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長いコルクにみる生命力

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先日店先で試したピノノワールを自宅でジックリ品定めするために胸高く掲げ大事そうに抱えて持ち帰った。その道すがら醸造所のベンス氏にすれ違いに見られ笑われ、「先日の試飲では、上級のワインはデキャンターされていて、これはしていなかった条件の相違を厳格に補正する」試飲の目的を説明する。

そのようにして早速デキャンターに移し、味の経過を見るのだ。初日の印象は先の試飲と同じく、香りが無く、酸が効いていて、アルコールが強いというほかなかった。それゆえか、鼻に来るというか喉に来るというか胃に来るというか、兎に角力強い。明くる日の印象は、それらの要素に変わって、ミネラル質の味が幾らか表に出るようになって来た。つまり配合されている、ルッパーツベルクのホーヘブルクの土壌の個性が幾らか感じられるようになって来たことになるのだろう。このように経年して良くとすれば、2年後ぐらいにはこの価格を大きく越える事になるかもしれない。それならば買いである。一度試して見る価値はあるかも知れない。投資額は知れている。

さてその前々日に持ち帰ったのがグランクリュの2003年産カルクオッフェンである。石灰質の土壌が醸し出すストーレートさはその酸の出方として表れて、重いクラスのワインとしては比較的喉を通り易い。その反面、この記録的なヴィンテージのワインに甘みを感じさせる要因となっている。その甘みが邪魔になり出すとなかなか酌が進まない。グランクリュであるからして、内容が濃いのは当然であるが、食事に何倍も飲める代物ではない。ある意味、グランクリュワインと言うのは、辛口であってもぐいぐい飲み干すワインではなくて、食事の一部にグラスで当てられるワインなのだろう。

金曜日に開けたワインが月曜でもその香は増しながらも未だに強く感じるというのがグランクリュワインの味の濃さなのである。なるほど2006年産の限られた量ながらも価格だけでなく簡単に全てのグランクリュが売り切れないのは、個人消費者にとってそれほど重宝なワインではないからだろう。

キャビネット以上のリースリングの楽しみ方は、一考に価すると思うがどうであろうか?これなら以前の半辛口の方がアルコール度が薄かっただけ飲みやすかったと思うがどうだろう?

参考のためにそれらの瓶とコルクを、先日現地スーパーで買ったイタリアの、1998年物と並べて撮影する。一般的にコルクの長さを見れば、そのワインがどれぐらいの潜在力があるのか、予想されているのか判るのだ。コルク栓が如何に高価で自然破壊に繋がると言っても、だから余計にガラス栓のワインは割高感があるのだ。
by pfaelzerwein | 2007-09-19 06:02 | 試飲百景 | Trackback
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