不覚にも嗚咽が漏れる

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フランスのスーパーで購入したボーヌの2005年物を週末に開けた。結論からすると、良年の2005年ならばドイツのシュペートブルグンダーでこの程度のものはある。要するにもう一つ上のものからすれば繊細さが殆どなくつまらない。しっかりとコクのあるタンニンの効いたワインならばメドックの方が間違いなく上で、その鋼の様なストラドヴィヴァリウスのような芯が無い。やはりピノノワールに繊細さが無いとほとんど飲む価値が無い。今までボーヌ周辺のそれもいくらかは飲んでいるが全く満足したことが無いのである。

折からのプッチーニ「三部作」ミュンヘン初演の生中継に合わせて二日目はフリカッセを手元の材料で作って、簡単な食事とした。予想していたように二回の休憩があると思ったら、一回しか休憩が無かったので、「外套」の最初で食事をした。

承前)不覚にも号泣しそうになってしまった ― まるで復活祭に体験したペトレンコ指揮の「悲愴」三楽章の後の様な嗚咽になる。プッチーニのセンティメンタリズムのちんけなお話しのオペラである。だから一幕「外套」をヴェリズモとか何とかいう以前に、プッチーニのメロディーが安物のソ-プオパーにしか聞こえないのだが、流石にミュンヒェンでの初演は違った。

敢えて「幕」と表現したが、やはりキリル・ペトレンコの譜読みと実践は素晴らしく、二幕「修道女」アンジェリカでも「外套」に続いて、ラディオを聞きながら嗚咽が漏れそうになった。主演のエルモネーラ・ヤホの歌にも打たれた ― 放送後に直ぐにリツイートしたらご本人かマネージャーが直ぐに反応してバイエルン放送局のインタヴューのリツイートに「いいね」をくれた。そのインタヴューとは個人的なこの役柄との宿命的な繋がりを最後に少し触れたものだ。兎に角、このあまり上演されない役を歌いこんでいて十八番にしていることは間違いなかった。

そして先に触れた三幕「ジャンニスキッキ」での「助走」は、なるほどと思わせる実務的な解決法で、アレグロ132を遅く始めていて、テムポリタルタンドとテムポで上手に帳尻を合わせていた。ここも詳しく見てみたいが、第二回目の上演では早くするのではなかろうか。要するに細かな流れの変化を克明に音化することを先行させていた。まさしくこの辺りはこの天才指揮者にはお茶の子さいさいなのだ。まさしく、ヨーナス・カウフマンがペトレンコを評して「キリルには、知と情がとても良く配合されている」というそのもので、まさしく自由自在の棒の特に二幕における抒情性の表現は神技としか言えない ― バイロイトでも示した通りだ。その分、三幕の始まりは若干喜劇的な要素はなかったのだが、ただのドタバタ喜劇にならずに、一幕・二幕との繋がりがとてもよかった。詳しくは生で体験してからである。戸外の教会広場では待降節の音楽が流れていた ― まるで「ラボーム」の様な気持ちだ。(続く



参照:
身震いするほどの武者震い 2017-09-27 | 音
価値のあるなしを吟味する 2017-04-05 | ワイン
高みの環境への至福の処 2015-08-15 | 音
鼓動を感じるネオロココ趣味 2017-04-10 | 音
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by pfaelzerwein | 2017-12-19 00:39 | ワイン | Trackback
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