カテゴリ:女( 140 )

Crazy soprano!!!

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燃料は結局昨日と同じ130.90セントで満タンにした。現状としてはベストだったろう。走りながらいくら違えば残り量からどれほどの差額になるかなどを計算していた。二回に別けたことで、その差額は大した額にはならなかったのだが、昨日と同じ価格まで下がってよかった。シャツ回収の序に、久しぶりに峠を攻めた。結局頂上攻めは時間的にも精神的にも余裕がなく一度しかやっておらず、月曜日にパン屋が再開するので、日曜日にしか機会がない。全ては前夜祭「ラインの黄金」の興奮度合いだろうか。

承前)一回目の公演はやはりキャストも良かったという評判のようで、カーテンコールも想定よりも賑やかだったようだ。一場のラインの乙女の場面を調べていると、それこそ指示動機に気持ちを奪われていると、肝心の繋がりが分からなくなる。歌芝居でも台詞芝居でも同じだが、そこに至る流れや経過こそが聴き所、見所なので、迂闊にもラインの流れに気を奪われているうちに、楽匠の匠を聞き逃していた。するとその次のフリッカの愚痴の場面も気になりだした。今晩は食事を遅らせてでもこれに集中しないといけないかもしれない。

カーテンコールの写真などを見ていて、直ぐにフライヤ役のゴルダ・シュルツが識別出来なかった。理由は役に決められているブロンドだけでなくファンデーションで色が白塗りされているからだ。そして彼女のインスタグラムなどの最新映像を観ると、これをネタにしていた。日本では先頃黒塗りが問題になったと知ったが、これは丁度反対の白塗りである。これは勿論クラシックな楽劇の役柄としての判断での白塗りであり、ブロンドと同時にある意味定まったようなものではあるかもしれないが、勿論肌の色は白くしないでもあり得たかもしれない。この辺りは判断次第だろう。ラインの乙女のジェニファー・ジョンストンも彼女のインスタグラムなどでブロンド鬘をネタにしているように、メーキャップも演出としてもキーポイントで、まさしくバロックだ ― 因みに2015年暮れには中村恵理も「神々の黄昏」のラインの乙女を歌っていたことを付け加えておこう。

少なくとも本人はこれをネタにしたということで、合衆国の黒人歌手ラッセル・トーマスのような「黒人のための黒人の上演」までの明確なメッセージはないのであるが、少なくとも注意を向けたことにはほかならない ― そもそも上記のカーテンコールでの疑問に答えている。確か「ばらの騎士」のソフィー役はそこまでしていなかったと想像する。またニューヨークでのコンツェルタント上演には、先輩格のハンナ・エリザベート・ミューラーが歌うことになっている。

新聞の文化欄にパパーノ指揮のセントチチーリア管弦楽団ドイツ公演の評が載っていて、ドイツ音楽で勝負するその指揮者の意識が伝えられている。イタリア人歌手のもとに英国に生まれた指揮者で、オペラの世界では超一流とされている指揮者である。そしてオペラを知らない交響楽団を再びそのオペラの演奏実践から交響楽実践へと伝統を導こうとしているらしい。その録音などでの指揮風などから大体分かっているつもりなのだが、アンネ・ゾフィー・ムターとの共演がなかなかいいようでと読んで、急いでバーデンバーデンのサイトを見ると、残念ながら29ユーロの席は売っていなかった。彼女のヴァイオリンを聞こうと思うと通常はその額では無理なのでお得だと気が付いたのが遅かった。やはり地元だけのことはある。




参照:
ザルツブルク、再び? 2017-11-17 | 文化一般
Go home & never come back! 2017-08-24 | 歴史・時事
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by pfaelzerwein | 2018-01-12 23:47 | | Trackback

また泣いちゃったよ

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承前)「おいちゃん、また泣いちゃったよ」と寅さんなら泣きべそをかきながら言うだろう。プッチーニのオペラで涙するなんてつい先日まで思ってもみなかった。あんなセンティメンタルなお話しで、それも今回は三つの一時間ドラマでしかない ― 「泣いて堪るかよ」程度のものである。

初日のラディオ放送の演奏よりも全ての面でよかったと思う。完成度が高かった。ストリーミング放送の数時間前からちょこちょこと準備をしていた。途中初日の録音らしきが出力テストで使われていた。あまりにも管弦楽が微細で弱音で奏するものだから全体のダイナミックレンジのバランスを調整しておかないとクリップしかねない。実際に音声を録音すると、驚くことに一幕「外套」で最大のレヴェル―1ほどに達していた。浮気の二重唱の辺りらしい。

初日も二日目もただ一人不満のあったスターキャストのヴェストブロックもヴィヴラートを揃えてきたように感じた。この辺りの実力となるとハルテロスの時と同じでちょっとした指摘で調整可能なのだろう。少なくともヴィデオでの演技も含めるとリーとともに魅せていた。コッホの歌と演技で感動したが、管弦楽は二日目よりも更に巧妙になっている感じだった。

ピットが映されると明らかに二日目とは違う陣営が乗っていた。稽古の音から聞いていたので興味があったのだが、オーボエが山賊兄になっていて ― 二日目はベルリンフィルで吹いた人が入っていた、そして第一ヴァイオリン二番には若いシュルトハイスに代わって金が入っていて、後ろにはいつも彼女と並んでいる若いブロンディーヌが入っていた。そしてどうも上からは確認できなっかったがその音からコンツェルトマイスタリンが全公演を務めている様だった。要するに女性陣を並べたのがこの日の演奏で、その細やかさと共感に満ちた一糸乱れぬ弦合奏になっていたと思う。プッチーニのあのしなやかさは女性的だと思った経験がある。一幕の軽いステップ感も女性ならではだ ― 道理で彼女らが入ってくるとかしましの声が聞こえていた。

なるほどマイクロフォンを通した響きと更に画像に邪魔される視聴と生の体験は印象が異なる面があるが、生放送で音声の録音に集中したので少なくとも視覚的な影響つまりカメラワークの影響からは逃れられる。やはり聞き返すと演奏の細やかさがよりはっきりする。想定通り、本放送の映像がスムースに流れ難そうなので、ツイッターで教えてもらったアジア向きのアドレスに最初から切り替えた。そのお陰で完璧に ― 一か所三幕後半でスイッチングの放送事故があったが ― 音も映像も流れたが、映像は強制的な英語字幕なので字幕無しをオンデマンドで録り直さなければいけない。

それにしても確かに二幕「修道女アンジェリカ」でのヤホの声は大きくはないのだが ― ヤホ、ヤホというと何か美保とか瑞穂とか呼んでいる感じになるが、こうした放送で聞くと全く威圧的なシュスターの歌声と比べても決して引けを取らない。二日目の下支えする管弦楽よりもこのストリーミングでは声楽と並行して歌っている風で更に細やかな歌になっている。声も出ていたがアンサムブルとしてのバランスが向上しているだけでなく、ヤホの歌もより技術的に正確な方へと改善されている。やはりペトレンコ指揮の下で皆が学ぶのだ ― いづれオペラは振らないようになるといってもオペラ界にバーデンバーデン祝祭が恋われるようになるのだろうか。

三幕は最初から更にネジが掛かっていたが、残念ながら代役が袖で歌ったことから若干テムポ感が鈍った感じはした。代役の歌は全く問題なく、来年のオペラフェストでは彼が歌うのだろう。二日目に比べると全てにおいてアンサムブル重視の方向へとより繊細な方向へと舵を切っている感じだ。その意味では、カメラワークと代役の問題があり喜劇性は二日目の方が強かったと思うが、最後の落ちの辺りはとても素晴らしかった。やはり一幕二幕で完全に泣かせるぐらいでないとここまでの効果は出ない。

プッチーニがその効果を願ったというよりも、今の日本語流に言わせると共感力(EQ程度)が試されるということになる。演奏家自身がそこで効果を狙っていたならば決してこうした効果は生じない。キリル・ペトレンコは、この作品を取り上げるに際してあらゆる版の研究もしたという。プッチーニの創作の真意に確信を得るためには必然だったのだろう。楽譜台にはリコルディー版が乗っているようだが、そこまで研究しないと、こうした楽曲が如何に表面的なキッチュなものでお涙頂戴の効果を狙ったものでしかないのかどうかも分からないのである。(続く




参照:
"Il trittico" - Recording from December 23, 2017, The production will be available as VOD for 24 hours starting from Dec. 24, 11:00 AM (CET) until Dec 25, 11:00 AM (CET). (Bayerische Staatsoper TV)
不覚にも嗚咽が漏れる 2017-12-19 | ワイン
ヤホに表現の可能性を 2017-12-20 | マスメディア批評
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by pfaelzerwein | 2017-12-24 20:27 | | Trackback

一寸した大人の味

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クーヘンを購入した。いつものパン屋でのものだが、試した記憶がなかったから、売り子に聞いていると、横にいたベッカーマイスターリンが「おいしいよ」と教えてくれたので迷わず購入した。

彼女がパン屋の親方のところに弟子入りしたのはミドルティーン当時で、その頃から知っている。その頃は、手が空いているときに店番に出てきても釣銭は間違え、まともに計算もできないような様子だったので、一度1ユーロ近く損をしてから、相手されるのも億劫だった。

こちらは新たには開発した手作りパン屋であるから、応援して店仕舞いすることのないように必死で応援しなければいけないと思っていたのである。旦那はパン工場に勤めているらしく、当時は健在だった先代が工房を守っていたのだ。

さて、件の彼女であるが、計算の間違えだけでなくて、接客態度などもぎこちなかった。その小太り系プロポーションにも拘らず顔立ちもそれほど悪くはなく、ミドルティーンの丁度ヴァイオリンのアンネ・ゾフィー・ムターがカラヤンと初共演したころの感じで、つっけんどうな感じにも、こちらは閉口していたのである。要するに、応援しているにも拘らず苦手だった。

その後、スーパーでペンキ屋の職人の同年輩のお兄さんと一緒にいたところを挨拶したこともあり、少しは接客態度なども変わってくるかなと思っていた。それでもその後もぶっきらぼうな感じは変わらなかったのだ。

それでも今年ぐらいだろうか、店前で車を当てられたりしてから後、借りてきた代車を見て、「新車?」とか聞くようになった。彼女もやっと大人になったなと思ったのだった。その後もなんとなく、対面の印象がよくなった。

さて肝心のクーヘンは、上にアーモンドが乗っていて香ばしい。四角く、四つ切にして食した。何回かに分けて食せるのも嬉しかった。ワインには甘みが合わなそうだったが、泡物には行けるのではないかと思った。



参照:
気に入るということは 2011-12-21 | 料理
水々金々日々、月曜日 2012-11-12 | 暦
南独のもの北独のこと 2011-11-25 | 料理
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by pfaelzerwein | 2017-12-04 22:33 | | Trackback

黒い森の女への期待

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車中のラディオでは、ベルリンの新インテンダンティン、アンドレア・ツェッツィマンのインタヴューが流れる。冒頭から驚いた。彼女の故郷は、私が冬に通う氷瀑の町だった。あの辺りのシュヴァルツヴァルトに詳しい者は、そこの医師の娘として音楽を学んでと聞くと、とても多くのことが思い描ける。初対面でも沢山のことをお話しできるそうだ。そして彼女が創立されたグスタフ・マーラーユース室内管弦楽団のマネージャーとして、アバドに見染められて、その「偉大な才能」が奨励されたとあり、その後のHR放送管弦楽団、そしてハムブルクの放送管弦楽団、エルプフィルハーモニーに係りながらも結局ベルリンに来ることは定まっていた様な感じさえする。

そして最初の一年間はサイモン・ラトルと仕事をしてそこで受け継がれるものと、そして新しい時代を築くキリル・ペトレンコとのエーラへの橋渡しをとても喜んでいる。「ほかの何処にもいない、楽譜への作品への深い理解を示す指揮者」への驚愕と、「細部への拘りからどのような管弦楽団へもの非常な要求は、ベルリンのフィルハーモニカ―との共同作業で、その可能性からして尋常ならざる成果を示すだろう。」と語るのは、コンツェルトマイスタリンとして管弦楽団を率いていた経験もあるこの女性マネージャーである。

勿論、その自意識の高いフィルハーモニカ―であるから、容易に物事が進められるわけではないが、それに関しても、その通常よりも権限の限られているというポストでも「充分に各々の裁量の範囲はあって、要はどのように持っていくかであって、自分自身の二十年の経験からあらゆる組織を知っているので、自分自身は十二分にやれる。」と、とても心強い。

あの土地柄をよく知る者としては、決して目立つことをすることなく、確りと粘り腰で仕事をしてくれるものと期待できる。特に管弦楽団と指揮者、そして外部の取引においてとても重要な機能を担ってくれそうだ。

そして個人的には、こうしてバーデンバーデンの放送局がインタヴューしたように、そのアルマン語の喋る口だけでなく同じメンタリーティーでバーデンバーデンとの関係もより一層強く太いものにして欲しいと願うのである。バーデンバーデンの監督は、ハムブルク出身のベネディクト・スタムパとなり、とても芸術的な進化が期待されるところだ。

彼女が開いたエルプフィルハーモニーのロビー脇の部屋から、ヒーターの管が破れて水漏れしたのは4月だったようだが、そこにカビが生えてきたので、壁ごと仕切り直すようだ。ああした多目的な大きな建造物だと幾ら会場が改良されて行っても、いろいろな問題が起こることは今後ともあるように思う。やはり音楽会場は独立している方が良い。

シャワーを浴びて天井を見ると、ラムプのシェードに錆びの様な色が見えた。白色だから埃が目立つことは知っていたが、赤さびのような色は気が付かなかった。天井は黴取りで綺麗になったが、これも明るいうちに外して、ラッカースプレーで白く直しておきたい。コードを外したりするのが面倒なのだが、冬は長いのでここ暫くがチャンスだろう。

腰回りが張っている。理由は分からないが、可成り酷い。下半身がぶよぶよする感じで、殆んど大腸癌か下腹部の癌のようで気持ちが悪い。そもそも休むことなく走るようになっているのも、下半身をすっきりさせたいからだが、その疲れもあると同時に、胃の調子などが悪いとどうしても下腹部への負担も強くなっているに違いない。



参照:
アイゼナッハの谷からの風景 2017-07-17 | 音
原典回帰というような古典 2016-10-20 | 文化一般
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by pfaelzerwein | 2017-09-05 22:05 | | Trackback

調えたいとても快適な環境

ステューワーデスバックの野宿おばさんがいた。朝早いので予想はしていたが、丁度出かけるところだった。銀行に入ろうとすると入り口でお出かけの準備中だった。面倒な時にかちあったなと思ったが、仕方がない。荷物が出入り口にあるので、ドアを支えていたが、ぐずぐすしているので「閉めてよいですか?」と結局渡した。

現金を下ろしていると、出口で声が聞こえて、男が手伝おうかと尋ねている。おばさんを知っているというよりも荷物を持った年寄りと思った可能性もある。それでも親切な人が沢山いるものだ ― 殆んどミヒャエル・エンデの描くような世界だ。そして車を出そうとしていると、高速で前のカトリック教会の方から走る人影が見えた。おばさんである。朝一番からのダッシュを見ているともしかすると40歳代ではないかと思った。入り口にバックを置いてあるので急いだのだろうが、それにしても身の動きが素早い。

人が言うところによると、廃墟になった近くの家を所持していて、朝食はカフェーで摂っているというので金はあるのだ。同じような境遇で金は持っていてもアル中で生活費をそこに注ぎ込むものだから宿無しで過ごしているという爺さんお話もある。

このおばさんの場合は間違いなくライフスタイルなのだが、北ドイツに多いような荒んだ感じからは遠く、少なくとも社会の受け入れ方が違うので、生活感は分からないがそれほど悪くはないのだろうと思うようになった。

ネットサーフィンで、2010年のメトロポリタンでの「ナクソス島のアドリアネ」の録音を見つけた。キリル・ペトレンコ指揮では2005年にディアナ・ダマロウがツェルビネッタでデビューしたようだが、2010年はニーナ・シュテムメがアリアドネを歌っている。コーミッシュェオパー時代の2003年にレハール「メリーウィドー」でデビューしていて、2007年に「魔笛」、「ホヴァンシチーナ」を2012年にも振っている。

ペトレンコ指揮「アリアドネ」は、2015年10月23日のパリ公演後のストリーム中継録画が存在するが、10月17日の公演よりも大分アンサムブルが良くなっている。歌唱も良くなっている。それに比較するまでも無く、メトでの演奏はとても甘口の弦などがMP3乍ら聞こえて趣が大分違う。もう少しましな音質ならば評価が出来るかもしれないが、音質が悪いと細かく聞く意欲が薄れる。演出は知らないが、管弦楽団も特徴が全く違うようだ。シュテムメの安定も良いが、ライアンのいつもの不安定ぶりがまた退屈させない。

ペトレンコは2013年からミュンヘンの音楽監督になって、それ以降は限られたコンサート以外はヴィーンでの予約分しかオペラ劇場では指揮していないが、2015年ベルリンの指揮者に就任することになってミュンヘン以外ではオペラ指揮をしないので、バーデン・バーデン復活祭を除くと、2021年以降オペラ指揮は封印になっている。こうして客演の録音などを聞くと、2021年以降もオペラ劇場への客演はしないで、バーデンバーデンでのオペラ上演以外は今後は振らないのだろう。スーパーオパー上演は客演では無理だからだ。



参照:
寛容の海を泳ぐ人々 2017-07-31 | マスメディア批評
ペトレンコ教授のナクソス島 2015-10-22 | 音
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by pfaelzerwein | 2017-08-26 20:35 | | Trackback

夏の夜の街中の熱い抱擁

突然の来訪だった。下から私のファーストネームを呼ぶ声が掛かって直ぐに誰の声か分かった。会うのは二十五年ぶりぐらいである。そのあとも時々電話が掛かってきていたが、人の嫁さんと会っても仕方がないのでご無沙汰だった。親密に付き合っていた期間も短いのだが、先日マインツを通った時に、どうしても夏のマインツの夜の街中の熱い抱擁を思い起してしまった。それも可成り感覚的な記憶だったので驚いてしまったのだ。

その後彼女を見たのは大統領官邸からのTV中継で、迎え入れていたのは恐らく先ごろ亡くなったヘルツォーク大統領だと思ったが、在独大使の謁見式風景だった。それが視覚的には最後だった。久しぶりに顔を見て、抱き合うと想定よりも小柄に感じた。そうだったのだと感じた。それでも歳を重ねた割には昔の感じはあまり変わらなかった。そしてなるほどこうした雰囲気に惚れたのだなと思い、それはそれで納得した。

つまり若い時の感覚で惚れたからと言っても結局は見ているところは見ていて、必ずしも自己の許容範囲が広かったわけでもなく、狭かったわけでもないことを悟るのだ。するとその後のチョッカイを掛けた女性陣を思い出してもそれはそれで彼女のようなタイプはいなかった訳で、下手をすると若い子に近づこうとするばかりにあまりに窓口を広げ過ぎているのではないかとも反省した。まあ、こちらも包容力は大きくなっていることも確かであるが、年嵩を重ねてもあの時に魅力に感じていたものは変わらないのを感じた。

要するにやはり彼女は、その辺りのおばさんとはやはり違っていて ― 同行の二人のおばさんとも ―、あの当時のキャリアー女性の雰囲気は和らいでいるものの芯があってやはり普通の高学歴女性とはまた違っていたのであり、女性外交官的な雰囲気が魅力だ。彼女の父親は海軍の将校であったと語っていたことは今になると素直に認識可能なのである。

昨年は国の方へ暫く帰っていたようで少し日焼けしていたが健康そうだった。電話で身辺のことなどを話したときは、適当な女が居たら行ってしまえと発破を掛けられたことがあったのを思い出すが、なるほどよくこちらのことをよく見ているなと思うと同時に、なかなかそう簡単に行きませんよと反論しなければいけないと感じたのだった。

これで、倦怠期を行って帰って来ているような、恐らく海外出張中の外交官夫婦のカンフル注射のような、お役目は果たせたのだろうか? ― なにか、古臭いがエマニエル夫人の情事のようだが。



参照:
取り付く島もない女性の様 2017-03-10 | ワイン
ヴァレンタインの朝の夢 2017-02-16 | 女
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by pfaelzerwein | 2017-06-02 16:07 | | Trackback

教育がナットラン!

床屋に行った。どうも二月以来でまたまた三か月経過しているようだ。子供のころは毎月行っていたような気もするが、こちらでも二月間隔だった筈だ。本当に三ケ月於きになったとすると何かが変化している筈だ。髪の伸び方が遅くなったのか?それとも常時短くするような傾向になっているのか?なるほど最近は美容院なのでバリカンを思い切り入れて貰っているので確かに短いところはかなり短く刈り込んでいる。いずれにしても暑くなると髪が鬱陶しい。今秋は気温が摂氏30度近くになると言われているので、刈り込んでおくと安心だ。

朝一番で出かけたのでヤリ手婆さんに「助っ人はどうなった」と尋ねた。その言葉も可成りのプフェルツァー訛りで恐ろしいが、要は一度は見つけた助っ人は駄目だったので、辞めたということだった。結局口を聞かされるのだが、中々よい人が見つからなくて、需要供給が違っていて、応募する方はネットで情報を交換するから怖いというのだ。

つまり誰かを辞めさせると、直ぐにネットで「あそこの婆」はなんだかんだと書かれて、いいことは殆んど書かれないと愚痴する。つまりお客さんの前で揉めるようなことをするのが経験の無い二十歳から二十五歳ぐらいの子で、教育がナットランという。年代からすると1990年代に育っているのでなんとなくその感覚は分かるのだが、いつの時代も何処でも同じではないかとも思う。

それでも新聞で読んだところでは、職人にへのなり手が無くて困っているというので、現在ならではの問題もあるのだろう。婆は、「インダストリーパン」しか食べられなくなるしということで、これに関しては全くお話しが合うのだ。なるほど婆の主張である「街の美容室」に勤めれば残業も増えるしというのは結構反論になっていて面白かった。



参照:
ヴァレンタインの朝の夢 2017-02-16 | 女
これもヤリ手婆の腕捌き 2016-11-24 | 女
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by pfaelzerwein | 2017-05-16 21:40 | | Trackback

日本人妻たち対慰安婦たち

みんなのブログ欄からBLOG「拝啓 福沢諭吉様」に入った。所謂ネトウヨサイトというものだろう。そこから今年になってから話題になっていた欧州初の「慰安婦像」設置に関するリンクを辿っていくと面白いサイトに到達した。「なでしこアクション」という日本会議風の活動サイトである。ネットで「ドイツの慰安婦像」については聞いていたが興味が無いので詳しくは知らなかった。そしてこのサイトを見てどのような運動が行われているかがよく分かった。私自身の立場もあり知っておくべき内容だった。

フランクフルターアルゲマイネ新聞で「日本会議の研究」の著者菅野氏が取り上げられてから、その名前が頭に入っていたので、先日の籠池氏記者会見風景からその活躍ぶりを注視していた ― IWJのまとめサイトの情報なども実際には菅野氏の取材情報が流用されていたようである。そして独占インタヴューのヴィデオもYOUTUBEで最初の450回目以内の呼び出しで観ることが出来た。それは大臣の首を一つ獲るほどの事件報道としては大した仕事だった。そして、左翼のシムポジウムでの講演を聞いて、外国人特派員協会での籠池氏の会見が待たれた。目覚ましを掛けて就寝したが残念ながら延期になった。

既に述べたようにこれを機に世界中に外報が流されて、恐らく安倍内閣辞職への詰めへの一手が示されると思っただけに残念だった。まさに一挙手一投足が注目されるところで、一挙手遅れると籠池氏のような人が逮捕されたり、国税庁長官迫田のような人物が訴追されるのか、それとも誰かが脱税で家宅捜査されるのか、更なる変死者が出るのかなどと局面が変わって来るのだろう。兎に角、安倍晋三がやってきた政治手法は海外でも有名であり、トルコのエルドアン大統領のように法規を逸脱した人治主義の政治家であるから、何をしでかすか分からない。

菅野氏の講演で特に興味深かったのは、日本会議をそこいらのマッチョな政治好きのおっさんたちのネトウヨ団体として捉えていて、それ故にフェミニズムを感じさせる慰安婦問題が最も大きな声になっているというところである。我々からすると今時女性同権の運動などは大きな課題などとは思っていなかったので、まさかあれだけの右翼の市民運動であり、国政を動かしている日本会議がそれほど下らないもので、まさしく反被差別運動へのアンチテーゼということで在特会と根を同じくする活動だとは気が付かなかった ― 恐らくそれは菅野氏のような被差別側の視線を持ち合わせることでしかなかなか気が付かないのかもしれない。

そこで前記のオバープファルツにあるヴィーゼントの私有公園への慰安婦像の設置、そしてフライブルク市への設置の断念などについて書かれているサイトを興味深く覗いた。特にフライブルク市に関しては無関係でもないので経緯が気になっていたことでもあり、そのサイトにあるバディシ新聞の市長へのインタヴュー記事を読んだ。勿論、念のために原文を、幸運にも残っていた新聞社のサイトで読んだ。そしてこのインタヴュー記事を添えてドイツの当局や当事者に設置しないようにと運動を展開していこうと意気込む活動の馬鹿さ加減に呆れた。

ザロモン市長はインタヴューで極常識的な見識を語っている。つまり、友好都市であるスオン市との関係から平和を願う慰安婦像を受け入れようとしたのだが、知らされぬままに「野壺に落とされたようなものだ」と怒っている。つまり、嘗てトルコ人とクルド人が連邦共和国内で闘争したように、朝鮮と日本の争いごとに巻き込まれて非常に不愉快だと表現している。しかし最も肝心な一節は、日本の友好都市である松山や日本領事館そして世界中の日本人から反対運動の攻撃を受けて、「日本や米国やドイツ国内の日本人から受け取ったメールは、日本社会が暗黒時代のこの歴史を十二分に整理しているという希望を抱かせるには至りませんでした。慰安婦問題はインターネットの陰謀論などではないのです。日本政府も朝鮮人婦人の被った苦悩を正式に謝罪して、補償の為の財団を設立しているのですよ。」と、日本社会が慰安婦問題において歴史に向かいあえていないことを嘆いている。そこを、このサイトの日本語訳は、全く反対に訳している。

この市長のこうした考え方は当然で ― 名前がユダヤ系であることを示している ―、「ドイツでも我々が暗い歴史に立ち向かうことがどれほどに苦しいプロセスであるかということを学んでいて」とその意味合いを強調しているのだ。それ故に「戦時下での婦女への暴行はなにも日本の刻印をおされるものではなくて、二十年前のユーゴスラヴィアでのドイツ国防軍、ISにおけるヤジリへのそれなど起こっているのです。だからこの像が優れた警示となるべきだったのです。」とまで語っている。要するに日本側からの抗議で酷い目にあったということでもある。それさえなければ、今も日韓の中での大きな外交問題であるとは知らなかったということである。

兎に角、ここに相当する「異訳の誤魔化し」は各自に確かめてもらうとして、この運動をしている日本人らしき日本人妻の人々がこのインタヴュー記事を添えて抗議しろと息巻いているのを見ると、あの慰安婦像を運動をしている朝鮮人と変わらない位馬鹿な人々であるのが一目瞭然で、なるほどなと思わせる。真面な日本人や朝鮮人からすればこのような双方の運動自体が恥さらしなことは明らかなのだが、昔ならばこうした声が外交の場で反映することはなかったのだろうが、通信や交通の発展で三級市民の声も直接間接に外交にまで影響するということなのだろう。こうした現状があるからこそもはや嘗ての国の概念や国籍条項などは意味を失ってきているということでしかないのである。



参照:
日本国民への警鐘 2017-02-22 | マスメディア批評
多重国籍の奨めと被選挙権 2017-03-15 | 歴史・時事
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by pfaelzerwein | 2017-03-15 19:26 | | Trackback

秘められた恋の温もり

漸く走れるようになってきた。峠攻めで、上り20分15秒、下りて来て33分15秒は中々だ。気温摂氏3.5度でパンツを脱いでとはいかなかったが、この数字は今年になってからの記録だと思われる。上りで20分をありそうになったが残念だった。それでもまた希望が見えてきた。理由は分からない、着けていた心拍計も順調な数字になっているので、気管支炎が治まったからだろうか?それでも足元は靴底がちびって来ているので若干不安定だ。陽射しがあったので汗をしっかり掻いて、計量はそれでも70㎏を超えていた。

最近は早寝するので二度寝が普通になってきていて、その分たっぷりと夢を見るようになった。彼女が掃除をしている。皆で後片付けだ。トイレ掃除までを受け持っている。終わったら、ゆっくりとさせてやりたいと思った。片付けが済んで、皆が集まって憩っていた。長椅子に彼女が座っていて、そこにやって来た掃除の小母さんが端に腰を下ろした。私は彼女を挟むようにして小母さんと反対側に腰を下ろした。話しを聞くと、小母さんの旦那が病気かなんかで帰宅時刻をそれに合わさないといけないので、片づけものの仕事をして連絡が入り次第急いで帰宅するので、彼女が車で送っていくというのだ。そこで私は間髪を入れずに、夜の外の空気を吸いたいので、自分が車を出すから一緒に乗っていけばよいとオファーを出した。勿論彼女もその旨を理解したようだ。秘められた恋である。彼女の左手と私の右手が腰の横で絡まった。向かい合って左に仲間が立っていて、その手に気が付いたようだったが、見て見ぬ振りをしている。そしてなぜか彼女は右手でタバコを吸っていて、そしてソフトドリンクを飲んでいる。そして、出かけるのに身繕いをするから、出かける段になったら知らせてくれと言って自室へと戻ろうとした。その時に、DuにしようかIhrにしようか、つまり「君の準備が出来たら呼んで」と言うべきか、「君たち」と言うべきかを迷っていると、教会の鐘が六つ鳴って夢だと分かった。

右手の温もりや発汗の感じが残っていて、中々気持ちの良い目覚めだった。「君たち」というのも本来は小母さんが帰宅準備が出来たらというのが口実なので、本当はおかしいのだが、「君」というときは彼女に「出かける準備をしておけ」と言うことになる。つまり小母さんはただの口実ということが明白になる。秘められた恋なので、繕っているところもあるのだが、折角の夜のデートなのでという気持ちもあるのだ。何故か同時に深夜のラーメン屋に出かけようというようなことも考えていたようなので、それが夢の面白いところである。

先日以前口説いたことのある女性に会った。その後の二度目の再会である。口説いた時から少なくとも三年以上経っていて、彼女は口説いた女性の中ではその時点で大年増の30歳前ぐらいだったので、幾ら若々しい彼女でもふられた男からすると老けて見えるようになる。更にどうしてもより若い女性と比較すると瑞々しさが足りない。もともと美貌の女性ではないが、ハンドボールをやっていたという女性なので身のこなしはやはり躍動感がある。但し彼女も変わった女性で、それ故かおぼこいところがあって、私に対して若干硬いところがあるのが面白かった。昨年はこちらの方が硬かったのかもしれないが、今回は完全にゆるゆるだった。

今回不思議に感じたのは彼女が小さく感じたことである。視座の違いということになるのか、今までで最も上背のある女性を口説くようになると、どうもこちらの姿勢が良くなり背中も伸びるようで、決して小さい方でもない彼女を小さく感じるようになったのだ。加齢で軟骨が押されて身長が小さくなっていくような話しは聞いたことがあるが、背中が伸びるようになるというのはあまり聞いたことが無い。錯覚だろうか?



参照:
厳冬の大晦日の過ごし方 2017-01-01 | 暦
春の気分に満ち溢れる 2017-02-26 | 女
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by pfaelzerwein | 2017-03-11 22:37 | | Trackback

春の気分に満ち溢れる

春の気分に満ち溢れている。ワインの地所は霜が降りて、陽射しに照らされている。森の中ははまだまだ冬の気配である。どうも今年になって初めての峠攻めのようだ。前回は大晦日らしい。どれぐらい体調が復活しているかなと思ったが、走り始めると左足の土踏まずに血行の悪さを感じるほどだったので決して良くなかった。登り21分45秒、降りて来て34分は予想よりも悪かった。前回よりも悪かった。一方体重はスキーから帰って来てから70㎏を割っているようで喜ばしい。そして以前のように力が入らないでスカスカするようなこともなくなってきている。あのスカスカ感はある程度の年齢にならないと分からなかった感じで、40歳代になるまでは感じたことが無かったものである。あの感じが最近は無くなってきているので基礎体力がついてきているのだと思う。幾ら痩せてもあのスカスカ感があると健全なダイエットとは言えない。

幼稚園児のような感じだったのが、彼女とやっと最近は漸く高校生のような感じになって来た。幼稚園児のような気持ちになれるならば、それよりはハイテーンの方が年齢的には近いのだが、まさか胸キューンものの気持ちになるなどとは思ってもみなかった。映画などでは回想シーンで描かれるところなのだが、記憶を呼び起こすようなそうした感情ではないのだ。そこで自分が正に体験しているのである。そして特定の過去の記憶に結びついていないのを確認するような体験なのである。

ユリアの方を見つめていると、少し時間をおいてこちらを笑顔で見返した ― 前回は視線を彼女の背景にやっていたのだが、彼女が自分が見つめられていると思って、こちらを向いて視線を確かめた、そして今回は確信をもってその視線を享受していたのだった。彼女の満足そうな表情には抗しがたい。私は一瞬にして高校生になってしまった。彼女の実年齢は、なるほど、そこから数年しか経っていないわけだが、まさか自分自身が郷愁でもなんでもなしにそのような気持ちになるとは想像だにしなかったのである。

なるほど既に20歳半ばにもなるとそのような純な気持ちを持つこともなくなっていたのである。とても不思議で、タイムマシーンとかなんとかで主体が過去に旅をしたりとかとは異なる全く未曾有な感覚なのだ。それにしても彼女とここまで信頼関係のようなものを築くのにとても時間が掛かっている。なるほどこちらもとても用心深いのであるが、彼女がそれ以上であるのを認識した思いである。

先日来インターンの女医さんやら学校の先生やら同じ年齢層の女性とも過ごす時間があったのだが、なかなかこうした情感を持ち合わせているような女性は居ないだろう。そして今回のような経験をさせてくれた。そのような彼女を放っておくことなどは最早考えられない。



参照:
ヘアースタイルフェティシズム 2017-01-13 | 女
手に取るポッケの小石 2016-07-19 | 女
厳冬の大晦日の過ごし方 2017-01-01 | 暦
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by pfaelzerwein | 2017-02-25 22:18 | | Trackback