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PAの瞼に残るプファルツ

PAの瞼に残るプファルツ_d0127795_3463427.jpgエバーバッハの町で食事はしたが、見学はしなかった。しかし、先日からひょんなことで、この町とはいくつもの交わりがある。

何よりも、マンの「ファウストュス博士」にて重要な登場人物クレッチマーの故郷の音楽文化を語るのに、この町がプファルツのエバーバッハとして出てくるのである。敢えてクア・プファルツとしていない。もちろんそうなればハイデルベルクもプァルツであろう。

ハイデルベルクのネッカー上流に位置するこの小さな町は、クレッチマーの文化的土台を作る宗教者ヨハン・コンラート・バイセルの生まれ故郷である。因みに、早く新教化したこの町もティリー軍の侵攻後旧教が復権する。バイセルは、貧しい酔っ払いのパン職人家庭の生まれで教育も無く、自ら職人として南ドイツを転々とする内に敬虔派再洗礼派の影響を受けてハイデルベルクへ戻ってくると、宗教活動を始める。それにより逮捕された事から米国へ移住する。南ドイツの三十年戦争以降の分派活動が背景にあるが、新天地で自由な宗教活動が続けられて、清教徒を中心に複雑な米国の文化の基礎が築かれていく。ここではEPHATAと呼ばれるアーミッシュのペンシルヴァニア、ランカスター圏の町が舞台となる。現在も双方に姉妹都市関係がある。

その話は地元で余り聞いたことがなかったが、どうも今もそこのコミュニティーで使われている言葉は古いプファルツ方言のようである。しかし、詳しくみていくとなると、プロテスタント宗教史や言語学や民俗学の専門領域のようなので、余り簡単に触れる事は出来ない様子である。

マンは、米国で出会ったドイツ系の移民に、同じようにハレからの敬虔派の流れと再洗礼派の流れの双方を扱うことになる。その扱われ方についてはなお詳しく見ていかないと分からないが、重要なのはそうした推測の契機を与えて、ツヴィングリやカルバンまでを視野に入れる必要性を読者に示唆することである。それが主旨であろう。

写真は、エバーバッハの町から近い裏山にあるエバーバッハ城である。ヴォルムスの司教に仕えるフォン・エベルバッハ伯によって12世紀に建造され、15世紀には帝国のテリトリー争いの中で潰された。後に宗教者となるバイセルにとってはペンシルヴァニアに移ってからも瞼に残っていた廃墟の姿であろう。


参照:
Pennsylvania Dutch(m's New York cafe)
Kutztown Pennsylvania German Festival(m's New York cafe)
アーミッシュの人々(時空を超えて)
by pfaelzerwein | 2007-10-30 03:45 | 文学・思想 | Trackback
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