カテゴリ:暦( 245 )

とても豊かな気持ちの清貧

この時期は天候が悪くなると緩怠感が起こる。陽射しが無いと外気温が強くても肌寒い。そうなると赤ワインそれもピノノワールが美味い季節だ。それでもワイン街道はアーモンド満開である。以前は赤ワインを飲むとあまりに血管が膨張したような気持がして、落ち着かなかったのだが、この冬辺りは指先の抹消血管などが詰まって来たのか冷えるように感じた。そのために室内履きも一昨年辺りは指を出したサンダルを冬でも履いていたのだが、この冬は通常のスリッパに靴下までを履いている。冬山でも手の指が凍りそうになった。慢性的なものか一時的な健康状態なのかは分からない。少なくとも厳冬期でも半袖を着たり、ショーツで走ったりすることが出来るので通常の人よりは暑がりなのだが、抹消に関してはどうも違うようだ。

そのようなことでピノノワールを開けることが増えているが、同時にリースリングが飲み頃になるまで寝かさないといけないとなると、ピノノワールと比較して全く早飲みではなくなってきている。先日はクリストマン醸造所で購入したこの赤ワインのギメルディンゲン2014年を開けた。同時に購入した裾ものと比較すると、流石に高級感がある。何よりもテロワーを感じる。それもリースリングと同じような酸とその土壌を感じる。大した土壌ではないのだが、嘗てはカペレンベルクなどからのSCと呼ばれていた時よりもその個性は綺麗に出ている。なるほど色も薄めで、21ユーロならばフランスものでもあるが、質は決して悪くないと思う。なによりも雑食砂岩主体の地所というのがいい。

以前は冬に入る前の秋の寒さが堪えた。体が慣れていないからだろうが、ここ数年は記録的に暖かい秋などが続いていて、知らないうちに暖房が入っているような生活になっている。個人的には籠もり部屋に冬篭りするようになってから、暖房をあまり入れなくなった。昨日は車中のラディオで夏時間の弊害などが毎度のように話題になっていた。知らぬうちにこの週末に迫っている。四月末かと思っていたが、20日が春分だったのでそのあとの今月末となる。光熱費を節約するというのも狙いのようだが、放送では朝早く暖房を入れれば夜の電気使用が相殺されるというような話になっていた。それからすると、嘗ては復活祭以降でも暖房を入れていたことを思い出す。それどころか夏でも暖房を完全に切っていなかったぐらいだ。

それが今はどうだろう。三月になってからは必要な時だけ洗濯物の近くで暖房を入れる位で基本的には全切になっている。なるほど手足が時々冷える筈だ。しかし嘗てのように暖房の調子が悪くて寒くてもなかなか温まりなかったり、必要のない時でも直ぐに温まらなくなるのでいつもお湯を流していた時よりもとても豊かな気持ちで安心である。



参照:
まろみが嬉しい自然な呼吸 2017-03-05 | 試飲百景
旅行負担の総決算 2017-02-12 | 雑感
腰痛日誌五日目、柔軟 2017-01-11 | 生活
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by pfaelzerwein | 2017-03-24 20:09 | | Trackback

日曜は一寸した祝祭気分

火曜日の夜はバイエルン放送協会で中継録音が流れる。先月21日にミュンヘンの劇場で演奏されたアカデミーコンサートの録音である。プログラムは、スクリャビン「夢想」、ニコライ・メッドナーピアノ協奏曲二番ハ短調、ラフマニノフ「交響的舞踊」の純ロシアンプログラムである。ピアニストのフランス系カナダ人アミランも評判が高く、初めての曲である。

早速楽譜をダウンロードしておいた。協奏曲は初見で目を通しておこうかと思う。交響的舞曲は既にキリル・ペトレンコ指揮でバイエルンの放送交響楽団との演奏がYOUTUBEに出ているが、それと比べてどうなるだろうかも楽しみである。批評を見るところによると可成り突っ込んだ彫りの深い演奏になっているようだ。

先月「ばらの騎士」最終日に誕生日を迎えて45歳になった天才指揮者に毎度乍ら特別なコンサートが期待されるとされている。献呈されたラフマニノフのその友人であるメドトナーの1926/27年の作品が組み合わされている。

興味深いのは、最初の予定では二日分を録音して、どちらのどこが放送されるか分からなかったのだが、20日の演奏が流されるということで、曲毎取り換える必要が無いほど、それなりに上手くいったということだろうか?

週末の樽試飲会の疲れが残っている。瓶詰めされていないものなどは検査も通っていないのでケミカルの入り方も分からない。そのような影響もあるのかもしれないが、白と赤を行ったり来たりしたのでアルコール量が増えている可能性もある。

モスバッハ醸造所で昨年12月にテレコミュニケーションのセミナーで一週間神戸に滞在した人がお酌していた。神戸ビーフを楽しんだようだ。それも鉄板焼きを三回も食したというから可成りの出費になった筈だ。彼に言わせると霜降り肉は素晴らしかったが、ワインは薄くて頂けなかったということだ。最近は神戸でどのようなワインが醸造されているかは知らないが、日本ではどうしても甘みを残したワインが売れるので本格的なワインを醸造するまでには至っていないのだろう。しかし、彼に言わせるとビールのスパーアサヒドライなどは美味かったようで、小規模のブロイライの話しになった。アメリカなどでもレストラン付きの英国タイプのそれが流行っているようで、日本でやっているような小規模の新鮮なヴァイツェンなどは最早ドイツではなかなか飲めなくなっているという話になった。

2013年オェールベルクを開ける。食事のメニューを考える。材料であるのはジュースに浸かっているツナ缶詰である。それとほうれん草を合わせて炒め卵を絡めてみよう。ゴマ味でもマヨーネーズ味でも構わない。キプロス産の新ジャガがあるのでこれを蒸そう。付け合わせには獅子唐辛子炒めのバルサミコソースにしてみよう。香ばしいシュペートブルグンダーを、迎い酒代わりに楽しめればそれでよい。それでも小腹が空けばヌードルを残りのソースにでもつけて、茸でもまぶせば充分ではないか。一寸した祝祭気分である。



参照:
まろみが嬉しい自然な呼吸 2017-03-05 | 試飲百景
完走するための栄養分 2017-02-20 | アウトドーア・環境
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by pfaelzerwein | 2017-03-05 23:42 | | Trackback

春の躁がやって来た

春がそこまでやって来ている。春一番である。色々と準備をしなければいけない。先ずはロシア音楽勉強をチヤイコフスキーの悲愴交響曲で一旦終えることになる。まだその復活祭まで四旬節の期間があるが、これもあれよあれよという間に日が経ってしまうだろう。この曲も最後に生で聞いたのはレニングラードフィルハーモニーをムラヴィンスキーが指揮した時だった。今回のお勉強で深く楽曲に迫れるだろうか。少なくとも第五番をキリル・ペトレンコ指揮で体験したので、それを参考にすれば予め第六番も楽譜の読み方が大分わかる筈だ。

バーデンバーデンでの発券状況に不思議に感じた。何と最初の二三ヵ月殆んど出てしまったキリル・ペトレンコ指揮の演奏会よりも出だしが悪かった翌日曜日のサイモン・ラトルの方が殆んど売り切れている。状況からすると他のオファーと組合されて買券されたようで、業者が纏めて購入したのだろう。やはり、多くの大衆にとっては今でもサイモン・ラトルの方が知名度が高いから当然の市場の構造なのかもしれない。やはり、バーデンバーデンは、ミュンヘンともベルリンとも違うのは当然だろう。

そのミュンヘンの歌劇場の2017/18のプログラムの先情報が出ていた。先ずは関心のあるキリル・ペトレンコ指揮の新演出は二つで、その他は「ニーベルンゲンの指輪」再演ということだ。集客力があるので経済的な意味も大きいのだろうが、そこまで再演するとなるとライヴ録音でも残すのかもしれない。クリーゲンブルクの演出はケント・ナガノ音楽監督時の新演出だったが、再演でこれだけ集客力があればとても効率が良い。2018年7月のオペラ祭りに合わせて来るのだろう。カーネーギーホールの為の「ばらの騎士」も三回ほどあるに違いない。

興味津々の二つの新演出は状況からするとヴァークナーはないだろう。リヒャルト・シュトラウスは伝統を立て直して継承するという意味で、まだ一つ二つはあるのかもしれない。過去のミュンヘンでの演奏実績を見ると音楽監督就任以前からロシアオペラもボリス、オネーギン、ピケダーメなどやっている。チャイコフスキーやムソルグスキーを就任中に新制作する可能性も強いがさてどうだろう。「モーゼとアロン」は是非取り上げて欲しいが、その他にも20世紀の古典が存在する。いずれヴェルディなどイタリアものも一つぐらいは加わるのだろうか。古典ではハイドンなどは指揮のテクニックからしても興味深い。

ヴィーンでの「ばらの騎士」のヴィデオ映像を観た。カルロス・クライバー指揮で日本でも公演したものと同じであろう。予想通り、ミュンヘンでのそれよりも価値が低かった。なによりもヴィーンそのままで上演されているのでパロディーの在り方が全く時制的な視座の相違だけになってしまっていて、そこで奏され歌われるヨーデルもヴァルツャーもなんら意味を持たなくなってしまっている。なるほど日本の聴衆がその夢のような響きに陶酔したのも分かるそのもの観光地の歌芝居のような次元になり下がっている。まるでオーヴァ―アマルガウの四年に一度の受難劇と変わらない。そこで思い出すのが日本では録音やヴィデオで得た複製品の情報のそのままを芸術の本質と認識して、その通りの本物を目の辺りにして満足するという芸術需要の特徴がここでも当てはまる。観光情報のそのままを現地で確認してその他の現実への感覚を遮断して満足するというあれであり、芸術における感性とは一切関係が無い。それにしても天才指揮者カルロス・クライバーはどう見ても躁鬱の病に侵されていたとしか思えない映像で、流石に日本公演の後は躁の自身の非芸術的な行いを考えるとより鬱に落ち込んで仕舞ったのがよく分かる記録である。



参照:
苦みの余韻の芸術 2017-02-11 | 音
ペトレンコの「フクシマ禍」 2015-12-21 | 音
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by pfaelzerwein | 2017-02-22 19:21 | | Trackback

TV灯入れ式を取り止めた訳

今年のノイヤースコンツェルトには端から触れる必要はないだろう。電源タップを取り換えた時にTVの差し込みに気が付いて、今年は年に一回のTV点灯式は行わないことに決心した。それよりもやるならばネットで受信して、モニターで流す方が音響だけでなく視覚的にも臨場感が出るかとも思ったからだ。特にオーストリアの国最大のインタナーショナルな催しなのでネット転送技術的にも何か経験になるかとも思った。要するに中継内容よりも技術的な枠組みに興味がある。

その若い指揮者と彼の管弦楽団の演奏は旧年中のベルリンでの芸術際の生中継で観て、なるほどこうしたものに南米や極東を中心の世界市場があって、音楽芸術とは全く異なるものであることが分かったので、あまりにも商業的なストーリーものには気分が悪くなったのだ。それに尽きる。あんなもので商売をしているから国の売り物の座付き管弦楽団が使い物にならなくなってくるのである。

二三週間もするとシカゴ交響楽団でムソルグスキーのプログラムのコンサートに出かけるので、一連のロシアもの続きで少し勉強しなければいけない。ショスターコーヴィッチからロシア音楽の歴史的な関係にも関心が向かった。そして四月にはチィコフスキーのプログラムがある。

キリル・ペトレンコ指揮でクリスマス前に復活祭のと同じプログラムがRAIで演奏放送されていたのを聞き逃した。その前にはハフナー交響曲だけはBMWミュンヘン支店慈善コンサートでも演奏している。小澤征爾がオペラを和訳して日本で練習してから本番に臨んだように、ここでも些か雑なトリノの放送管弦楽団がいつも練習台になっているようである。2013年のバイロイト登場前にもそこで全曲を演奏していて、今回偶々その「ラインの黄金」全曲をDL出来た。

VIDEOでは練習風景か何かわからない断片がいくつか存在するが、全曲乍らなぜか音が悪い。放送録音のようなマイクロフォン録りにも思えるが、まるでフルトヴェングラーがローマで公開録音したもののような音質である。録音技術的にも横着だが演奏も勢いはあっても放送交響楽団とは思えぬ演奏ぶりで、指揮者の息遣いと共に勢いで突っ走っている。ある種の共通性があの2013年のバイロイトでの演奏にもあるようで、屡々各奏者のバランスがとんでもないことになるのは管弦楽団のアンサムブル技術なのだろう。どうしても各々のパートを明白にクリアに演奏しようと思うと管などはダイナミックスをコントロール出来なくなるのかもしれない。

今年もこの指揮者の演奏を何回も聞くだろうが、もう少し批判的に聞いてやろうとは思うのだが、2010年フランクフルトでの「トスカ」上演の断片を聞いたり、歌手の話を聞いたりすると ― つまり歌手も皆共々とても細部までにも留意させられて扱かれているのだが、皆苦笑いしながらも「楽譜の読み方」に目を開かされて、それでもとてもジェントルな指揮者だと心酔している ―、こうしてプロフェッショナルな音楽家が必死に指揮者の細かな指摘に応えようとしているのを見るととてもバランスが悪いだとか簡単に否定できないのである。だからトリノでのあのような演奏でも熱狂的に受け入れられているのだろう ― 聴衆はどうしてもトスカニーニを重ね合わせるのではなかろうか。RAIの放送管弦楽団とベルリンのフィルハーモニカ―が同じように演奏できないことぐらいは皆知っているからである。

ネットを見ていると10月に再演された「マイスタージンガー」新演出もはじめはヨーナス・カウフマンが出ることになっていたようだがキャンセルしたと書いてあった。また当初カメラが入る予定になっていた七月終わりのそれを観ての批評記事もあって、「この演出では流石にあの事件直後のミュンヘンでPVは出来ない」とあってはっとした。全てに敗れたベックメッサーが皆に愛されているハンス・ザックスを撃ち殺そうとして、結局は自害する終幕のことである。台本にはないがまさにそうした事象がミュンヘン市北部で起きたところだった。これを偶然とか予言とかとは言わない。少なくとも演出の本質はまさにそこにあったのだ。日本風に言えば「よき昭和と思われていたような街の人々の繋がりが薄れてシャッター通りになった」、そこがこの演出の舞台であったのだ。そしてその関連性に気が付かずにいた。また余談であるが再上演の時の舞台横のロージュでは、バイロイト音楽祭から一昨年駆逐されたパスキエー女史が招かれて観劇していたようだ。

音楽劇場には「演出など」というような意見もある。そもそも私などはブーレーズと同じでオペラ劇場などは放火して仕舞えと思わないではないが、音楽劇場の可能性は今後とも否定できない。そしてそれは決して商業主義的なものではないことを改めて先日のショスタコーヴィッチの作品の演出に纏わり演出家ハリー・クッパーが示してくれた。更に申せばあの手の劇場はミュンヘンのそれではなくベルリンのそれなのである。社民党、緑の党、左翼党の左翼政権のベルリン市の現在の姿こそが偽りもなくこうした劇場の源であり、シュツッツガルトにおいても大成功している演出家フランク・カストルフなどが現在のベルリンを体現しているのである。しかしミュンヘンは劇場的にも異なる。同じくシラー劇場のマンハイムも異なって当然であり、そこには紛れもなく現実の生活空間と劇場空間とのディアローグが存在するのである。何回も繰り返すことになるが、皆共産圏出身の人たちなのだ。そしてその人たちが西側で過ごした私たちの視座に影響を及ぼす。これはベルリン独自の東ドイツ文化だけでなくて、そうしたプロシアから遠く離れた我々の社会文化であるということである。東独出身のメルケル首相が世界の権力者であることを見逃してはいけないということである。なにも彼ら彼女らは、全体主義の下で虐げられた旧共産圏出身の人材ということだけではなく、明らかに我々西側で暮らした人々とは全く異なる教育を受けて異なった視座を与えてるということを肝に銘ずるべきなのである。そうした文化的な背景がそれらを先取りする芸術にも深く結びついているのは至極当然のことである。なぜ公共の劇場が、音楽劇場が必要なのかの明白な回答でもあろう。娯楽など本当にどうでもよいことなのである。



参照:
雀百までの事始め 2016-01-04 | 暦
ひしひしと積み重ねの喜びを 2013-01-02 | 文化一般
「ドイツ生まれのドイツ人」 2016-07-25 | 歴史・時事
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by pfaelzerwein | 2017-01-01 21:24 | | Trackback

厳冬の大晦日の過ごし方

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大晦日である。寒い、パンを売り切れ前に調達しておかなければいけないので、頑張って明るくなりかけに出かける。町の中でも寒かったが森は零下7度である。乾燥しているから感じない筈はないが、物好きのいつもの車が駐車場に並んでいて呆れる。流石にショーツになる勇気はない。だからゆっくりと峠を目指すだけだ。屋根のある下に自転車が停まっていて、どうも若い男がそこで野宿していたようだ。大ばか者がここにもいる。足元が冷たくなると思って靴下を厚目のものにしたので少しはマシだった。これ程寒く感じるのに高所スキーなどに行けるかなと不安になりながらのパンツを履いたままの走行であった。20分台で上がり、下りて来て33分は、夏場のまた一年前のショーツでの記録と同様で、パンツを履いてもある程度早く走れるようになっている証明である。寒い思いをして走るぐらいならば早くスキーで膝を試したい。

クリスマスプレゼントに貰ったワインを開ける。カルベネの2009年物である。流石に2009年物は試す価値がある。カベルネの生育も2009年のような年度はドイツではそれほど訪れない。カステルペーター醸造所はバートデュルクハイムに入る手前の街道沿いでレストランもやっている。基本はヴァーガワインのようだが、どちらでもよい。デキャンターの必要があるということでアルコール14%に恐れ乍ら開けた。コルクも合成もので香りも面白くないものの味はしっかりしていた。甘みも感じられるほどに完熟だが、ボルドーのように面白さが無いのは単体なので仕方がないだろうか。それ以上に清潔感極まりないドイツ風で、フランスものならばフィルターを掛けないなどで澱が多く出たりと、際どいところが勝負なのだがドイツは清潔一点張りである。よくこなれていてアルコールを感じさせないのも立派である。飲み心地もアルコール度の割にはとても良かった。二日掛けて最後まで飽きさせないのは見事である。

届いた電源タップを設置した。タップといってもテュービンゲンにあるブレンシュトュールというメーカーのコムピューター、HiFi用の電源マネージメントと称する商品である。価格はそれでも通常の三倍強ほどで、見た目ほどは高価ではない。だからシャーシもプラスティック製である。このメーカーは実はスイスのバールにも会社があって近くで宿泊したこともあり記憶にある。なるほどロゴが赤くスイス風なのだ。但し本社はドイツで企画開発もドイツとなっている。

先ずは向かって左からカセットデッキ用の変圧器、グーグルキャスト、DATカセットデッキ、フォノアムプ、プレーヤーで、最後の一つは空けておいた。落雷過導電防止19500Aが付いていて、高周波フォルター、EMI/RFI フォルター付きである。だから上手く使えば高品質な電源として使える筈だ。しかし実際には分からない。そして主電源のラムプ以外にもオンにする各々のラムプが光るので煩わしい感じがする。一つは空けておいて正解だ。先ずはLPなどで使ってみて相違があるのかどうか耳を傾けてみよう。

本当はそんなことはどうでも良くて、主電源を二極共遮断するので完全節電への期待の方が大きい。もう一つ、使わないときにはキャストだけでも停止させられると精神衛生上よろしい。それよりも変圧器停止可能となるのも嬉しい。一番電磁的に影響がありそうだからだ。今まで出来なかったのはそこまで細かく電流を開閉出来なかっただけなのである。33ユーロでこれが叶い、節電も可能となれば文句はない。

アメリカの遠縁にグリーティングスメールのお返しをした。近所のトラムプ騒動のことを書いた。また、トラムプ家と同じように先方の爺さんが熱心に日本へ手紙などを書いていたことを書き記した。そもそも米国籍の父親自体が戦後に日本から戻るときに証言などをしなければいけなかったと聞いていたことも書き加えた。



参照:
刺し方が難しいケーキ 2016-12-30 | 生活
大掃除の戦利品の響き 2015-12-06 | 暦
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by pfaelzerwein | 2017-01-01 00:03 | | Trackback

クリスマスの買い物終了

クリスマスの買い物を終えた。例年のようにストレス勝ちの年末であるが、この辺りで一段落となる。買い物に早く出かけるために早めに床に入った。何も特別なことをしようとは思わないのだが、毎年のように習慣になってしまうと、考える必要もないが強迫観念にもなってしまう。以前は祝日連休ともなると買い物を済ませておかなければ困るとか、どこかに出かけなければ行けないとかの別の強迫観念があった。実際に生活上困るからである。それが今や習慣に縛られるようになっているのである。

コメント欄でドイツのクリスマスは?という問いかけがあったので、つくづく日本の正月三が日に似ているなと思った。家族が年に一度に集まる機会であるというのがこうした習慣性を如実に表している。キリストの生誕と関係があるようでないようでの因習化したことの方が重要な要素となっているのである。日本の正月に関しては充分な分析が出来ていた筈だが、こうしたクリスマスとの差異が分からなくなったり混同してしまうような気持ちになると、その因習化した意味について目が開かれるような気がする。モミの木の飾りの為にマーケットをさまよう人や門松や飾りを終える新年のそれの共通性など一神教のそれと多神教のそれとの差とは関係ないそれが面白いのである。

ラディオでは合衆国が初めてイスラエルへの国連決議に拒否権を使わなかったとニュースになっていた。反イスラエル政策だとイスラエルは批判するが、オバマ大統領が最後の最後で主張をしているのが興味深い。対イスラエル関係に関しては冷え込んでいるのは分かっていてもこうした態度は前例ともなるので国際政治上も意味があるのだろうか。少なくとも徐々に公平な態度をとれるようになって来るならば意味がある。連邦共和国のイスラエルへの態度に関しても徐々にその熱量を落として来ているのは明らかで、ユダヤ人問題からあからさまに批判は出来ないにしてもその政策を肯定はしていない。

クリスマスイヴは、来週の最終週のことも用意しておかなければいけないので、少し仕事をしなければいけないかもしれない。昨晩は暖かくなることもあって、再び暖房を消して就寝した。どうも歯茎の調子は歯軋りよりも就寝時に顎を下にするとかで物理的な圧力がかかっていることで悪くなるらしい。これではなかなか炎症が治まらない。寒気もこの炎症から来ているとなるともう少し注意しなければいけない。

起きたのは予定していた暗闇ではなかったが、雨が降っていて車通りも少なかったので寝坊をしたのだろう。急いで身づくろいをして出かけた。パン屋は無理なく駐車出来て、行列も思ったよりなかった。欲しいものが買えた。その足で市場に行って何時ものスパイヤーからの魚屋でテリーヌなどを購入した。14ユーロを超えて予算を超えて支払い不能なので急いで銀行に金を下ろしに行った。そして支払いを済まして八百屋に向かった。何時ものようにプレゼントの花の小鉢を貰いに行く。予算よりも少なくここでは10ユーロを切った。これで完璧である。一先ず安心だ。



参照:
クリスマスマーケットなんて 2016-12-21 | マスメディア批評
待降節第四主日を終えて 2016-12-20 | 暦
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by pfaelzerwein | 2016-12-24 19:14 | | Trackback

11月のような冬至が過ぎて

HDDを交換してから一月半ほどになる。マイデーターもDディレクトリーに移したのでとても快適である。この調子ならば2012年12月から使い続けているノートブックが壊れるまでにCディレクトリーが三分の一を超すことはあり得ないだろう。それでも30GBほど余裕がある。RAMも8GBなので弄る必要もない。そのように思っていたが寝室の籠もり部屋で使っているとヒーターのお湯の流れる音とよく似た音が新しい1TGのHDDから聞こえるのが気になりだした。読み書きしていなくても、回り続けているためにそれが気になるようになってきた。以前の750GBとは振動域が低くなった分気にならない筈だが、音量は増えているのかもしれない。 要するに籠もり部屋で静かに読書でもしていると、暖房のお湯の流れとこの回転音がステレオのようにして聞こえるのだ。暖房の方も調整が行き届いているので水が流れるような音がしないのでエアコンのファンよりも遥かに邪魔にならないだろう。PCの方も書き込みで吹く時の音とは違うのでそれぐらいの騒音でしかない。勿論音出しして乍ら仕事などになると気になる筈もない。それでも気になるのはやはり住環境が以前より静かになってきているからだろう。

今年はバルコンのドアを直したのでそれだけでも街道筋の音が更に小さくなった。これも大きいかもしれない。街道筋にある建物乍ら、車の気配を感じても数を数えるとなると耳を澄ましていても難しい。つまり室内で直接音や振動が感じられる場所などは限られるということだ。ドアの隙間が無くなると余計に直接音が減った。それでも期待していた保温効果は冷却効果と比較するとそれほど感じられない。つまり以前は隙間風や騒音は気になったが、遮音効果は高まっても陽射しが無いと保温効果はあまり感じられなく冷える。

このシーズンは未だに浴室のヒーターを切っている。そこで毎朝ヒートショックを体験する。血圧が上がっていると感じるのはこの時だ。寝室を温めて就寝しても熟睡は出来なかった。寝起きも良くない。籠もり部屋は快適な摂氏18度ぐらいに保たれているが、夜中にどこまで落としたら熟睡が可能となるのか、浴室でのヒートショックを避けれるのかなど設定が難しい。そこに着衣の状況や外気温の変化があるので更に調整が困難になる。

節約を緩めて浴室に緩く暖房を掛けることも考慮する。なぜか今年はいつもは籠もり部屋へと流れるお湯の道筋が ― 丁度CD並べてある棚の裏側である ― 温まっていない。理由は全く分からない。そこで浴室の暖房を入れてみることで現象を観察することは可能かもしれない。

兎に角、今年は昨年よりも寒いのは確かである。例年ならば11月が最も寒く感じるが、今年はそのような陽の無い12月となっている。当時にはバルコンでも温度が夜中五時過ぎに最も下がっていた。相変わらずショーツで走っているがこれも温度差が激しい。



参照:
バルコンからの冬籠り 2014-01-10 | アウトドーア・環境
外国人に手厚い社会保障 2014-12-05 | 文学・思想
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by pfaelzerwein | 2016-12-23 23:30 | | Trackback

待降節第四主日を終えて

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週末は教会のところで小さな待降節の集まりがあった。御馴染みのクリスマス音楽が最後を締めた。ブラスの響きが中々よかった。町のブラスバンドよりは上手で綺麗にハモっていた。楽譜も腕に合わせたアレンジだったが、そのあたりの教会でのお勤めの音楽師としては充分たろう。近所のクリスマスマーケットも片づけが終わって、待降節のクライマックスを超えた。

先日屋根裏部屋にあるPCの周りを片付けた。二つ三つのシステムが絡んでケーブルサラダになっていて、掃除し難いので、ATARIとPCを別けて、WIN95のPCを片付けて仕舞おうと考えた。シナモンLINUXのPCの方はキャストで音が飛ばせるようになったので音響システムのラジカセなどから切り離せるようになり完全独立が可能となった。

そこでWIN95に付けていたモニターが一つ余ることになった。それと一つ余っているATIのPCI対応のヴィジュアルカードでシナモンをダブルモニターシステムにしようと思ったのである。そしてマザーボードの狭い場所に最後のPCIカードを押し込んだ。そして試してみた。

何よりも今まで使っていたソニーのトリニトロンのブラウン管が寿命が来ていることが分かった。もう一つのNECのモニターは傷だらけで大分弱っていると思っていたが、知らないうちにソニーのそれが赤色のピンが折れているだけでなくて、青も黄も正しく発色していないことが分かった。そしてNECのモニターでシナモンのグラフィックを見ると美しさが違い3D効果が際立った。それならば縫い針を折って赤色の接触を助けて無理して使うようなソニーはもう要らない。

それよりもなによりも重要なことに気が付いた。AGP対応ののカードはファンが付いている、そしてその音が何よりも大きいことに気が付いたのだ。AGP対応ならばRAMに負担を掛けないので喜ばれるのだが、そもそも遠隔操作をするPCにそれほどに負荷を掛けるほどの画像処理は必要ないのである。そこで、AGPを外してPCIをメインのビジュアルカードにすることにした。

ROMは増強して2GBにしてあるので全く問題がない。PCIの方は自然空冷なのでフィンが熱くはなるが、隣のSCSIカードが焼けるほどでなければ問題がない。そのカードも使うのは稀で、モニターをつけることもあまりないからこれで良いだろう。何よりもうれしいのは安物の中華電源のファンが騒がしいと思っていたが、主原因はヴィジュアルカードのファンだった。以前も同じようなことでAGPソケットを焼いて壊してしまったのを思い出した。



参照:
待降節景気の街並み 2015-12-20 | 暦
降臨前の最後の買い物 2013-12-25 | 暦
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by pfaelzerwein | 2016-12-20 05:13 | | Trackback

可処分所得三割増の一年

霧が出ていて、走るスピードも出なかった。それでも登りが可成り楽に走れる様になっていて、降りには直ぐに加速できる。明らかに心肺機能が鍛えられちている、高山でのスキーが楽しみだ。天候もあり、週末の疲れがあったので、久しぶりに走ったが、腸の調子が急激に変わった。ここのところ肉類も食さなかったのであまり便通も良くなかったが、一挙に身が軽くなった。

車のラディオが伝えていた。合衆国の幾つかの州で教師の銃の携帯を認めるということである。それによって不慮の場合は加害者を射殺して被害を最小に止めるのである。教育の場で武装して相手を黙らせることには合衆国でも抵抗があったのだろう。

新聞を見ると連邦共和国の今年の可処分所得が被雇用者で35%、雇用者で25%昨年度よりも増えたというから素晴らしい。これならば目標のインフレ率が正しいことになる。労働市場の好調からこれだけの所得増になっている。今後のドイツの企業の状況を考えても先進工業国としてはトップクラスの成長が期待できるような数値であり、その経済的な眺望は開いている。

日本とは大違いである。そもそも貿易輸出国であるドイツの場合は資源が無く、その付加価値の差額でしか富を生まなかった訳であるが、日本の場合は国内市場も大きくその余力で貿易黒字を築いてきたに過ぎない。ドイツはEU市場をものにしたのに対して、一方日本は高齢化と少子化で国内市場が縮小している。そして所得増どころか所得が減少してきているとなると、企業も何もかも日本経済に将来性などないのが分かる。少なくともドイツの差は一気に開いていくに違いない。このような結果になることは四半世紀前以前から分かっていたのである。

可処分所得がこれだけ増えれば何を購入するか、どのように投資するかで個人は勿論社会の今後の豊かさが変わって来る。正しくそこがドイツ社会の強さであり、それは母国に投資する外国人労働者においてもその堅実さはあまり変わらないであろう。



参照:
行ってみようよTTIP DEMO 2015-10-09 | マスメディア批評
憧れの移民国ドイツ 2014
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by pfaelzerwein | 2016-12-16 02:39 | | Trackback

震えるバルコンの測定

氷点下5度にもなると流石に寒い。期待した陽射しは上空の霧に遮られて暖かさには全くならなかった。放射冷却と上空の霧が重なるとこれ以上寒いことはない。手袋だけでなくて、バンダナも巻いて出かけたがそれでも寒かった。流石にパンツを脱ぐ訳にはいかず、柔軟体操をしている余裕もなかった。何よりも寒いからである。

体を温めるために走り出して、カメラも持って行ったが、陽射しが薄くあまり良い光景はなかった。風もなく、ラディオは暖かくなることばかりを告げているが、まだまだ寒い朝にそのようなことを聞いても暖かくもなんともない。

このシーズン初めてのパンツを履いてのジョギングだった。それでもランニングフォームが安定してきたので、それほど遅くもならずに走れるところもあったと思う。時計の充電池が上がっていて、計測はしなかった。出かける前に心拍計を付けようかとも思ったぐらいだがそれも冷たくてやめたほどである。室内もここ何日かは寒い。山の上には樹氷が白く輝いている。それでも車に戻ってくると汗を掻いてうなじが濡れている。それだけでも運動の価値はあるだろう。

WiFi温度計をバルコンにラズベリーパイにつけて設置しようと思ったが、就寝前の時間では技術的に解決しなかった。MRTGとRRDの差など全く分からない。それどころか温度計のドライヴァーの中に二秒毎にデーターを読みだすようにオフセット2などと書かれていることなど全く知らなかった。WATCHコマンドで呼び出してみて初めて分かった。そこまで準備出来ているならばログをとることも図示化することもそれほど遠くないと初めて分かった。

少し寒気が緩むようで、氷点を超える。それでも必要なのは冷凍庫だけでなく氷点下のバルコンの温度なので、必要なドライヴァーと修正してあるプログラムに拘らなければいけない。修正してある最新のものを組み合わせてシステムを完成するには知らないことを少しは学ばなければいけないのだ。GPS時計のログを読み込むプログラムを書きたいと思うのだがさてどれぐらい慣れが必要だろうか。



参照:
氷点下の峠を攻める 2016-12-03 | アウトドーア・環境
愛おしくて、侮れない 2016-08-23 | ワイン
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by pfaelzerwein | 2016-12-08 23:36 | | Trackback