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フルトヴェングラーの響き

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これで漸くクリスマスのストレスから解放される。毎年のように暗い広場の市場で魚のテリーヌを入手して、パン屋に寄り、肉屋で注文のものを回収して、買い物が済んだ。水曜日まではこれで籠れる。その間に頂上まで一度二度走れれば満足だ。

昨晩はミュンヘンのヘラクレスザールからのライヴ中継を聞いた。ブロムシュテット指揮のバイエルンの放送交響楽団の演奏である。食事のバラ寿司を作りながらなのであまリ真剣には聞けかったが、あまりにも不細工なジュピター交響曲の演奏なので録音していたものを直ぐに消した。なるほど同僚として挙げていたようにハーノンクールなどの奏法を取り知れていて、若返りを試みているが全くものになっていなかった。

日本などでは「この交響楽団は欧州有数」と恐らくその管楽器ポストなどがARDの優勝者の勤め先になっていることなどからか、それともあの強引なドライヴのヤンソンスの楽器になっているからなのかは知らないが、基本は昔から変わらず弦楽などのアンサムブルはあまりよくない。それがあまり上手くない棒で弾くとこうなるというお手本のようなもので、ヴィーナーどころかその面ではゲヴァントハウスなどとは比較にならないことを再確認した。流石にドサ周りのバムベルクの地方交響楽団とは違うが、遠くから出向いて聞くほどの管弦楽団ではないのは昔から変わらない。

老指揮者の管弦楽団次第の演奏は仕方ないのだが、その話しのインタヴューは聞き逃せない ― 体調はベルリンの時より大分良さそうだ。これほど話の巧い音楽関係者は他にいないと思う。流石の伝道師だ。今回もフルトヴェングラー話しが興味深かった。ブロムシュテットは、同じように自身で聞いたトスカニーニやブルーノ・ヴァルターとの比較でフルトヴェングラーを語るので、我々にとってはとても貴重な証言である。なによりも専門家であり、アメリカ人ならば他の指揮者と同時にフルトヴェングラーは聞けていないからである。

「フルトヴェングラーはロマンティックな音楽家で自ら作曲もして」と明らかに今でも通じるトスカニーニとは異なると断言している。これに関しては美学的な問題であるのでそのままは受け入れがたいが、それ以上に語り手の美学的な立場を反映している。そこで氏は、「自分自身はそもそも音楽学者志向」だからと述べていて、「フルトヴェングラーのテムポとか譜読みは最終的にその響き作りに最も都合のよいようになされている」とこれはとても重要な発言をした。そこで、例えばトスカニーニなどの譜読みとの比較になっていて、作曲家でもあるフルトヴェングラーの第二の創造であるというような意味合いと現在のブロムシュテット自らの立場を表明している。

メトロノームの半分しか刻まないフルトヴェングラーについてだけでなく、モーツァルトのテムポの可能性に関してもライポルト氏が質問していて、それに対して楽想ごとのテムポの相違とパウゼに関しても言及していてこれもとても面白かった。結局は最終的にキリル・ペトレンコの指揮のように技術が語ることの方が重要なのである。

我々がこの発言から驚愕するのは、やはりそのフルトヴェングラーの響きへの言及であり、まるで心霊写真かのように、なぜかフルトヴェングラー指揮の演奏録音は音がしっかりしない現象をいつも体験している人が「あれか」と思うその響きだ。この証言はやはりとんでもなく貴重だと思った。特に当時のドイツの音楽界を考えると、一方では新機軸のベーム指揮のシュターツカペレの様なノイエザッハリッヒカイトの響きがまさしくナチの芸術を音楽的に代弁していた訳だが ― 映像表現などともそのまま共鳴する、その一方でああした戦中から引き継がれる音楽芸術が存在した意味はあまりにも大きい。一体あの響きは何だったのか?

ブロムシュテットの譜読みの姿勢は、キリル・ペトレンコなどのそれにも共通する姿勢がみられるのだが、後半に演奏されたシュテンハムマーの交響曲二番においても87歳で初めて見つけて、それをやるか、やらないで終えるかの二者選択でやることにしたという、そのなんともこの人の人格を表しているのがまたその譜読みの姿勢でもある。これはある意味重鎮の音楽家にしてはとても危ういのであり、実際にその演奏にもそうした危うさが反映していた。

非常に実務的な態度であり、現場の空気をとてもよく伝えてくれる一方、その指揮の技術とか職業人としてのそれも可成り緩いな思わせるのだ。もう一域立ち入るとすれば、フルトヴェングラーのその響きというのは本人のエッセイなどを待つまでもなく、近代芸術音楽の構造の展開の根幹にある。一方では、和声関係からの所謂バロック音楽通奏低音に依拠する響きを古典的とする管弦楽運動が存在したことも事実であろう。この老指揮者が歌いそして解説するお話しが分かり易く格別面白いのは、まさしくそうした枠組みを一歩も踏み外さないからだ。それを芸術美学的に評価すれば、指揮者ヘルベルト・ブロムシュテットがなぜ超一流から遠く、音楽先進国ではその話しの面白さに関わらずそれほど珍重されていないかの傍証になっていると思う。

今晩はプッチーニ「三部作」の三日目の中継である。日曜日にオンデマンドになるということもあり、映像はチェックだけにして音だけに集中して完璧に聞ければよいかとも思っている。今までの経験から動画の完全ダウンロードは難しいと思うからである。生放送の音だけでも完璧にDL出来ないだろうか。



参照:
カロリーだけでなく栄養も 2017-12-12 | 生活
ブラームスの交響曲4番 2017-10-08 | 音
ペトレンコ劇場のエポック 2017-12-22 | 音
by pfaelzerwein | 2017-12-23 20:26 | | Trackback
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