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座標軸の定まらぬ思慮

聖霊降臨祭の祝日である。復活祭から第七週目とすると、日本へ旅行してから矢張り同じぐらいの期間が経つ。その間、三週間は日本、数日はフランスであったので、地元には三週間ほど居た事になる。

ここ数日は夏日和で二十七度を越える暑さだ。乾燥していて喉が渇くが、まだまだ白昼夢見るような気候ではないが、夜放射冷却で冷えてくると肌寒く、窓を閉め切って気持ちよく就寝する事が出来る。

南ブルゴーニュの旅の隠された目的、クルニーの町の修道所について手短にまとめておかなければいけないが、その前につまらないエピソードだけを書き留めて置いて旅の思い出としておこう。同室で寝泊りしたマコンの医師からメールで写真を送りたいからこのアドレスで良いかと尋ねてくれた。

彼の息子さんが東京のフランスの海外事務所に駐在していると言うことで、盛夏にそこを旅行するアドヴァイスと参考資料を送ってあげると約束していたのである。あれやこれやと考えている。

墓場の横でリースリングゼクトをそこの水場に冷してそれを空けた時のことを思い出した。冷やそうとしていた酒飲みが、水場のたまりの後ろを覗きこんで叫んだ。

「おいこんなところに、エスカルゴ焼きの鍋があるぞ」

そこへ行く途上に必至でエスカルゴを探して、一人が何処からともなく見つけてきていたのだった。

「おい、あれは何処へやった」と道端に戻しておいたエスカルゴが急に惜しくなってきたのである。

「帯びに短し襷に長し」を、ドイツ語などではどのように言うのだったかなと考えているのだが、なかなか思い出さない。

旅行の道程や移動距離、陸路にしろ空路にしろその描いた軌跡が残像のように脳に残っていて、一寸混乱したような気分にある。新聞に目を通していても内容を漫然と理解しているだけで、もう一つそれ以上に分析的となれない。なにか、ジャイロコンパスの軸が壊れたナヴィゲーションシステムのような、ずれた空間が重なっているようで気持ちが悪い。

日本旅行前に獲得した書籍など、いくつもの集中して目を通したいものがあるのだが、そうしたものに集中する時間的精神的余裕が無い以上に、なによりも上の座標軸が固定も移動もしないと言うような 高 度 な状況に陥っている。
by pfaelzerwein | 2008-05-11 14:59 | 雑感 | Trackback
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