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自己確立無き利己主義

「小日本などは原爆を東京や京都大阪に落として、皆殺しにしてしまえ」との言い草は、日常茶飯に博士号を持つような西欧や日本に住むシナ人の醜い口元から発せられる。なにもこれは、冗談でも、自虐的な態度から出ている言葉ではない。シナ人を理解する者としては、これを中華思想として受け止めるしかない。シナ人がこの世から消えない限りは変わらないからである。

「中国が送った三千人の民が日本を文明化した」とする史実はどうなのか、日本史などを学術的に習った覚えもないのでなんとも言えないが、朝鮮からの帰化人よりも直接中国からの指導者が日本を形作ったようである。

「大体、生ものを食するような連中は、野蛮人で、発展途上の文化である」と聞くとなるほどなと、彼らの卑しさが原動力となる「不可能と言う言葉の無い殆どカニバリズムのシナ飯」には勝てないと思うばかりである。

彼らをそうした卑屈な中華思想から、毛沢東でさえ救い出せなかったのであるから、彼らの主張に一利あるだろう。それは、アメリカナイズされたり先祖がえりのなかで行ったり来たりしている日本文化の卑小さのようなものを曝け出しているからである。

こうなれば、折角、携えて持ってきた小林秀雄の書籍を読んだのであるから一言二言コメントしておかなければいけないだろう。

端的に評すれば、シナ人が指摘するような未発達の卑小な日本の文化を代表しているようで、その内容たるや女々しくてまともな大人がそれも文化人が書くようなものではないと分かる。

我ながら恥ずかしい事に、著者が亡き母親に捧げたとある名著「モーツァルト」などは、そのスタンダールなどへの本歌とりを辿って文献を揃えていた形跡があり、十代の若気の至りとしても、船便で別送した弟子の吉田秀和のものと含めてあまりにもつまらないものを読んで喜んでいたものだと情ない。

後者の「言うことを言わぬ」どうしようもないものから比べると、小林のものは流石によりその狡猾な叙述法や時代背景をもった論壇での影響力も大きく、唯物主義と戦い、ベルクソンとかフランス象徴派が動員されて、挙句の果ては近代の綻びへと導いていて始末に悪い。しかし所詮は、独特の主観主義と言うような悪しき日本の伝統を築いていて、なんら役に立たない。今その詳細に触れる時間はないが、今日の日本を予測させるにたる文化的内容であると思われる。

現在の日本人は「自己確立していないエゴイスト」と称するのが良いと思われるが、そうした教育を為政者が望み、学術文化人達は環境を故意に曲解して自閉症のようにとどのつまりは其処に留まる。そうした社会を外から見ると、冒頭のような薄汚い罵りが生じてくるのである。

当然ながら、旧共産圏で教育された世界の人々と同じように、シナ人にも自由民主主義教育を施さなければいけないのだが、これはその社会のアイデンティティーに係わり、日本におけるそれと同じように為政者にとっても都合の悪い事なのである。



参照:女子供文化の先祖帰り [ 文化一般 ] / 2008-04-20
by pfaelzerwein | 2008-04-28 15:16 | 歴史・時事 | Trackback
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