセージ性があった。その一方で、番組に配慮して、「お祈りはしますけど」と断っているのが、おかしかった。

もう一つは、ルツェルンの娘さんの多世代家庭の自宅からの風景で、お誕生日のプレゼントの料理本を手に語る場面だ。「ポルシェやピカソの絵画をプレゼントされるよりもこれに価値があるんだ」と言うのがまた面白い。なるほどあの爺さんならばポルシェでぶっ飛ばすぐらいお茶の子さいさいだろう。その朝食が簡単なオートミールの様なものに野イチゴ類の季節のものを混ぜるようだが、スェーデンの暮らしとか本人のルーツを強く感じさせて、これがまた味わい深い ― まるで、終止の音の後で立ち尽くすこの老指揮者が感じている、余韻の様なものだろうか。

そしてそうした贅沢品をして、ブロムシュテットは「それらは人生のただのスパイスにしか過ぎない」と、全く同じようにゲヴァントハウスにおける「19世紀以外のバッロックや近代音楽のレパートリーをスパイスだ」と断言する ― このあたりにこの人が18代首席指揮者をしていた時の管弦楽の冴えない響き感がよく出ている。

月曜日にはNHKホールから「アインドィツェスレクイエム」の中継がある。土曜日からデンマークでの同じ曲の演奏会中継録画が30分づつ放送される。11月の時期がらとても楽しみにしている。まさしく鬱陶しい11月の生活での香辛料だ。



参照:
Selig sind, die da Leid tragen,
Das Gewandhausorchester Leipzig,
Freude statt Luxus, (HopeChannel)
土人に人気の卒寿指揮者 2017-11-07 | 歴史・時事
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by pfaelzerwein | 2017-11-09 21:06 | 雑感 | Trackback
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