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雪渋滞に備えよう

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週末にかけて降雪が予想されている。前回のミュンヘン行では帰路9時間掛かった。土曜日の夜だったので、除雪作業が間に合わずに、アウトバーンで三時間ほど立ち往生した。これを逆算すると16時に始まるとなると、早朝6時には出かけなければいけない。流石に現実的ではない。予想されていて、夜半から午前中の降雪が予想されているので予め準備はしているだろうが、交通規制無しには難しい。通常ならば9時に出れば昼食をして、買い物をしてと充分な時間である。

そこで代替策を考えた。列車旅行である。金曜日の夜にスキー場に前乗りは宿が無かった、忙しくてとてもそこまで気が回らなかった。例えばマンハイム発でミュンヘン往復ならば、往復40ユーロである。驚いたのは夜行が走っていて、ミュンヘンを零時過ぎ発なので、劇場が終わってからビールをたらふく飲んでから乗車可能だ。但しマンハイム到着が4時半で四時間もかかる。帰宅してベットに入ろうと思えば6時である。たとえ車中でタブレットを弄っていても、ビールを飲んでいても、辛いと思う。なるほど往路は楽譜を見ていけるのだが、復路となるとメモしたものと楽譜を合わせるだけの作業になる ― ペトレンコ組の試験の答え合わせである。そして冬ならば古い頑強なコートを羽織っていかなければいけなく、積雪があれば足元も悪く、靴まで替えなければいけない。更に手荷物も限られるので、とても面倒なのだ。一等料金も10ユーロ増しなのだが、人に聞くとそれほど良くないらしい。空調フィルターが効いている自分の車とは比較にならないようだ。

駐車料金は中央駅地下駐車場に停めても30ユーロほどなので、まだガソリン代80ユーロに比較すると余裕がある。劇場の駐車料金を20ユーロとして、その他では飲み食いの金子が必要となる。車ならピクニックで充分だ。これが日曜日ならば美術館も安く入れるので無駄が出なかったが、土曜日は数ユーロする。差額は益々縮まる。出来れば車で往復したいが、状況によっては途上の最寄りの駅で高額の切符を買って列車に乗り換えることなども考えておかなければいけないかもしれない。いずれにしても今回は8時ごろには出発しなければ確実でないかもしれない。帰宅は道が開いていれば未明1時には帰宅出来るだろうか。雪雲レーダーと交通情報から目が離せない。

承前)その楽劇「ジークフリート」三幕である。前奏曲の中身は逆戻りしてもう一度見なければいけないが、先ずは一場のヴァンダラーとエルダの絡みだ、二人の前夜祭でのそれよりもここでは第一夜の二幕二場のヴォータンとブリュンヒルデとの絡みの場面をどうしても対照化してしまう。ここでは和声の絡みの境界を超えてしまっているのだが、同時にエルダとの対比などが付けられていて、管弦楽法的にも興味が尽きない。二場のヴァンダラーとジークフリートの絡みにおいても二つほど動機の扱いがとても気になってきた。三場は何度も触れているがまさしくルツェルンのトリプヒェンの風景であり、氷河を仰ぎ見る音楽としてこれほどのものが書かれたためしはないが、やはりハ調で締めてきて、そうした山なりの旋律構造はこの四部作でここぞというところに出てきている。とりわけ面白いのは、ここでいうヴァンダラーとか、その歌詞がどうしても独墺ロマンティックの様相つまり一方における自然賛美などに傾きつつ、そのホッホロマンティックとは可成り離れた工業社会との対比を描くブルックナーなどの相似性が顕著となるのである。もう少し時間を掛けて見てみないと、まだ十分な把握が出来ていないで、少々混乱している。要するに楽匠がそこでどうしてそのような楽譜を書き込んでいったかの思考過程が、感興が分かってこないと幾らアナリーゼを進めても意味が無い。これだけ素晴らしく密に書き込まれているだけに、一音たりとも疎かにしたくないというのは、指揮のキリル・ペトレンコの気持ちと変わらないのではなかろうか。あまり時間が残されていないが、どうなることか?



参照:
熱心なもの好き達 2018-01-21 | 文化一般
高みの環境への至福の処 2015-08-15 | 音
by pfaelzerwein | 2018-02-01 22:52 | 生活 | Trackback
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