朝から
スッキリしないので、お客様相談室に電話をした。ドイツェテレコムの技術苦情係である。ネットの苦情であるからあまり気分は良くなく、どうしてもそのような声色になってしまうが、対応した若い男性は上手に対応してくれた。結局、その場でサーヴァーサイドを調べてくれて、問題のないことが判り、気になっていたルーターに疑いが廻って来た。余計に気が優れないが、電源を抜いてその場で試すように教示を受け行なった。ここまで来れば、その事情が飲み込めたので、試してみて問題があれば再び電話すると言う事にした。先方は透かさず、明日まで有効な速度の早い他の契約を勧めた。先ずは解決してからと言うことで電話を切った。なるほど、電源プラグを十秒ほど抜くことでメモリーに一杯になった要らぬ情報が消えて、再び順調になった。ここ暫らくコメント欄に多い所では五重にも書き込む誤りのように、ご迷惑をお掛けしましたが、これにて解決した。そして、ルーターの問題はまたまた良い実体験となった。
どうもスッキリしないシュトックハウゼンの訃報の扱いも、本日の紙面で解決した。死亡の連絡自体が正式にメディアに届いたのが初めて金曜日の晩になってからと言う。それをして、家族・近親・取巻きを除いては、その死を公にしない「隔離」と説明している。
ビートルズの「サージェントペッパー」の舞台袖に代表されるようなポップ業界での名声と、現代音楽を象牙の塔から引き出して大衆に訴えかけた酋長としての役割を述べて、その魅力と子供っぽい手に負えない想像力をして、大変なお商売熱心で狂信的な排他性と呼び、本来ならば遠に「お商売」から足を洗っていても良かった筈と評する。だからこそ、歳相応に見えなかったその死は、これからだったのに?と思わせるような驚きを与えたのだとしている。
その遺作の巨大作品「リヒト」にも勿論触れているが、個人的には2001年10月ベルリンでのケント・ナガノ指揮「プンクテ」とその話題の「リヒト」から「土曜日」のピアノ曲もしくは「ルチファーの夢」の演奏会での遭遇と、目に焼きついた巨体の白装束の作曲家の姿を思い出す。演奏会前の講演には遅れてしまったのだが、問題の発言が質問されたかと思うと大変残念である。しかし、それゆえに1981年の作品であった上の曲の既に陳腐となったパファーマンスの古臭さと、
あの発言の真意が結びつくことは今後ともないのではないかとは、幾分客観的な視点を獲得出来ている。
そして、この発言に関して再びこの新聞記事に目を移すと、後輩のヴォルフガンク・リームの発言「シュトックハウゼンの習合的な宗教観や世界観が、何れにせよ日常の言語に先ず翻訳される必要があったなら」と、今日に至るまでそして今後とも永遠に議論とはなりようがない該当発言をして、芸術家が暴力的でありえる可能性を考察する。
しかし、そこにある仏教や幼稚な二項対立の ― 天使ルチィファーを取巻く作品に表れる ― 迷惑でエゴイスティックな信心を解析して、例の発言を「悪の力そのものの、そして全てのものの救済を、音響と共に戦った」と友好的に翻訳するが、その発言内容のように彼が謙虚であったことなどは一度もなかったと揶揄している。そして、それに続けて17歳の孤児が学業を終えてメシアンの下で修行して若くして頭角を顕し、ブーレーズ、ノーノと並ぶダルムシュタットの三巨星として、またセリエル音楽の細胞として、その一角を担う場面を紹介する。
同時にそれは、汚く薄汚れた1946年以前の伝統と手を切る姿勢としての一貫性を挙げることで、上記の「プンクテ」などに代表される初期の作品を間接的に批評している。まさにこの部分が、ストラヴィンスキーなどの影響を受けた作品を放棄または呪い、後に自害した先輩のベルント・アロイス・ツィンマーマンなどとの相違を図らずも浮き彫りにしている。
ハンス・ヴェルナー・ヘンツェとの比較で始まる大きな写真と殆ど一面を使った文化欄の記事は、物理的な概念をもった進歩信仰に始まった古い前衛もしくは現代音楽の、白い巨象もしくはドイツの大作曲家の死として伝えている。更にこれに付け加えることはないだろう。関心のある読者は、これでスッキリとしたのではないだろうか?
参照:
Der weiße Elefant der Neuen Musik, Elenore Büning, FAZ vom 10.12.07
善意と悪意と (買ったら全部聴け)
シュトックハウゼン追悼企画、シュトックハウゼン作 (妄想的音楽鑑賞)
シュトックハウゼン 死去 (Ganze Lieben, Ganze Freuden)
Continuum by Rainer Brüninghaus (夕暮れ時の空の色)
異質なものに包摂されること (庭は夏の日ざかり)
音という奇跡 (無精庵徒然草)