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十年先のペトレンコを読む

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承前)キリル・ペトレンコへのインタヴュー、前半では古楽器とモーツァルトの演奏実践について触れられた。この件は、先週掲載された日本での記者会見での質問について触れたノイエズルヒャーツャイテュングにも、ミュンヘンでのただ二つ上手くいかなかった演奏として新演出の「ティトスの寛容」と「ルチア」についての言及があった。その後、ベルリンでハフナー交響曲を振って成功しているので、態々前任者のケント・ナガノとの共通性とするまでもないと思った。それに関しては歴史的な演奏実践として後半で再び繰り返される。

もう一点、見逃せない言及は。テムポに関してと同時代性に関しての「古い録音」への言及だろう。これに関しては、リヒャルト・シュトラウス演奏実践に関して作曲家の録音や同時代の録音をこの天才指揮者も聞いている筈だと書いたことがあるが、後半でこれに関連する方へと質問が進む。


ご自身を昔風の指揮者と考えますか?

確かに、80年代のサウンドフェチの指揮者よりは確かに昔風の音楽家でしょう。どんな音楽家もあまりに立派で鳴り渡る音響を追い求めようとすると、明確な表現を失いがちとなります。しかし今はその傾向は再び反転しているのは長く知られるところで、作品の本質へと迫ろうとしています。それどころか、チャイコフスキーの「悲愴」をノンヴィブラートで弾かせようとする指揮者までいます。全くバカバカしい!もし当時そのようであったならば、作曲家は同時代人から理解されないと感じたことであり、次代の人によってそのように刻まれていた。それは、当時の管弦楽のための音楽ではなく、想像の管弦楽のものだったのですよ。全ての色彩への精神の音楽というものです。

コーミッシェオパーの上演プログラムは、バルトークからモダーンまで至っていますが、座付き管弦楽団というのは専門化するクラシック音楽界という意味で、全く対抗できるのでしょうか?

全くもって。管弦楽というのは、様々な時代の音楽を演奏するものだという見解です。専門楽団と競争しないならそれはもはや必要ないということですよ。勿論それは、敗北しないで、挑戦するという課題です。例えばグルックのオペラでのある箇所で、古楽器がやるよりも更なるダイナミック一撃を、モダーンな楽器の構築的な音響的な可能性を以って可能にしようということです。

これだけの成功したコーミッシェオパーの時代でしたが、一つの初演も五年間で行っていませんね。

認めておかないといけないのは、それよりもモーツェルトでのことについて語る方が重要だということです。勿論新しい音楽へのスペクトラムを投げかけるのは当然です。しかし私がここに来ての、最優先課題は、レパートリー上演の質の向上でありました。そこでは、全くなんでもなく、新しい音楽に向けるというような時間はなかったのです。

ベルリンでは、あなたの管弦楽やフィルハーモニカーへの客演としてコンサート指揮者として登場しました。それでも主にオペラ指揮者と見做されています。それはキャリアーにおいて偶然だったのか、それともオペラは指揮者として背骨に当たるのでしょうか?

実際私のエージェントが、謂わばオペラへ放り込んだって感じですか。学生時代は、寧ろコンサート指揮者だと見てましたし、あんまり歌劇場の音楽監督なんて見ていなかった。八年間は歌劇場の音楽監督で、先ずはマイニンゲン、そしてベルリン、背骨になったとも言える、そしてこれからもまたそのようであり得ます。今モーツァルトの交響曲を指揮すれば、そこにとても多くのオペラを聞き、チャイコフスキーやシュトラウスにおいても変わりないです。これらの作曲家にとっては、オペラは創造の背骨でした。

ベルリンを後にしてからのご計画は、いつベルリンに客演に戻ってこられますか?

先ず何よりも二年間は間隔が欲しい、自身の地平線を広げるためにです。先ず定まったポストには就きません。過去八年間はとても大変でした。毎朝十時に劇場に行って、十時前に自宅に戻ることは殆どなかったです。劇場に食い尽くされた。コンサートには再びベルリンに戻ってきます。しかしここでオペラをやるまでには大分掛かるでしょう。今はこの間に欠けていたものを取り戻して:例えばベートーヴェンとブラームスの交響曲を継続的に研究することです。

つまり、ベルリンではペトレンコの半分も体験できなかったということですね。

そう、あと半分は後追いで配達しますよ。(終わり)


更に重要なキーワードが幾つか出てきた。古楽器、座付き、交響楽団などのあり方で、特に座付き管弦楽団のあり方に関して言及していて、その多様性のあり方を目していて、現在のミュンヘンのそれがどのような方向に進むべきかの指揮者としての視点が読み取れる。同時に逆に推測するとベルリンのフィルハーモニカーが今後どの方向に進むべきかの示唆がここにある。

もう一つは、ミュンヘンの歌劇場の日本公演でも話題になり、また恐らく現在世界最高のクリーヴランド管弦楽団の欧州公演でもはっきりした傾向であり、また反対に指揮者シャイ―の薫陶により管弦楽団として通るようになったゲヴァントハウス管弦楽団のように、嘗てのつまりカラヤン世代の響きは過去のものとなって、それ以前のように管弦楽団が音楽の本質的な表現へと向かうようになったとする私見も、キリル・ペトレンコがここで十年前に裏打ちしていた。またまたノンヴィブラートの指揮者ノーターリンなどを一撃する放言があって、これまた恐ろしい。シュトッツガルトには、政治と金しかなくて、まともなアーティストプロデューサーが存在しない。

もう一つは、あの時点でべ―ト―ヴェンは兎も角、ブラームスにも言及していることだ。これは注目に値する。先月の交響曲四番に続いて、来年はドッペルコンツェルトをカーネギーホールで指揮する。第四番の印象では、通常よりも細かに楽譜を読み解くことで、その形式感や作曲上の狙いを聞きとらせて、絶大な効果を上げる。それだけ十年も掛けて読み込んでいるということだろうが、この指揮者はただブラームスに集中することだけが目的ではない筈なので、そこが次の十年への土台となるということだろう。ベートーヴェンに関しては来年の夏にその研究の結果が聞かれると言うことだ ― 既に台北の練習風景動画でその方向性は予測可能となっている。



参照:
"Unser Publikum weiß, dass es mitdenken soll", Das Gespräch mit Kirill Petrenko führte Jörg Köningsdorf (Der Tagesspiegel)
Nach Tokio! Nach Rom! 2017-09-15 | 音
シャコンヌ主題の表徴 2017-10-13 | 音
by pfaelzerwein | 2017-11-13 21:18 | 文化一般 | Trackback
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