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擦れ違う視線の笑い

先日来、何周年かで映画「男はつらいよ」がネット上でも話題となっているのに気がついた。幾つかのコンテンツをみたのだが、何よりもTVシリーズまでもがDVDで発売されると知って、記憶を呼び起こしす事が出来るのかどうか、再会を期待したい気持ちになっている。

手元にあるVIDEOを久しぶりに流した。なんと言っても映画一作にある望郷や家族・隣人愛などは、十分にカタルシスを用意して泣かせる。特に冒頭の二十年振りに帰郷する情景は、前触れの準備に続いての豪快さと誰をも引き付ける通俗性に満ち溢れている。

開始後一時間十五分には妹さくらの結婚式でクライマックスを迎える。主演の渥美清の気宇の大きな演技は何度観ていても素晴らしいが、山田洋次監督の徹底して細微にまで拘る肌理細かな情感の流れも流石である。

しかし、今回は異なるところに注目した。それは、妹を慕う印刷工場の職工博と兄寅次郎の果し合いの光景である。そこで交わされる会話は、「妹は職工ごときにやれない」とする寅に対して博が食い下がる場面で聞かれる。そこで、実は北大医学部教授の息子でぐれた末に家出していた博が、「寅さんの思いを寄せる女性に兄がいて、その兄が寅の学歴を責めたとしたらどのように思うか」と仮定を設定して問い掛ける場面である。

それに対して、少し想いを巡らして「そんなのいる訳ないだろう」と安心顔の渥美清扮する寅は、「同じ気持ちになれる訳がない」、なぜならば俺とお前では肉体は異なるからだと、「お前が芋食って、俺の尻から屁が出るか」と人間は理屈で動かないと質問を撥ねつける。この場面に、このシリーズに一貫した人々の心理の機微と断裂が巻き起こす騒動が解説されている。

つまり、情感の機微を丁寧に描けば描くほど、その他者の思惑と実際の動きのズレが強調されてスクリーンに映し出され、尚且つ観衆は各々に感情移入したり適当に自己の感覚でこれを疑似体験することになる。何もそのような現象は劇場の基本にある前提であるのだが、この映画では、通俗性に寄り添うように絶えず、そうした通俗性を全く違う揶揄するような視線が存在して、それが笑いとなっているのは言うまでもない。その点で最近のものは知らないが、この監督の他の作品とは一線を隔している。

確か昔、山田監督が買い出しか何かの混雑した列車の中で寅のモデルのとなる面白い男にあった話をしていて、正月に公開される映画の観衆の中の多くは出稼ぎ労働者であったことを語っていた。そうした中核となるような観衆に対して、大衆演劇にある泣きを提供する一方、あまりにも丁寧にも描き尽くしている情感からはその社会が透けて見えるようになっている。

同時にこの監督の他の作品が映画祭などで評価されないのは当然として、この作品が何故小津映画のように評価されないかの答えを、もしかすると既に叙述いるのかも知れない。



参照:
自嘲自虐的アリバイ映画 [ マスメディア批評 ] / 2008-09-12
日本人は惨めっぽい? [ 女 ] / 2008-08-03
勲章撫で回す自慰行為 [ BLOG研究 ] / 2008-07-26
世界を見極める知識経験 [ 文学・思想 ] / 2008-07-30
静かに囁く笑い話 [ 生活 ] / 2008-05-20
森川信
男はつらいよ (私は日本映画が大好きです )
by pfaelzerwein | 2008-08-05 00:59 | 文化一般 | Trackback
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