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「ドイツ問題」の追憶の日々

ドイツ問題は複雑だと書いた。先日のジョン・ラーベのマティネーの討論会に参加していたヴォルフガング・ザイフェルト教授は丸山真男解釈の専門家でもあるが、一連の話の中で「追憶の政治」として、中共による80年代からのプロパガンダが挙げられて、その後の修正主義者とそれに反目する中共との政治関係へと進む日中関係が示された。

追憶の政治学とは、カールスルー大学の研究所で元ジーメンス社長が評議委員になる事などを阻んで、すったもんだの末結局一昨年マンハイム大学にその研究所を移したペーター・シュタインバッハ教授の名付けた歴史政治を指す。先ずそれを氏の文章から掻い摘んで紹介する。

「追憶の政治」として、1985年に行なわれたフォン・ヴァイツゼッカー大統領の演説が最も有名である。最初に追憶の政治が議論となったのが60年代の終わりの11月革命五十周年とその二年後の帝国百周年に際する自由主義者へのラシュタットの記念碑と言われる。

要するに歴史を如何にみるかで、将来への方向をどうしても決めてしまうその追想を指す。西ドイツにおいては、68年の運動から燻り続けた議論の一つの終点でありそこからの解放として大統領の演説があったことは隠せない事実である。例えばポーランドとはオーデルナイセの国境が定められたが、東方条約によって移住者の殆どが信仰するプロテスタント教会はその条約を逸早く認めたとしても、東の国土からの駆逐や捕虜問題まで今も当事者の補償問題として活動があり終結していない政治問題がそこに存在している。これらはもちろん外交上の国の問題としては更なる進展はなく、ただ一般市民が主導権をとって運動する事によって初めて問題化出来ることである。ここで紹介した「躓きの石」にしろ、公的資金を得た展示や記念碑として社会の中に定着して行くのは歴史認識の社会化なのであろう。当然その受け入れられ方に世代差というものが生じる。

ペーター・シュタインバッハは言う。歴史は頭にあると。だからこそ歴史の強調は、セマンティックな意味を変えると。歴史政治は、政治の興味を反映してその社会的影響や意味の浸透を為す。そこに、巷で些か異なる意味で使われる「修正」や「相対化」の言葉も存在するのだが、それ故に誤解を招いているとする。学術な意味において相対化は文字通り二つの事象を比較する事で結果を得る作業であるが、一般的に使われる時は矮小化の意味すら持つと言うようにである。

1989年の壁の崩壊後に東側の独裁主義下の個人性や西側から見た共産党の人権侵害への視点が議論となったのは周知の事であり、未だにそれは連邦政府の歴史政治の一部となっている。またナチスの独裁と他の独裁を比較出来るかという事になれば、アウシュヴィッツを棚に上げろとは誰も要求することはない。欧州のユダヤ民族殺戮は唯一無二とすることに疑問を誰も挟まない。だから、「追憶の政治」として扱われる範疇は、「谷である過去」が戦後政治において、「歴史の反映する条件」に関する議論となる。

もちろん現在においてもEU内での政治的目的が、更に過去へと遡る追想を定める政治形態となっていることは言うまでもないが、そうした歴史家による議論が認識の進展の重要な前提となると言う希望があった訳で、それが偽りであったのは第一次世界大戦におけるドイツ帝国の責任を議論したフィッシャー議論であったと語る。

さて、奇しくもザイフェルト教授は、私と同様フォン・シュタウフェンベルクからジョン・ラーベへと続くレジスタンス活動や皮肉にもナチの力を使ったヒューマニズムが、ドイツのアリバイとなるのではないかとする危惧を表した。そして、それが社会の歴史認識が将来を定めると言うことへの危惧でもある。

ゆえに歴史政治の議論は、歴史的な真実の意味付けのためでなく、演出された紛争を捉えるために行なわれ、過去へ遡るナチズムに関する議論は、当時の雰囲気を説明する世論調査的な一目瞭然な感受性を捉えるのではなくて、そうした趨勢に押し寄せる病態と機能というものを捉えるべきだとシュタイン教授は説く。その結果、歴史政治は教育の場においても啓蒙的に現代の歴史議論を踏まえて行なわれるべきだと主張する。

ここまで押さえた上で、映画やそれに纏わる状況を再度捉えてみる。(続く



参照:
Politik mit Geschichte – Geschichtspolitik? Peter Steinbach (Bundeszentrale für politische Bildung)
躓きそうになるとき 2008-10-03 | 生活
石林の抽象への不安 2005-10-25 | 文化一般
IDの危機と確立の好機 2005-04-20 | 文学・思想
by pfaelzerwein | 2009-04-13 16:02 | 歴史・時事 | Trackback
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